みやちゃん日記

気侭に書き込みます。

退院後初めての通院。

2006年10月30日 | Weblog
今日は8:45分に家を出て初めてい通院。
お陰さまで先ず先ずだった。その後社会保険事務所により
郵便を出して帰宅する。

やはりそれだけの事なのにしんどい。
電話が鳴り響いていてその方と一くさりはなしてお昼をいただく。

夫は誘われてマレットゴルフに出かけた。
ひろは今から洗濯物をゆすいで形態を変えたので少し勉強しようかと思う。
前のをしっかりマスターしないのに又新しくなりついて行けない。



単位不足

2006年10月28日 | Weblog
これは進学重視の学校のやり方のひずみである。
何処そこの高校は何人どんな大学に入学できたと報道するのに乗った
学校の対応が結果的にこんなことになったのだと思う。

こんな授業をやっているから社会に出た時当然あるべき常識も
持ち合わせない若者が出来るのではないか。

先日テレビを見ていたら20歳過ぎた子が九九を全部いえないのを見て
これが今の現実だと思った。世界史も九九も確かにどうでもいい
生活するのになんら差し支えないかもしれないが、でもいやいやでも
カリキュラムをこなしていれば何かの時ああそんなこと習ったなあ?と
思い出せるが習っていない物は思い出すことも出来ない。

生徒は進学のための授業に当ててもらえばその方が喜ぶだろうが、
当然やるべきこともやらずに大人になって、しかも大学を出て1人前の
常識さえつけてもらえないなんて世界史など誰だってやりたくない科目だが
でもやれるのは今しかないのではないか。そんなにいやな勉強でも補修を受け
単位を取って晴れて大学の門をくぐってもらいたい。

障害のある子の受け入れについて

2006年10月26日 | Weblog
幼児の時に喉の病気で穴を開け1時間おきぐらいに痰の吸引が
必要なため幼稚園が受け入れてくれなかったのが、
裁判で入園出来るようになり2月から5センチも背丈が伸びたと
うれしそうにテレビで話していた。

笑顔の可愛いい子だったが、きっと誰からも仲良しになって
もらえるように祈りたい。
健常者以外は排除する社会はおかしい。
息子の幼稚園の頃近くに越してこられた聾唖のこをお母さんが
連れてこられ仲間に入れて遊ばせていただくわけに行かないかといわれた。
ひろは何があろうとハンデイは本人が好んでなったものではない
親としてあの子と遊んではいけないなど思ってもいないので
遊びにいらしてくださいといったことを思い出し、
これからは鈴花ちゃんがいることで周りのみんなも思いやりのある
優しい心をはぐくんで何時までもお友達になってもらいたいと思った。
幼稚園に行きたいばかりにあんなに小さい子が一人で吸引もできるようになり、
確かに預かる側にはまさかの時の不安はあると思うが、
8,000,000円居ても、いなくても良いような職員病気と言って仕事を休み
ベンツを乗り廻す職員その市にだって無駄がないと言いきれる市制かどうか?

物忘れ

2006年10月25日 | Weblog
記憶力の確かなことが自慢だったうん十年と違いしまった場所が
分からなくなりカーテンの向こうにちらちら見えるような感覚に
なることが時々ある。

年かと思うが、まだ家族の経理担当者なのでもう少ししっかりしていないと
困ると自分に言い聞かせている。

昨日も郵貯の証書が1枚見当たらなくて捜しまくっても見つからず
とんでもないところから出てきた。

大体自分に関係のないことは忘れるようにしているが、
会員名簿が家出はしていないと思うが見当たらない。
多分このあたりだろうと思って探すがないのである。
フアイルを裏返しにしてあったので沢山のメモの中だろうと思うのだが
面倒で探す体力がない。

頭も頸部も心臓も動脈硬化はないそうだが、
そうなると年齢のせいなのだろうか?納得がいかない。

今日1日のお仕事

2006年10月23日 | Weblog
ペースメーカを入れたお陰で家のことが少し出来るようになった。
先ずトイレの掃除をして息子のお布団のカバーを取替えその後
濡れダスキンをかけた。
自慢するほどの大仕事ではないが、今の体では大仕事だった。
心臓は前のようなことはないのだが、手足が大変なので
これだけ出来たことに感謝している。
きょうは気温が下がったせいか手足がこわばってつらい。
朝洗面所が水浸しになって下の棚に入れてあった洗面器2個に
水がたまりフロアーにも2杯溜まった。接続部分が外れていたせいだが
それを直せないのが情けなく夫の帰りを待って直してもらった。
きょうは夕飯の支度が出来た。

お散歩

2006年10月22日 | Weblog
心臓の方は緩和されたのできょうから少し歩くことにした
病院の中を歩いていたが外を歩くことは結構大変で外に出たら3箇所に
道草して、友人が立って話しているより歩きながら話そうと付き合ってくれて
日を浴びながら1時間ほど外にいた。
きょうは夫がグラウンドゴルフのオフ会で泊りがけで高浜に行った。
今朝血圧を計ったら心臓は順調に動いていたので先ず心配ないだろうと気にしないことにしている。
今のひろは「亭主元気でそばにいて」の状態!入院中に1年余りぶりで
浅ノ川病院まで薬をいただきに一人で外出した。
朝出かける前は脈拍が速くなって行けないかもしれないと心配したが、
何とか無事帰れた。
先生に「いよいよひとり立ちだね」とほめられた。
せめてバスに乗ってデパートまで行けるようになりたい。
行きかえりバスであろうが車であろうが、行った先で歩くことが大変なのだが
これは健常者には理解できないことだと思うので兎に角今は外歩きで足を鍛えることにする。

ようやく生還

2006年10月21日 | Weblog
10月に入って4回トラぶったうちの2回が27日の午後3時と夜7時で7時の時は痙攣を起こして気を失ってしまったのである。なんでも心臓から血液を体の隅々まで遅れないと痙攣を起こして失神しそのままと言うことにもなるのだそうだ。
夫が向かいにいたので助かったようなものだ。ひろの場合脈拍が打たなくなるので
こんなことになるみたいだ。この状態では何時切れてもおかしくない状態なのでペースメーカをと言うことになったが、何分心臓が弱っているので1本だけでは即切れるかもしれないとのことで、2本出来たら3本入れないと危ない状態だが3本入るかどうか開いてみないとわからないと言う状態で手術に入った。3本目の線はテレビなどで脈が消えそうになった時、胸にドンと当てる装置の代わりらしいが、これは最近開発されたものなのだそうでどの先生でもが出来ることではないそうでそれを出来る先生が居られたことが命拾いに繋がったように思う。
助けてもらった命、大事にしていきたいと思う。
そして先生神仏に感謝している。又家族に迷惑を掛けてしまった。