みやちゃん日記

気侭に書き込みます。

急の入院

2012年02月24日 | Weblog

今度ほどおかしな状態の日が続いたのは久しいことで記憶にあるのは小学1~2年生の頃だったと思う。弱い子だったのですぐ熱を出しうわごとを言いいつも母が4キロの道を往復おぶって学校は一日も休まさなかった。
私の母は説く体制で女学校までを卒業したような人だったのであの時代にそれは教育ママの典型だった。
3年生の冬在所のこ全部で雪があるからと云ってみんなでお休みして夕方帰ったら父にひどく叱られた。下男が川へ水を汲みに行ったら子供がクラブの2階で遊んでいたと言ったようで母はもうその頃病気で伏せっていたのだが、居間へ出てきて「私がしんどい中を勉強が遅れるからと思いおぶってまで登校させたのにと泣かれた。
その後虫垂炎で1カ月お休みしたが、全然遅れて居なかった。
今度もベットの上から夫の顔を見て居ると弟のように思えて名が寝て居たらやはり夫だった。そんなことが何回もありそのころ3~4日食事はと夫が聞いてもいらないと言ってきっと薬もその通りに飲んでいなかったのだろうと思う。
息子が異常を感じたのか相対してきた日もあり火曜日の夕がたは無理にパジャマのまま連れて行った。それでも私は面倒くさくて行かないと言っていただ息子は無理に連れて行ってら先生は心不全だと思うから土谷先生のところへ行った方がいいと言われてパジャマのままで医科大へ行きテイシュさえ持たずにそのまま入院となった。
息子は次の日の午後にしか来ないので看護師さんにお願いしてテイシュを借りて過ごした。その後も食事が取れず夢かうつつみたいな日を送った。
いろいろなことが真しやかに夢なのかはっきりと夢とは思えない目の覚めて居る状態で
いろいろなことが浮かび上がって来て気持ちが悪かった。
食事は見ただけでもう胸がいっぱいでただフルーツだけがおいしかった。
薬も入院して2日館飲まなかったので手足は大変いは痛む出今度ほど現のような状態で5日間ほど過ごしたのは幼いころと今だけだった。
そんな思いをしながらもう1週間退院を伸ばしていただけばいいのにさっさと退院してまだ食事が取れない状態で退院してがパソコンの電源を入れる体力もなく過ごした。
昨日ケアセンターへ行って来た。ケアマネさんやケアセンターの皆さんにお心を煩わせてしまった。これからはもっと気を付けなければいけないと思った。


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