Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

輝きをもう一度

2013-10-04 04:25:01 | 競馬
 グリーンchで流れる2002年のマイルCSを見て時計の針が戻された。

 俺はアドマイヤコジーンという馬が大好きだった。朝日杯FSを勝ちながら相次ぐ骨折で伸び悩み、一時期は完全に表舞台から姿を消した。競馬を知らない人のために喩えるなら、甲子園のスターがプロで大成できぬままに燻っているようなものか。具体例を挙げるならジャイアンツの辻内(笑)。菊池雄星も一瞬そっちに行きかけたけど、どうにか踏みとどまってくれたようで何より。

 で、そのアドマイヤコジーンが再浮上のきっかけを掴んだのが2002年の東京新聞杯。人気薄でこのレースを制すると続く阪急杯で重賞連勝。高松宮記念は2着に終わるも、次走の安田記念で実に3年半ぶりのG1制覇。ちなみにその安田記念、風邪で馬券を買いに行けなかったのだけど、予想自体は本命対抗で的中だった。確か馬連が60倍近くあって、俺はそこに5000円入れるつもりだった。

 そしてスプリンターズS2着(このレースは本線で獲った)を挟んで迎えたマイルCS。予想するにあたって俺が真っ先に思ったのは「今回コジーンはダメだろうな」と。京都マイルというのは末脚の切れを要求されるコースなのだけど、アドマイヤコジーンはどちらかと言えば持久力で勝負するタイプ。勝ってほしいと強く願いつつも、厳しい戦いになることは戦前から予測していた。

 それでも結局アドマイヤコジーンを本命にした。どう馬券を買ったかは覚えていないけれど、少なくとも全部で1万円は突っ込んだじゃないか。結果はトウカイポイントの勝利で、コジーンは案の定直線伸びきれず惜しくもない敗戦。もちろんお金を失うことは悔しかったに決まっているけども、それ以上に好きな馬と心中できた満足感みたいなものはあって、レース後はなぜか妙に清々しい気持ちだった。

 競馬に限らず、当時の自分は汚れのない人間だったように思う。年齢で言えば17。俺にとって暗黒の時期ではあったけど、いつか這い上がるんだという気概だけは強く持っていた。苦しみは永遠でないことを知っていたし、その先にはきっと明るい未来があると信じて疑わなかった。そよ風にさえも吹き飛ばされそうな繊細な感性をひとつ持って、寒風吹きすさぶ毎日を乗り越えんとする覚悟があった。

 そして11年後のこの今、まるで別人のように成り果てた俺がいる。元気で無邪気で真っ直ぐだったあの日の俺はもういない。心からの笑顔を振りまくことも、身を挺して誰かを守ることも、今の俺にはもうできない。歳を取るごとに自分がいかに多くの物を捨ててきてしまったかということだろう。いくらお金を出しても若き日には帰れない。それでも絶えず時は進んでいくのだから人生とは残酷なものだ。

 故障に打ち勝った彼のように再び輝ける日が来ると信じて、G1馬たちの遠ざかりゆく背中を眺めながら、俺は俺のペースでダクを踏んでいくしかない。


最新の画像もっと見る