Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

イジメ問題

2006-10-30 21:55:59 | Weblog
最近、何か立て続けに自殺者が出てるよね。まぁ色んな意見があるけど、あまり死んだ子に同情的になりすぎるのもどうかと思うね。かく言うオレも、色々あって高校を2年で中退している。今日はそのことを書こうと思う。まだどんな親しい人間にも話したことがない、初公開の内容なんで、心して読むように(笑)。

高校時代、オレにはA,B,C(イニシャルじゃないよ)という友達がいて、一緒に帰ったり遊んだりしていたんだよ。でもある日、確か一年生の秋頃だったかな、オレはこの3人から無視をされてしまう。理由はよく分からなかったけど、どうやらこの中で一番オレと親しかったAが、BやCにオレが二人の悪口を言ってると話したらしいんだね。このことを知ったのはだいぶ後になってからなんだけど、オレには全く心当たりがなかった。

まぁその頃も辛かったに違いはないんだろうけど。でもオレは元来1人でいるのが苦にならない性分だし、他に友達がいなかったわけでもないんで、それほど大層なことだとは思ってなかったんだよ。むしろこのままなら勉強に集中できて良いかなと思ったくらいで。事実、この頃は成績も良くなって、苦手な数学のテスト(確か確率だったような)でも100点近く取ったりしてた(笑)。

このことは時が解決してくれた。秋が過ぎ去り冬が訪れた頃にはオレも含めた4人は元通りの関係に戻ってた。いや、元通りって言うのは適切じゃないな。オレが他の奴に対して恨み辛みの気持ちがなかったと言えば大嘘になる。でも、そうだな、破けたズボンにアップリケを貼ったようなもんで、体裁だけは取り繕ってたという感じ。表面上だけは元通りになったんだね。

再び異変が起こったのは2年に上がってすぐの辺り。今度はAが、BやCから虐められる側に回ってしまうんだよ。オレの時は無視されるだけだったんだけど、Aは小突かれたりとかして、いかにも“イジメ”っていう感じだった。BやC曰く、キャンプでの付き合いが悪かったのが発端とのことだけど、これはこじ付けだという気がする。何となくだけどね。

オレはあくまでニュートラルな立場を貫いた。BやCとも関係を保ちつつも、イジメに加担することはなかった。悩みもたくさん聞いてあげたんだよ。またAっていう男はホントにウジウジしててさ、オレにひっきりなしに電話してくるわけ。4時くらいに帰宅するとすぐに電話が掛かってきて8時くらいまで話す。で、夕食や入浴を済ませると、また10時くらいから日付が変わって2時近くまで話す。その繰り返しの日々が続いた。

自分で言うのも何だけど、オレ、この時は献身的にAに尽くしていたと思うんだよ。ずっと話してたらこっちだって生活が縛られるけど、それでも嫌な顔ひとつせずにヤツの話を聞いてやった。不意にこみ上げてきそうになる、1年の時の恨みを陰にしまってね。

でも、さすがにこっちだって疲れてくる。と同時に、いつまでもウジウジしてるAの態度がBやCを助長させてるんじゃないかって思いも芽生えた。実際、オレの時は無視だけだったのに、Aがそうじゃなかったのは彼の態度によるところが大きかったと今でも思ってる。虚勢でも何でもいいから、気にしてない素振りをしてろって。そう思った。

だからオレはある日、帰りに一緒に乗った電車でAに言ったんだよ。「確かにお前が大変なのはよく分かる。でも火種を作ったのはBやCでも、油を注いでるのはA、お前自身だ」とね。これを言ったのがオレが電車を降りる直前あたり。Aは更に一つ先の駅なんだけど、オレの別れの挨拶に、彼は無言を返した。

次の日、Aは高校を休んだ。病気でもなければ怪我でもなくね。オレは教師に色々事情を聞かれた。オレはありのままを話した。でもオレの説明が悪かったか、教師の理解力がなかったか、オレもイジメに参加したことになっていたんだよ。一枚の紙を渡された。反省文を書けと。そんなもん書けるわけないだろ。オレはその紙を破って、担任の机の上に置いて帰宅した。明くる日、オレはこっぴどく叱られた。この時ばかりはもう何が何だか分からなくなったね。

虐める奴と虐められる奴、どちらが悪いかといえば絶対に前者に決まってる。でもだからって、安易に死を選んじゃならない。そう言いたいんだよ。オレも辛いことが重なって、気がおかしくなっていたよう時期もあった。正直言えば、今でも人と接するのが怖い。でもああいうことがあったお陰で、オレは性格も丸くなったし、考え方も随分変わった。あんな体験を出来て良かった、なんてことは断じて思わないけど、オレはこんな傍から見たら忘れろと言われそうな出来事でも、それを肥やしにして生きてゆこうという意志は強く持っている。それをしない限り、その過去を清算したことにはならないと思うからね。

そういう後片付けの一切を放棄して、死を選ぶというのは卑怯だと思うんだよ。確かに虐められて辛いのは分かる。でもいつかそれが報われると信じて、いかに消化してゆくかを考えてゆくことが何よりも大切なんじゃないか。良い体験だったと言い切ることは難しくても、それを糧に成長できたという、証みたいなものを残せれば、虐められた経験も決して無駄じゃなかったと、そう言える日がやがて来ると思うんだよ。

「生きてれば必ずいいことあるよ」なんていうのは嘘だと思う。でも人間っていうのは生きてることそれ自体に意味があるんであって、どう生きるかっていうのは大した問題じゃないんじゃないか。でなければ、アフリカの恵まれない子とか死刑囚なんて何で生きてられるかって話だよ。

コメンテーターはどいつもこいつも綺麗事を並べるけど、実際にはイジメなんてなくなりっこないに決まってるんだよ。でもだからこそ、虐められる側の気持ちの持ち方が大事になってくるんじゃないか。自殺した子を庇う人も多いけど、オレはやっぱり死んだ奴は弱いっていうことにしておかないとダメだという気がする。さもなくば歯止めが利かなくなってしまうよ。


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