雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二十年が過ぎて ・ 小さな小さな物語 ( 703 )

2015-03-15 15:27:53 | 小さな小さな物語 第十二部
昨日、一月十七は阪神・淡路大地震から二十年目にあたる日でした。
各地で様々な追悼行事が行われ、大勢の人々が直接参加し、参加しないまでも、テレビの報道などを通じてあの日の思い出やその後の出来事などを思い起こされた人ははるかに多いことでしょう。
テレビの報道も、特に関西を中心とした放送局では相当の時間を割いて特別番組を組んでいました。

二十年前のあの時、私は被災地の真ん中にいたわけではないのですが、相当激しい揺れを感じ、住居などにも若干の被害を受けました。
勤務していた場所は神戸市にありましたが、そこも中心地から離れていたこともあり、比較的軽微な被害で済みましたが、取引先などでは壊滅状態になったところも多く有り、仕事の上では少なからぬ影響を受けました。
神戸市の中心地へは、早い段階で入りましたし、交通手段が厳しい中でも、多くの場所に出向いたことを今でも鮮明に覚えています。

今、神戸の街は、少なくとも表面的には震災の跡形を見つけ出すのが難しいほどの復興を遂げています。
街並みは復旧したばかりでなく、以前にも増した建物群が見られる地域もあります。
しかし、同時に、二十年を経たことで、様々な問題点や歪みが表面化してきている部分も報道されています。例えば、旧来の古い住宅地や商店街などが整備されて、大規模なビル群に変貌を遂げた地域では、それに見合うだけの人口の復帰や集客力が回復せず、新たな都市問題が表面化しつつあるようです。また、緊急的に実施された民間からの借り上げによる復興住宅では、契約期間の二十年という期限が到来しつつあり、その期間が明確に知らされていなかったり、住民が高齢化などで移転に負担を感じる人も多く、厳しい選択を迫られている人がいるのです。
追悼行事における挨拶などを聞いていましても、建造物の復旧に比べ、人々の心の傷の復旧は、二十年という年月はまだまだ短いように思われました。

私たちは、自分以外の出来事や変化に関しては、トータルで感じ取ることが出来ます。
例えば、神戸市の大震災からの復旧がどの程度で進んでいるかと質問されれば、神戸市民や近隣の市民の九割程度の人が復旧どころか復興していると答えるような気がします。しかし、人的な被害を受け、住む場所を失い新たな安住の地を得ていない人などにとっては、今もなお二十年前の延長線を歩いているのではないでしょうか。
人が傷つくのは、大地震だけではありません。規模の小さな災害であっても、当事者にとっての痛手は全く同じですし、むしろ、社会の共助には救われないことが多いものです。
東日本大地震からの復旧は、原発の問題もあって、その目途さえたっていない地域が多いと聞いています。その他にも、自然災害だけでみても、すでに忘れ去られようとしている地域もあります。
一月十七日という日を、一年で一度きりの日で終わらせることなく、災害や事故で生活の基盤を根こそぎ傷つけられた人に対する共助を、今少し考え直すきっかけとしたいものです。

( 2015.01.18 )

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