雅工房 作品集

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釈迦と天魔 ・ 今昔物語 ( 巻1-6 )

2017-03-22 11:44:07 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦と天魔 ・ 今昔物語巻 ( 1-6 )

今は昔、
釈迦(まだ悟りを開かれる前なので、菩薩と記されている)は、菩提樹の下で思考された。
「過去の諸仏は、何を以って座具として無上道(ムジョウドウ・最高の悟り)を成就されたのであろうか」と思考され、「草を以って座具とするべきだ」と思い至られた。するとその時、帝釈天が人の姿に成って、清くて柔らかな草を取ってきた。
釈迦は尋ねられた。「お前は何という者なのか」と。「私は吉祥(キチジョウ・めでたいきざし、といった意味)という名前です」と答えた。

釈迦は喜んで、「私は不吉なものを打ち砕いて、吉祥と成すことが出来た。また、お前が手に持っている草は、頂けることが出来るのかどうか」と申された。すると吉祥は、釈迦にその草を差し上げ、願いがあることを申し上げた。「菩薩(釈迦のこと)、あなたが悟りを開かれた時には、まず私をお導きください」と。
釈迦はその草を受け取り座具として、その上に結跏趺坐(ケッカフザ・座法の一つ)された姿は、過去の諸仏のようであった。そして、釈迦は自ら誓われた。「私は、正覚(ショウガク・正しく完全な悟り)を成さなければ、永久にこの座を立たない」と。

この時、天竜八部(テンリュウハチブ・仏法守護の八部衆)は皆こぞって歓喜し、天空の諸々の神や天人は褒め称えること限りなかった。
同じくこの時、天魔(テンマ・人物名。欲界の第六天の王)の宮殿は、自然に揺れ動いた。天魔は、「沙門(シャモン・仏法を修業する者)瞿曇(クドン・釈迦の姓)は、菩提樹の下にて、五欲を捨て、端坐思惟(タンザシユイ・決められた通り正座して瞑想すること)して正覚を成就した。もしその道を成就して広く一切の衆生を導けば、我が境界を越えて勢力を増すであろう。我、彼が未だその道を成す前に行って、破り乱してしまおう」と思った。

天魔には子がいた。その名を薩陀(サツタ)という。父がこの事で嘆き憂えるの様子を見て父に言った。「何ゆえに嘆き憂えられるのですか」と。
天魔は、「沙門瞿曇、今、菩提樹の下に坐して、道を成就して、我を越えて力を増そうとしている。我は彼を打ち破ろうと思う」と答えた。
天魔の子は、父を責めとがめて、「菩薩(釈迦)は清浄にして並ぶ者がいない。天竜八部のことごとくが守護している。神通知恵(不可思議の力)は及ばないものがない。妨げようと思われても出来ることではありません。どうして悪を作り罪を招こうとされるのですか」と言った。

また、天魔には三人の娘がいた。見目麗しく天女の中でも優れていた。一人目を染欲(ゼンヨク)といい、二人目を能悦人(ノウエツニン)といい、三人目を可愛楽(カアイラク)という。
三人の娘は、共に菩薩(釈迦)のもとに行き、「あなたは人格に勝れ、人界においても天界においても大変敬われています。私たちは、年頃であり、見目麗しいこと並ぶ者がいません。父の天魔は、私たちを奉ってあなたのお世話をさせようとしています。朝暮れにお仕え致しましょう」と言う。
これに釈迦が答えて言った。「お前たちは、過去の世において少しばかり善根を積んだ報いで天人の身を受けたのです。姿形が美しいといっても、心は無常を悟っていない。死ねば、必ず三悪道(地獄・餓鬼・畜生の三道)の中に堕ちるだろう。私は決してお前たちを受け入れない」と。

するとその時、この三人の天女は、たちまち老いさらばえた姿に変じた。頭は白く、顔はしわばみ、歯は落ちて涎を垂らす。腰は曲がり、腹は膨れ上がり鼓のようになった。杖に寄りかかり疲れて歩くことも出来ない。
天魔は娘たちの様子を見て、優し気な言葉で釈迦を言いくるめるように、「もしお前が、人間の楽しみを喜ばないのであれば、我らを天界の宮殿に登らせよ。我は第六天の王位と五欲の対象である財宝を捨ててお前に与えよう」と言った。釈迦はこれに答えて、「お前は過去の世で少しばかり善根を積んだので、今第六天の王となることが出来ている。しかし、その安楽な地位にも限りがあって、やがて三途(サンズ・三悪道と同じ)に沈むことになろう。魔王となることは罪を受けるもととなる。申し出を私は受けない」と言った。

天魔は、「我が果報(カホウ・過去の行為を因として受ける報い)をお前は知っている。お前の果報は誰が知っているのか」と言った。釈迦は、「私の果報は、天地が知っている」と言われた。
釈迦がこのように説いた時、大地が激しく振動し、地神(ジジン・堅牢地神。もと古代インドの大地の女神)が七宝の瓶を持ち、その中に蓮華を満たして、地中より姿を現し、天魔に言った。「菩薩(釈迦)は、その昔、頭目(ヅモク)・髄脳(ズイノウ・脳みそ)・国城・妻子等を捨てて、無上菩提(ムジョウボダイ・最高の悟り)を求められた。それ故にお前は、菩薩を悩まし邪魔だてしてはならぬ」と。天魔はこれを聞き、心に怖れをなし、身の毛がよだった。
地神は、また、釈迦の足をいただき、七宝の瓶に満たした蓮華を手向けて、姿を消した。

天魔は、「今、我はあの瞿曇(釈迦)の心を悩乱させることは出来ない。何かうまい手立てを考えよう。多くの軍勢を集めて、力で以って攻め討ち果たそう」と思った。たちまちのうちに、多くの軍勢が天空に満ちた。その武装した姿は様々で、ある者は矛を取り剣をもって、頭には大樹を戴いている。手には金剛杵(コンゴウショ・頑丈なキネ。古代の武器の一種)を取り、ある者は猪の頭、ある者は竜の頭など、このような怖ろしい姿をした者ども大勢であった。
また、天魔には姉妹がいた。一人は弥伽(ミカ)といい、もう一人は迦利(カリ)という。それぞれ手には臅膢の器(ヒトガシラのウツワ・人間の頭蓋骨を加工した器。どくろの杯)を持ち、釈迦の御前に来て、奇怪なしぐさをして釈迦の心を乱そうとした。諸々の魔物は、醜悪な姿などで現れ、釈迦を怖がらせようとした。しかし、釈迦は一毛たりとも動かすことがなかった。そのため、天魔たちが悔しがることこの上なかった。

空中に員多(インタ・負多が正しいらしい。天界の魔神の一つ)がいた。身を隠していて、「我、今、牟尼尊(ムニソン・釈迦牟尼尊のことで、釈迦に対する敬称)を見奉るに、心は平静にして敵意の心を抱いていない。集まっている多くの魔神たちよ、悪意を起こして、いわれもない怨恨の心で敵対することなかれ」と言った。
魔神たちは、空からの員多の声を聞いて、自分たちの行動を悔い恥じて、驕慢・嫉妬の心を永久に納めて、もとの天宮に還って行った、
となむ語り伝へたるとや。

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