雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

聖人 魚を食う ・ 今昔物語 ( 12 - 27 )

2017-10-06 10:04:54 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          聖人 魚を食う ・ 今昔物語 ( 12 - 27 )

今は昔、
大和国の吉野の山に一つの山寺があった。海部峰(アマベノミネ・所在未詳)という。
阿倍天皇(孝謙、重祚後は称徳天皇)の御代に、一人の僧がいた。その山寺に長年住んでいた。心身ともに清浄にして仏道修行に勤めていた。

さて、この聖人が病気となり、身体は衰弱して起居も思うようにならなくなった。また、飲食も自由に出来なくなり、命の危険が迫っていた。
そこで聖人は、「私は病となり、もう仏道修行に堪えられない。何とか病を治し、快く修行をしたいものだ。ただ、病を治すには、伝え聞いたところによれば、肉食に勝る方法はないという。それならば、私は魚を食べてみよう。これは重い罪にはならない」と思って、そっと弟子に相談して、「私は病の身なので、魚を食べて命を繋ごうと思う。そなた、魚を求めてきて私に食べさせてくれ」と言った。

弟子はこれを聞いて、すぐに、紀伊国の海辺に一人の童子を行かせて、魚を買ってくるように命じた。
童子はその海辺へ行き、新鮮なナヨシ(ボラの幼魚らしい)八匹を買い取って、小さな櫃に入れて帰ってくる途中で、前から顔見知りの男三人と会った。
男は童子に尋ねた。「お前が持っている物は何だ」と。童子はこれを聞いては、「これは魚です」と答えるのは、大変都合が悪いと思って、とっさに口から出まかせに、「これは法華経です」と答えた。

ところが、男が見ると、童子が持っている小さな櫃から汁がしたたり落ち、臭いにおいがしていた。どう考えても、これは魚と思われた。そこで、男は、「それは経ではないだろう。魚に違いない」と言った。童子は、「いえいえ、魚ではありません。お経です」と言い張り、言い争いながら行くうちに、ある市(イチ・定期的に市場が開かれる所。)にやって来た。男たちは、ここで足を止めて、童子を引き止めて責めて、「お前が持っている物は、絶対に経ではない。魚に違いない」と繰り返した。
童子は、「何と言われても、魚ではありません。お経です」と突っぱねると、男たちは信用せず、「では、櫃を開けて見せよ」と言う。童子は開こうとしなかったが、男たちは力まかせに開かせてしまった。童子は、恥ずかしく思うこと限りなかった。
ところが、櫃の中を見てみると、法華経八巻があったのである。男らはこれを見て、恐れおののいて去っていった。童子も「不思議な事だ」と思い、喜んで帰って行った。

去っていった男たちの中の一人は、やはりこの事を怪しんで、「この正体を見破ってやろう」と思って、そっと童子の後をつけて行った。
童子は山寺に帰り着き、師の聖人に詳しくこの事を話した。師はこれを聞いて、不思議に思いながらも、喜んだ。そして、「これはひとえに、天が私を助けてお護りくださったのだ」と思った。
その後、聖人はこの魚を食べたが、そっとつけてきていた男は、山寺に来てこれを見て、聖人に向かって五体を地に投げ出して(五体投地で、最も丁重な礼拝の仕方。)、聖人に申し上げた。「まことに、これは、魚の姿をしているとはいえ、聖人様の食べ物なので、お経に姿を変えたのでしょう。私は、愚かでよこしまな心から、因果の道理を知らずして、この事を疑い度々責めて悩ましました。願わくば、聖人様、この罪をお許しください。今から後は、聖人様を私の大師として、深く敬い供養申し上げます」と言って、泣きながら帰って行った。
その後、この男は聖人の大檀那となり、常に山寺に行って、
心から供養するようになった。
これは、全く不思議な出来事である。

これを思うに、仏法を修業しながら身体を保っていくためには、様々な毒を食べることがあってもそれが返って薬となり、様々な肉を食べても罪を犯すことにはならない、と知るべきである。
されば、魚もたちまち変じて経となったのである。努々(ユメユメ)このような事をそしってはならない、
となむ語り伝へたるとや。

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