鹿の娘 ・ 今昔物語 ( 5 - 5 )
今は昔、
天竺の波羅奈国(ハラナコク・古代インド十六大国の一つ)に王城からそう遠くない所に一つの山がある。山の名は聖所遊居(ショウショユコ・多くの行者が修行する山、といった意味らしい。)という。
その山に二人の仙人がいた。一人は南の岳(オカ)に住んでおり、もう一人は北の岳に住んでいた。
二つの岳の中間に水をたたえた泉があった。その泉の辺りに平らな石が一つあった。
この南の岳の仙人は、この石の上に座って衣を洗い足を洗って住処に帰った後に、一頭の妻鹿がやって来て泉の水を飲んだ。そして、仙人が衣を洗った所に行ってすすいだ後の水を呑み、また、小便をした所を捜してその跡を舐めた。
その後、この鹿は懐妊した。月満ちて一人の女の子を産んだ。この子は完全な人間であった。
南の岳の仙人は、鹿が悲しげに鳴くのを聞いて、哀れな感情がわいてきて、外に出て見てみると、母鹿が一人の女の子を舐めていた。母鹿は、仙人が来たのを見ると、女の子を置いて去っていった。
そこで、仙人は、その女の子を見ると、これまでこのような子供を見ることもなかったが、端厳美麗(タンゴンビレイ・容姿が美しく整っているさま)にして気品のあることこの上ない。
仙人は女の子を哀れんで、自分の草の衣にこの女の子を包んで、住処に連れて帰った。
四季折々の木の実や草の実を拾ってきて女の子を育てた。
やがて、いつしか年月が過ぎて、この鹿の娘は十二歳になった。この娘に火を埋めさせて消させることがなかった。そのため、仙人の住処は火が絶えることがなかった。
ところが、ある朝のこと、火が消えてしまっていた。仙人は娘に言った。「わしは長年の間、この住処から火を途絶えさせることがなかった。それなのに、お前はどうして今朝火を消してしまったのか。今すぐ、あの北の岳の仙人のもとに行って、火種を貰ってきなさい」と。
鹿女(ロクニョ・女の子のこと)は仙人に教えられたように、北の岳の仙人のもとに行ったが、足を持ち上げる跡ごとに蓮華が生じた。
やがて行き着いて火種を乞うと、北の岳の仙人は、この娘が歩む足跡ごとに蓮華を生じるのを見て、不思議に思いながら、「娘さん、火種が欲しいのであれば、まずは我が家の周りを七周廻りなさい。その後で火種を差し上げよう」と言った。
娘は、言われるままに家の周りを七回廻ってから、火種を貰って南の岳の仙人のもとに返った。
さて、それから程ない頃、その国の大王が多くの大臣・百官を引き連れてこの山に入り、多くの鹿を狩ろうとしているうちに、この北の岳の仙人の家に行き着いたが、家の周りに蓮華が生えているのを見て、大変驚き褒め称えて仰せられた。「今日、我はここに来て珍しい物を見た。見事じゃ、見事じゃ。我は大変感動した」と。
仙人は王に申し上げた。「あれは、私の功績ではありません。この南の岳に仙人がおります。その仙人は、一人の娘を養育しています。その娘は端正美麗なこと並ぶ者とてありません。その娘が、今朝ほど、仙人の使いとして火種を取りにこの家にやって来ましたが、その時、足を上げるたびにその足跡に生じてきた蓮華なのです」と。
大王はそれを聞いて、その家から南の岳の仙人の住処に行かれて、仙人に話された。「そなたのもとに娘がいると聞いてきた。ぜひ、貰い受けたい」と。
仙人は、「私は貧しい身でありながら、一人の娘を育てています。差し上げるのに惜しむ理由はありません。ただ、今だ幼くして人との付き合いもありません。幼い時から深い山に住んでいて世間を知りません。草を織って衣服とし、木の実を拾って食物としてきました。また、この娘は畜生が産んだ子なのです」と申し上げた。そして、生まれてきた様子を詳しく申し上げた。
王はそれを聞いて仰せられた。「畜生が産んだ者だといえど、我は一向に差し支えない」と。
仙人は、王の仰せによって、娘を連れてきて奉った。
王は娘を請い受けてご覧になると、実に端正美麗なこと並々の者とはとても見えない。
そこで、すぐに香湯(コウトウ・香を入れた湯のことらしい。)でもって湯浴みをさせ、百宝の瓔珞(ヨウラク・首飾りや胸飾りの装身具。)でもってその身を飾り立て、大象に乗らせて、百千万の人々に前後を取り囲ませて、美しい音楽を奏でながら宮殿にお還りになった。
その間、父である仙人は、高い山の頂に昇って、遥かにこの娘が行くのを、身動きもせずに見送り、娘が遥か遠くまで去って見えなくなってから、もとの住処に返り、涙を流して恋い悲しむこと限りなかった。
大王は宮殿に還り着かれるとすぐに、娘を宮殿内に住まわせ、敬って第一夫人の地位につけて、鹿母夫人(ロクモブニン)と名付けた。すると、諸々の小国の王・大臣・百官が大勢やって来て、新しい夫人を見て喜び祝った。
王はその様子を見て心から喜び、ますます全く他の夫人たちを顧みることがなかった。
やがて、鹿母夫人は懐妊した。
王は、「もし男の子が生まれたならば、詔(ミコトノリ)して王位を継承させよう」と思われた。
月満ちて生まれるのを待っていると、一つの蓮華を産んだ。王はそれを見て、大いに怒って、「この后は、畜生が産んだ人間であるから、このような物を産んだのだ。極めて奇怪なことだ」と仰せられて、ただちに后の地位から外した。
そして、「その蓮華を速やかに棄てよ」と命じられて、池に棄てさせた。
命じられた人が、花を取って池に入れてみると、蓮華からは五百の葉が生じ、それぞれの葉ごとに一人の童児がいる。その姿は、みな端正美麗にして、世に並ぶ者とてない。
大王にこの事を申し上げると、王はそれをお聞きになると、王子をみな迎え入れられた。鹿母夫人をもとのように第一夫人に戻し、蓮華を棄てさせたことを悔いられた。
そして王は、大臣・百官ならびに小国の王・諸々の婆羅門(バラモン・古代インドの四姓制度の最上位に位置付けられる僧侶(司祭)階層。)を召して集め、五百の太子を抱かせた。また、大勢の占い師を召して、五百の太子の吉凶を占わせた。
占い師たちは、占なって「この五百の太子、みな尊い相をしておられます。間違いなく正しい教法の功徳によって世間に尊ばれることでしょう。国はその恩恵を受けることでしょう。もし在家(ザイケ・世俗の生活を営む人。)の身であれば、鬼神がその人を護り、もし出家の身であれば、生死(ショウジ)の海を断じて、三明六通(サンミョウロクツウ・阿羅漢果を修得した聖者が身につけているとされる超能力。)を得て、四道四果(シドウシカ・成道に至る四つの道と、究極の悟りに至る修行によって得られる四つの成果。)を身につけられるでしょう」と申し上げた。
大王は、占い師の言葉を聞いて大いに喜ばれた。国内から五百人の乳母を選んで召し出して、それぞれに養育させた。
やがて、太子たちはしだいに成長して、全員が出家を希望した。父母は、占い師の言葉に従って全員の出家を許した。そこで、五百人の太子は、全員が出家して、宮殿の後ろにある庭園に住んだ。そして、修業に努め、辟支仏(ビャクシブツ・仏に一度聴法した後、山林などに籠ってひたすら観想を行じ、独学自修して悟りを得た聖者の称。)となった。
このようにして、次第に四百九十九人の王子は仏道果を得た。父母の前にやって来て、「我らは、すでに仏道果を修得しました」と言って、様々な神変(ジンペン・神通力によって起こす種々の不可思議な現象。)を現じて般涅槃(ハツネハン・完全な涅槃という意味で、入滅を指す。)に入った。そこで鹿母夫人は、四百九十九の舎利塔を建てて、その辟支仏の骨をそれぞれに納めて供養した。
その後、あと一人の一番小さい王子は、九十日遅れて辟支仏となって、同じように父母の前にやって来て、大神変を現じて涅槃に入った。
鹿母夫人は、また、その王子のために一つの舎利塔を建てて、前と同じように供養した、
となむ語り伝へたるとや。
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