雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

絢爛豪華な産養 ・ 望月の宴 ( 112 )

2024-06-12 08:01:29 | 望月の宴 ③

     『 絢爛豪華な産養 ・ 望月の宴 ( 112 ) 』


若宮が誕生なさり、三日目におなりの夜は、中宮職の役人が、大夫(従二位藤原斉信)をはじめとして、御産養(ウブヤシナイ・出産後、三夜、五夜、七夜、九夜に行う祝いの儀式。)を奉仕なさる。
右衛門督(ウエモンノカミ・斉信のことで、権中納言、中宮大夫、右衛門督を兼ねていた。)は中宮への御食膳を奉仕なさったが、沈香の材で作った懸盤(カケバン・お膳)、銀の御皿などは、詳しくは見ていない。
源中納言(中宮権大夫源俊賢。正三位権中納言兼治部卿兼務。)、藤宰相(中宮権亮藤原実成。正四位参議兼右近衛中将を兼務。)は、若宮の御衣(オンゾ)、御襁褓(オンムツキ・若宮をくるむための布。)を奉仕。衣筥の折立、入帷子、包、覆いをした机(いずれも、御衣・御襁褓を入れるための物。)など、すべて白一色ではあるが、その作り方には奉仕される人々の趣向が尽くされている。

五日目の夜の御産養は、殿(道長)が執り行われた。
十五夜の月が曇りなく澄み渡り、秋深い庭の露の光りがまことに美しい折である。
上達部、殿上人が参上する。東の対屋に、西向きに北を上席として着座なさった。南の廂に北向きに、殿上人の席は西が上座になっている。
白い綾を張った御屏風を、母屋の御簾に添えて立て渡している。月の明かりが清々しく、池の汀(ミギワ)近くに篝火が灯されているが、そこに勧学院(藤原氏の子弟のための大学寮。)の学生たちが徒歩で参上した。見参の文(ゲザンノフミ・参加者の名簿)など啓上する。これに対して禄などが下賜された。学生たちの今宵の有様は、いつもにも増して仰々しく見受けられた。

ものの数にも入らないような上達部のお供の男たちや、随身、中宮職の雑事を務める者たちが、ここかしこに集まっていて、みな笑顔である。ある者は落ち着きがなく忙しそうに動き回っているが、それらの身分の者にはそれほどの喜びではないだろうが、それでも、新しく若宮が誕生したことは、光もたいそう明るいので、そのお陰をいただけるに違いないと思って、その事が嬉しくありがたいことなのだろう。
所々の篝火も、たちあかし(地上に立てて灯す松明。)も、さらに月の光もたいそう明るいので、御邸に仕える人々は、それほどの身分とも言えぬ五位の者なども、腰をかがめ、良い時期に巡り合ったものだという顔つきで、目的もなく行ったり来たりしているのも感慨深く見える。

年若く晴れの儀式にふさわしく安心できるような女房が八人、御膳を差し上げる。みな気持ちを合わせて髪上げ(女房の礼装)をして、白い元結いをしている。白木の御膳を持って続いて参上する。
今夜の御給仕役は、宮内侍(ミヤノナイシ・元東三条院詮子の女房、橘良芸子らしい。)で、堂々として気高く近寄り難いほどである。髪上げをした女房たちは、醜くない者たちなので、見る甲斐のあるすばらしい有様である。

上達部(カンダチメ・公卿)たちは、殿(道長)をはじめとして攤(ダ・サイコロを使う賭け事の一種。産養の恒例の遊び、らしい。)をお打ちになるが、賭物の紙について言い争うのは、聞き苦しく騒々しい。
和歌なども詠まれた。しかし、騒々しさに紛れて、その歌を探すも、書き方が乱雑でもあり、書き残すことが出来ない。
「女房よ、盃を受けよ」などと言って、和歌を詠むよう促しているが、座が乱れていて躊躇している。
『 めずらしき 光さしそふ 盃は もちながらこそ 千代をめぐらめ 』
( めったにない 光が差し加わって 若宮を祝う盃は 次々と持ち伝えて 千代をめぐるでしょう )
と、紫式部が口にささやき心に思うにつけ、四条大納言(藤原公任。この時はまだ中納言だった。)が御簾のそばにいらっしゃったので、歌の出来映えよりも、読み出すときの声づかいを恥ずかしく思われることだろう。

こうして、すべての行事が終り、上達部には女の装束に御襁褓が添えられた。殿上人の四位の者には袷の一襲と袴、五位の者には袿一襲、六位の者には袴と単衣である。これらは、しきたり通りであろう。
夜が更けるまで、屋内でも屋外でも様々めでたいことが行われて、夜が明けた。

     ☆   ☆   ☆







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