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根木勢介 さんの記事・・・いごっそう:はちきんの番付⑤-1

2012-12-29 | 根木勢介 さんの記事
根木勢介 さんの記事・・・いごっそう:はちきんの番付⑤-1
 
人間は、「ランク」付けをするのが、好きらしい。
相撲なら、横綱を目指して精進・稽古をするわけなので「横綱・大関・関脇・・・」
などのランク・番付は、あって当然だろう。
 しかし、「はちきんの番付」などは、どうだろうか。はちきんの横綱、また上位を
めざして、その結果どうかなるものではないからである。
もともと、上位をめざすものでもなかろうに。
 
是非は、ともかく、はちきんランキングなるものが、あったのでここに紹介します。
■土佐人(上):高知新聞社・高新ふるさと文庫 昭和56年発行・83pより
はちきん番付
<横綱”民権ばあさん”>
男の<いごっそう>と対をなすのが、女の<はちきん>である。
陽気で勝気なおてんば、男も顔負けの活力にあふれた女性を指す。
”はねっかえり”のひびきが強いからと、きらう向きもあるが、ここでは
たくましい土佐女”と解釈していただきたい。
 
ここに紹介する「はちきん番付」も、その基準で男女二人ずつに選んでもらった。
男の番付編成者は、「高知県婦人運動史」などの著書がある外崎光広・高知短大
教授(61才)と、作家の土佐文雄さん【51才)。互いに話合いはせず、別々に
作ったものである。
 
二人は、偶然にも東の横綱に楠瀬喜多を挙げた。
喜多女は、天保七年(1836)高知城下の車力人夫頭の家に生まれた。
藩の剣道師範だった夫に剣術やなぎなたを習い、鎖鎌も免許皆伝だったという。
未亡人となった三十九歳のころ、板垣退助の民権論に触発され、立志社の遊説隊に
加わる。
社中、ただ一人の女性で、多くの同志の面倒をみたところから”民権ばあさん”
と呼ばれた。
また、夫の死後、「戸主の身分で税を納めているのだから、当然、選挙権
あるはずだ」と婦人の参政権を要求。県へ書類で抗議し、内務省へも願い出たという。
「婦人運動史だけでなく、近代史の上でも特筆大書される。思想的にどの程度目覚めて
いたか疑問視する向きもある。が、明治十年代に婦人が婦人参政権を求めたのは、
全国でも異例の動きです」(外崎)
「正統派のはちきんとすれば、ダントツではないか。男がやるなら女もやってよいと
いう平等性の思想を持っている。」(土佐)
ご両人、文句なしのナンバーワンの推挙である。
 
以下、外崎さんは、自由民権運動の潮流に洗われ、刺激された明治の活動家や大正の
社会事業家ら五人を”役力士”とした。
 
西の横綱は山崎竹。植木枝盛の指導を受け、土曜新聞や東雲新聞に婦人参政権や
廃娼論を書いて、啓発した。
富永らくは、助産婦として独立、教師、記者と転じながら、一夫一婦を唱え、
社会主義への接近も見せる。
一方、土佐さんは、もう一人の横綱に、「よさこい節」のお馬さんを配する。
好きな相手と一緒になるのは当たり前、と駆け落ちした近代主義を高く評価する。
坂本乙女は、龍馬の姉。普通の女がする裁縫や料理はきらいで、学問、武術、絵を
かくのが好き。
現代ならさして驚くにあたらないが、まれな男まさり。
龍馬を偏愛し、世に出す素地をつくる。
「肉親をいちずに愛する土佐女の一典型」(土佐)との見方は支持者が多かろう。
徹底した男尊女卑の時代に、敢然と自己を主張する。反権力、反体制の動きに
加担する。
また、独立独歩の意気は、盛んで、経済的に一本立ちしようとする。
現代の土佐女にも、この血が流れている。高い離婚率なども、このガンバリズムの
影響であろうか。
 
<外崎光広 選>東横綱:楠瀬喜多  <土佐文雄 選>東横綱:楠瀬喜多
         大関:富永らく           大関:坂本乙女
         関脇:北村喜代衛          関脇:幸徳多治
 
        西横綱:山崎竹           西横綱:お馬
         大関:杉村作            大関:清岡静
         関脇:弘田里            関脇:富永らく
※根木のコメント:
 上記に上げられた女性12人の内、何人を皆さんご存知でしょうか。
 
 次回は、「女性が選んだ」はちきん番付です。
 どのような結果になるか、次回をお楽しみに。
 
根木勢介  携帯:090-2825-2069
 

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