松木さんの写真コーナー 目次(ここからは、カーソルをそのまま下に移動すると、スライドショウ的に連続してみることが出来ます)
松木さんの写真コーナー7・・・香長平野のナベヅル(焼き跡地で餌拾い)
松木さんの写真コーナー6・・・香長平野のナベヅル(散歩中の人も)
松木さんの写真コーナー2・香長平野のナベヅル(4号掩体の前で)
松木さんの写真コーナー1・香長平野のナベヅル(1号掩体の前で)
松木さんの写真コーナー 目次(ここからは、カーソルをそのまま下に移動すると、スライドショウ的に連続してみることが出来ます)
松木さんの写真コーナー7・・・香長平野のナベヅル(焼き跡地で餌拾い)
松木さんの写真コーナー6・・・香長平野のナベヅル(散歩中の人も)
松木さんの写真コーナー2・香長平野のナベヅル(4号掩体の前で)
松木さんの写真コーナー1・香長平野のナベヅル(1号掩体の前で)
松木さんの写真コーナー2・香長平野のナベヅル(4号掩体の前で)
香長平野のナベヅル(4号掩体の前で)
香長平野のナベヅル(4号掩体の前、右後方は香北町・御在所山)
出典:ウイキペディア 掩体壕(えんたいごう)
掩体壕(えんたいごう)は、航空機を敵の攻撃から守るための格納庫。掩体、掩蔽壕、掩壕とも言う。 通常は、コンクリート製でかまぼこ型をしており、内部に航空機を収納する。簡易なものは爆風・破片除けの土堤のみであり、天井がないものもある。なお英語ではBunker(バンカー)と呼ばれ、名称上は武装拠点であるトーチカと区別されていない。陸上自衛隊では「掩体」、航空自衛隊ではこれを行政上は「えん体」、運用上は「シェルター」と呼称する。
高知空港近くの南国市に7基残されているという[2]。南国市が文化財に指定し、掩体壕について説明する看板を設置。
南国市ののどかな農村風景を見ながら車で走っていると、黒い口を開けたかまぼこ型の人工物が突然目に飛び込んできます。掩体壕または掩体と呼ばれ、戦時中に航空機を空爆から守るために造られました。鉄筋コンクリート造りで頑丈に出来ています。戦後、木造などで撤去可能なものは撤去されたものの、幅42メートル、奥行き22メートル 、高さ10メートルの大型の掩体壕をはじめ、全部で7基(下図参照)がそのまま残されています。
全国的にも戦跡を文化財として残していこうという声がありますが、南国市にも、この戦跡を史跡として登録し、歴史を伝えようと活動している人々がいます。国内では原爆ドームをはじめ、様々な戦跡が史跡として登録されています。
出典:ウイキペディア ナベヅル
松木さんの写真コーナー1・香長平野のナベヅル(1号掩体の前で)
香長平野のナベヅル(1号掩体の前で)
出典:ウイキペディア 掩体壕(えんたいごう)
掩体壕(えんたいごう)は、航空機を敵の攻撃から守るための格納庫。掩体、掩蔽壕、掩壕とも言う。 通常は、コンクリート製でかまぼこ型をしており、内部に航空機を収納する。簡易なものは爆風・破片除けの土堤のみであり、天井がないものもある。なお英語ではBunker(バンカー)と呼ばれ、名称上は武装拠点であるトーチカと区別されていない。陸上自衛隊では「掩体」、航空自衛隊ではこれを行政上は「えん体」、運用上は「シェルター」と呼称する。
高知空港近くの南国市に7基残されているという[2]。南国市が文化財に指定し、掩体壕について説明する看板を設置。
南国市ののどかな農村風景を見ながら車で走っていると、黒い口を開けたかまぼこ型の人工物が突然目に飛び込んできます。掩体壕または掩体と呼ばれ、戦時中に航空機を空爆から守るために造られました。鉄筋コンクリート造りで頑丈に出来ています。戦後、木造などで撤去可能なものは撤去されたものの、幅42メートル、奥行き22メートル 、高さ10メートルの大型の掩体壕をはじめ、全部で7基(下図参照)がそのまま残されています。
全国的にも戦跡を文化財として残していこうという声がありますが、南国市にも、この戦跡を史跡として登録し、歴史を伝えようと活動している人々がいます。国内では原爆ドームをはじめ、様々な戦跡が史跡として登録されています。
出典:ウイキペディア ナベヅル
松木さんの写真コーナー