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根木勢介 さんの記事・・・龍馬その①:長岡謙吉特集

2013-02-19 | 根木勢介 さんの記事

根木勢介 さんの記事・・・龍馬その①:長岡謙吉特集

 

 

 今日は、龍馬研究会会報の新年号原稿、提出期限日でした。
会報原稿を送信したあとの”ほっとした気分”の中でメールを書いています。
 
◎お知らせ、です。
<Tさんから、次の情報をいただきました。>ぜひ、皆さんご覧ください。
 
●古木被害についての特集番組は、「四国羅針盤」の中で放映されることに
 なりました。
 
  ・放送日:25年1月25日(金)
       NHK総合テレビ
  ・時間: 19時30分~(30分程度)
  ・内容など:「御神木が狙われる」
        四国各地の被害その裏側を取材・・・
 
※根木のコメント:御神木を狙うやからに言いたい・『たたりがあるぞ』
 自然界のらゆるものに「霊」があると信じて来た日本の歴史(「塩」は、例外)。
 自然に対する敬虔な気持ちは、失いたくないものです。
 
 さて、先日Sさんから「長岡謙吉」についての質問をいただきました。
長岡謙吉を通して「龍馬」について考えることにもなるので”長岡謙吉特集”を
試みます。
 
■長岡懐山 土佐偉人傳・寺石正路著 昭和15年5月発行 24pより
 
長岡懐山(かいざん)名恂字(ひさし)子行(しこう)諱敦美(あつよし)通称は
謙吉 初今井純正(いまいしゅんせい)と称す 高知城下浦戸町の人 父孝順
(こうじゅん)家世医家たり 
 
天才奇頴(きえい)にして嘉永元年十五歳、大坂に遊び医を学び
更に東遊し鱸松塘(すずきしょうとう)、森春濤(もりしゅんとう)に詩を学ぶ 
後帰国し医業を開く 安政六年二十六歳蘭医シーボルトにつき洋書と医を学ぶ 
シーボルト其才を愛し子アレキサンルに邦語を教えしむ 
 
文久元年外教崇信の誣告(ふこく)を受け罪を獲て帰国し布師田川以東に
追放せられ鹿児村(かこむら)に閉居す 
山に檜木多し依て檜山(かいざん)と号し後修して懐山(かいざん)という
巳にして冤(えん)解く
 
 
慶応中坂本直柔が海援隊を組織するや其同盟に加わり文司となる 
当時海援隊の往復文書大抵其手に成らざるなし 
彼の有名なる坂本直柔が後藤象次郎に付興せし大政維新の八策又大政奉還建白書は実に
明治復古の根本なるものなるが皆恂(ひさし)の起草する所にして慶応三年徳川氏
大政奉還の事愈(じゆ)行わるるや後藤象次郎に書を寄せ曰く
 
微賤の私儀閑文字を以て天機未発(てんきみはつ)前より此事に関係致候儀撫身
 感悦仕罷在候云々
 
其得意想うべし 
 
 
同年長崎浦上地方天主教再燃の兆しあるや同教の人心を蠱毒(こどく)
するを慨し閑愁録(かんしゅうろく)を著し海援隊より之を出版し世に頒(わか)つ
 
明治戊辰高松征討の時藤澤南岳(ふじさわなんがく)に面し順逆をとき藩主之を納れ
事穏やかに収まる 
尋て小豆島を鎮撫し又東征に従い功あり 五年工部省に仕う 同年六月十一日没す 
享年三十九歳芝増上寺安養院に葬る
其崎陽(長崎のこと)竹枝の一左の如し 大正十三年正五位を贈らる
 
又見春風吹₂柳絲(いと)₁、眠醒劂(けつ?)帳引₂相思₁、阿郎手澤唐山扇、
一首楓橋夜泊詩、
 ※劂(けつ?)⇒眠りから突然醒める意味か?
 
※根木のコメント:
 ・名前などは原文のまま転記、「難字」は、現代漢字に一部修正しました。
 ・次回は、他の人が「長岡謙吉」をどのように評価しているか、見たく思います。
 
根木勢介  携帯:090-2825-2069 

 

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