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根木勢介 さんの記事・・・龍馬その4:長岡謙吉特集第4回目・「維新、大政奉還」の由来

2013-02-16 | 根木勢介 さんの記事

根木勢介 さんの記事・・・龍馬その4:長岡謙吉特集第4回目・「維新、大政奉還」の由来

 

 

 添付の画像は、横浜に「脱藩中」の龍馬を見かけたと二男が送ってくれました。

偶然、横浜の赤レンガ倉庫のところで見かけたそうです。

 

 

 先日は、少し風邪気味なので家に閉じこもっていました。

読もうと思っていた文藝春秋・三月特別号:「司馬さんが見たアジア」が読めました。

 今日は、その文藝春秋の中から・・・。赤字は、根木によるものです。

■日本、中国、韓国 歴史の風景:司馬遼太郎・昭和46年より

 ・・・。(途中略。)

 

・現金競争に敗けた幕府

 

 それで徳川期いっぱいが続いて、明治維新になって農業国家がだいそれたことに

 軍艦も製鉄所も持つ。

 ところが外国に売るべきものは生糸しかない。いま考えてもぞっとするほどによく

 やったものだと思います。

 考えてみますと、明治維新成立の段階での日本というのは東アジアどの国の農村

 よりも豊かですね。むろん豊かさといっても相対的なものですけれども。

 ところで儒教的中国体制の中国の農村からは物事は起こらない、韓国の農村からは

 絶対に物事は起こらないですけれども、日本の農村は五十軒に三軒は富農です。

 それはさっきからいっている競争の原理によって、田圃(たんぼ)がふえていく。

 江戸時代の百姓でもお寺の過去帳などを見ますと、五代前は貧乏だったのが五代後

 には富農になっていたりします。

 また冨が持続するわけではなくて、極道者が出れば没落するし働き者が出れば家が

 興る。猛烈に働いて荒地を開墾していくわけだからそのたびにお米がとれる場所が

 ふえていくわけです。

 幕末でも、長州や島津のように殖産興業とか干拓をやった所は、米はもういい、

 こんどは現金がほしくなったというわけで、現金をうるには殖産興業がいい。

 それは割に古くからやっています。幕府だけはやっていなかった。

 幕府だけにかわいそうなことに一種の儒教的ムードがあったためです。

 これは儒教体制ということではありません。この儒教的ムードのために、農民を

 大事にしろとか、農というものを基本にせよということが、儒教以外の別の事情

 からきていますけれども、江戸時代の初期からあって、幕府直轄領では最後まで

 殖産興業をしなかった、だから現金収入がない。

 現金収入はかろうじて天領の博多、堺とか横浜という新旧の港から吸い上げる金

 くらいです。だから競争に敗けるわけですね。

 長州と徳川家とは競争していたんだということが、結果論からいってもいえる

 わけです。現金を蓄める競争を。で、長州はそれに勝った、むろん薩摩も勝って

 いるわけです。

 だからこんな狭い、といってもヨーロッパの国から普通だけれども、アジア的な

 規模でいえば狭い国で一つの天下が千数年成立しており、今も日本人は天下だと

 思っている。

 それが外に押し出すときには倭寇になり、豊臣秀吉の朝鮮出兵になったり日中事変

 になったり、やぶれかぶれになると太平洋戦争になるわけです。

 ・・・。

 ヨーロッパの帝国主義には帝国主義なりの歴史と成熟とエネルギーが出来上がって

 ゆきますけれど、日本のはそんなものとはまったく関係なしで、国内の競争原理

 そのままで行くわけですから倭寇の形ですよ。だから日中戦争までは倭寇です。

 ・・・。

 

●この同じ雑誌より:儒教への厳しい目・宮城谷昌光より

 ・・・。(途中略。)

・中国人の姿は未来の日本人か

 ・・・。

 もちろん司馬さんだけではなく、日本人全体が、中国の言葉を借りて思想に転化

 してきました。いま使われている「維新」も『詩経』にある。

 

  周雖舊邦(周は旧邦といえども)

  其命維新(その命はこれ新し)

 

 「周という国は、以前からある古い国ではあるが、いまこうして殷(いん)の

 王朝を倒したゆえに、新しい国になりましたよ」という意味で、明治という国の

 新しさを世の中に伝えるとき、明治の日本人は、殷と周の革命を引き合いに

 出して説いたわけです。

 

  また、「大政奉還」という言葉も古代中国の故事からきた言葉です。周王朝の

 建国者、武王が亡くなってしまったため、弟の周公旦が政治をとりしきったが、

 革命期の混乱を乗り越えた後は成年になった武王の子、成王に政治権力を還した

 、というものです。

 政治であれ思想であれ、中国の歴史にない事例はないし、それを日本はお手本に

 してきました。いま日本人が批判する中国人の言動は、数百年後、数千年後の

 日本人の姿かもしれない。

 とはいえ、これまでの日本人は、中国から採り入れるもの、入れないものを

 分けています。

 たとえば、科挙や宦官(かんがん)といった制度は採用しなかったし、仏教は

 入れても、道教は定着していません。儒教は入れたけれど、中国人や朝鮮の人

 たちのように、生活の中まで入りこむことはなく、あくまで学問の世界に

 とどまった。

 そうした理由を考えることは、まさに司馬さんが生涯をかけて挑んだテーマです。

 司馬さんがいらっしゃらない現在、こんどは私たちが司馬さんの目をかりて

 、中国、そして日本を眺めることが必要なのかもしれません。

 

 

根木勢介  携帯:090-2825-2069

 

 

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