この前の「全国龍馬ファン集い」に参加された方、お疲れ様でした。
いよいよ、滋賀・福井行きも迫ってまいりました。
それでなくても、11月は行事の多い月ですね、体調に気をつけましょう。
今日の「龍馬の手紙を読む会」で越前藩にお金を借りるはなしが、出ました。
それに関係する話を以下と次回に展開します。
◆幕末福井藩の財政状況のこと:由利公正や岡倉天心実父の活躍
<シリーズ藩物語 福井藩 舟澤 茂樹著>p163~より
【富国の方針】
まず深刻な藩財政の窮乏の実態を明らかにしておきたい。
藩主春嶽は就任6年後の弘化元年(1844)頃から藩政改革に着手するが
当時の財政史料(松平文庫)によると、累積した借財総額は95万8454両に達して
いた。それでは当時の福井藩の歳入額はどれくらいであったのであろうか。
時代は少し下るが、「安政元年御本立凡積(ごほんだておよそづみ)」によると
歳出が8万7946両で、2万2470両の赤字とあるから、歳入はおよそ6万
5000両ということになる。藩財政は歳入の15倍ばかりの借財を抱えた深刻な
状況にあったのである。
藩政改革の重点は、まさにこの財政窮乏を克服することにあったといえる。
その方法として、従来の専売制への依存から脱却する、産業振興策の模索が始まった。
安政3,4年(1856,7)ころ、橋本左内が掲げた積極的貿易策はその方向を
示すものといえよう。左内は、蘭学を学び海外事情にも精通していたが、その頃下田で
始まった米国総領事ハリスとの交渉から、開国に向かう幕政の気運をも察知していた。
左内は藩に対する建議などによって海外交易の利を唱導していた。この交易論に共鳴
したのが由利公正(当時三岡八郎)で、通商条約調印後を目指して準備にかかっていた。
ところが、その条約発効直後の安政6年10月、左内は後述する将軍継嗣問題に
かかわったことで、幕府によって処刑されてしまった。由利は理論的指導者を失って
その出鼻をくじかれるが、やがて左内に代わり指導することに
なるのが、横井小楠であった。
横井小楠は、安政5年4月、教育顧問として福井藩に招かれていた。
やがて彼は藩首脳と藩政の基本政策について協議し万延元年(1860)に
「国是三論」をまとめている。その富国論の骨子は次の通りである。
交易によって民を豊かにすることが「富国」の大前提で、領民が富むことこそが、
藩(国)が富むことになる。そのためには、領民が生産物を商人に買い叩かれない
ように、藩営貿易がなされるべきである。藩がその利益を貪らなければ、生産者で
ある領民に冨が蓄積される。さらに民を豊かにするためには彼らが増産に励むことが
必要だが、その元手となる生産資金は藩が無利子で融資しなければならない。
その資金の調達方法として藩札(紙幣)を発行する。仮に一万両の藩札を
領民に貸し付け生糸を生産したとする。その生産物を開港場で売却すると
正金一万一千両が得られる。かくして藩札(紙幣)が正金に変わった上に、
さらに1000両の利益が得られる。藩は、その正金を生産販売に充当すれば
必ずや藩財政は安定する―というのが横井の富国策の骨子であり、我が国が
初めて国際貿易を始めるという状況下にあって、産業資金の融通で商品を生産し
、海外交易によりその成果を確実に収めることができる具体的な方法を
明示したのであった。
小楠の理論を現実の施策として実践したのが、経済担当の由利公正らである。
安政6年には産業資金として藩札5万両の発行を決定、藩営貿易の拠点として
”物産総会所”を開設した。当会所は、福井城下九十九橋北詰めの藩札元締め
駒屋方に設けられた。
物産総会所に集荷された産物は、横浜・長崎の藩営商社を通じて海外に輸出された。
福井藩の横浜商館石川屋には、岡倉天心の父に当たる岡倉覚右衛門が送り込まれた。
岡倉は、”制産方下代”という下級武士であったが、算盤の才能を見込まれ藩命に
よって商人となり、越前屋金右衛門と名乗る。福井藩をバックに越前の生糸・
紬(つむぎ)・紙・茶などを海外に輸出した。横浜に次いで長崎にも福井屋を
出店した。福井城下商人の三波波静が、藩の支援のもとに生糸の輸出を
行ったのである。
福井藩の商品生産は活気づき、生糸・布・木綿・茶・麻等が盛んに産出された。
由利の伝記によると、文久元年(1861)に長崎から輸出された生糸だけでも
25万ドル(100万両)の販売実績を上げたという。
かくして春嶽の代において着手された経済再建策は、茂昭の代に軌道に
のったのであった。
※岡倉天心:文久二年(1862)福井藩の横浜商館の経営に当たっていた
覚右衛門の長男として、横浜商館にて生まれる。明治期美術界の
指導者。本名は、覚三、天心とする。大正二年(1913)没。
幕末の福井藩が、生糸でめざましい業績を上げたように維新後、生糸などで
横浜有数の実業家となったのが、福井藩士の吉田健三(茂の養子先の養父)。
◆吉田茂と福井藩の関係:以下を参照ください。
次回は、その②「坂本龍馬の福井訪問:お金を借りた話は、本当?!」
根木勢介 携帯:090-2825-2069