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橋本龍太郎元首相が死去 

2006年07月02日 | 時事問題
橋本龍太郎元首相が死去 68歳

中央省庁再編や、沖縄の米軍基地負担軽減などに取り組んだ橋本龍太郎(はしもと・りゅうたろう)元首相が1日午後2時、多臓器不全、敗血症性ショックのため東京都新宿区の国立国際医療センターで死去した。68歳。岡山県出身。自宅は東京都港区。喪主は未定。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。喪主は長男、龍(りょう)氏。  

昨年8月の衆院解散を機に政界を引退した橋本氏は6月4日に腹痛を訴え入院し、腸管虚血と診断され、大腸のほとんどと小腸の一部を切除する手術を受けていた。  

昭和38年に元厚相の父龍伍氏の死去に伴い、衆院旧岡山2区から出馬し26歳で初当選。連続14回当選。政策通として頭角を現し、竹下派で小沢一郎氏(現民主党代表)らと「7奉行」と称された。厚相、自民党幹事長、蔵相、通産相を歴任し、平成7年9月の自民党総裁選で小泉純一郎氏(現首相)を破って総裁に。村山富市首相の退陣で8年1月に第82代首相に就任した。  

行政改革など「六大改革」を唱えて、現在の1府12省庁の中央省庁再編の道筋を付けた。クリントン米大統領(当時)と沖縄の米軍普天間基地の全面返還で合意し、冷戦後の日米同盟を再定義する「日米安保共同宣言」を発表した。また、ペルー日本大使公邸占拠事件の解決に当たった。  

消費税率を5%へ引き上げ、財政再建を進めたが、銀行・証券の破綻(はたん)が相次ぎ、景気減速で財政構造改革路線の転換を迫られた。10年7月の参院選で敗北して引責辞任した。  

13年の総裁選で再登板を目指したが小泉氏に惨敗。日本歯科医師連盟からの1億円献金隠し事件を受け、16年7月に橋本派会長を辞任した。慶応大卒。
(07/01 21:48)産経新聞


橋下元総理も色々な評価がありますが、68歳というまだまだの歳、ご冥福をお祈りします。


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