おいしいお茶を。

お茶を傍らに。日々の些細な出来事やニュースなどをゆるゆると。

春の風景

2009年04月21日 | 風景
様々な春模様です。


池に映りこむ桜や樹木。




蕾から開きかけ。さて何でしょう?
朴葉寿司がヒント。




たんぽぽ。




綿毛。




花水木。


働く

2009年04月21日 | 時事
21日のクローズアップ現代で非常に興味深い問題を取り上げていました。
副題は「“共働き社会”が壊れる ~女性の雇用危機~」

番組HPより引用。↓
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国内の女性労働者は現在、およそ2300万人。「共働き」の割合は、97年頃から「男性片働き」を逆転し、女性の収入が中流家庭を支える砦となってきただけに、影響は大きい。保育所不足も深刻だ。夫の収入減少を理由に求職する子育て女性が急増、待機児童が増えている。
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少子化は女性の社会進出が一因だのと言われた時期がありました。
今は晩婚化・非婚化だと言われています。
でも実際のところ、お金と意識の問題ではないかと思うのです。
・・・ここ数ヶ月の世界同時不況は少しおいといて。

身も蓋もない言い方ですが、安定した収入がなければ生めないし育てられません。
「女は結婚したら家庭に入れ」は早い話、男性が家事から解放されて仕事だけしたい、
という環境を望むからではないかと思います。
右肩上がりの経済成長を続けていた時代はそれでよかったのかもしれません。
でもモノが足りてきた成熟社会に突入した今は、価値観も当時とは異なっています。
女性も普通に働いて子どもを育てたい。
でも出産のためには産前産後休暇で仕事から離れる時期があります。
子どもの具合はいきなり悪くなります。その時に急に休みをとらざるをえないのは
母親、つまり女性です。
そうなると、「女は仕事に穴をあける、すぐに休む、だから役に立たない」という
方程式ができあがります。
そんなことはないと否定する男性もいるでしょうが、そういう意識をもつ職場環境は
まだまだ多数を占めると思います。
で、この不況。仕事がなくなり、ますます家計が苦しくなります。
(男性の)仕事がないのに、女の仕事の確保までかまってられるか、となるでしょう。

でも、番組でも紹介されていた家計に占める女性の収入の割合が増えている実態は
一体どう説明するんでしょうね。
国が発表する時の平均世帯はいまだに夫が働き妻は専業主婦というモデルです。
いい加減この意識変えませんか。
女性も普通に働ける社会のほうが出生率高くなると思うんですが。
あ、夜中まで働かないと回らないという仕事の仕方、男性にもよくないと思いますよ。

北欧は福祉先進国といわれますが、人口が少ないから女性も働く必要があり、
そのために育児などの社会保障を充実させる必要があったのです。
考え方も北欧タイプにしてみませんか。
政治家や企業トップの男性方。

移植

2009年04月21日 | 時事
臓器移植法で新案作成に着手=年齢撤廃、脳死厳格化が柱-自・民(時事通信) - goo ニュース

子供の臓器移植に光 廃案回避、海外も提供規制 改正案、来月にも採決(産経新聞) - goo ニュース

病腎移植訴訟 ドナー待つ身からドナーに 元患者、死に際し角膜提供(産経新聞) - goo ニュース

4月21日付産経新聞より
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残された道は再移植だが、脳死腎移植などの腎臓提供は、移植を希望する患者に対して極めて少なく、臓器提供者が現れるのは絶望的。下西さんはすがる思いで、当時可能だった病腎移植に懸けた。

ところが、一連の病腎移植問題で、この道も事実上、閉ざされた。それでも、わずかな可能性にかけ、原告団に名を連ねる決心を固めた。「病気の腎臓をもらってまで生きたいの?」。周囲の言葉に思わず涙がこみ上げたこともあった。「3年でも5年でもいいから生きたい」と願ったが、思いは届かないまま、昨年10月、亡くなった。
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海外での臓器移植禁止というWHO(世界保健機関)の決定を受けて、15歳未満の人の
臓器移植問題が浮上しています。
小さい子どもの脳死判定は難しいことなどから棚上げになっていたこの問題。
でもどうしても助けたいという思いから、やむなく渡航して移植を待つ家族の姿が
時々報道されていました。
そのたびに素朴な疑問として感じていたのが、海外の国では小さい子どもでも
ドナーになるのに、何故日本ではそれほどまでに抵抗があるのだろうかということでした。
別に深い意味はありません。
ひとつの命から別の命に臓器が提供されるのには、提供する家族も提供される家族も
つらい選択をそれぞれしているはず、と思っているだけです。
(提供という言葉自体、抵抗がありますが)
今回国会で審議・採択されるのは国内のそういった家族の声が届いたからではなく、
WHOの決定によるところが大きいというのが皮肉です。
骨抜きの改正案だったり、実際の活用ができなかったりといった事態にはならないで
ほしいなと思います。

この話と一緒に書くのは気が引けますが、この角膜を提供した方。
一旦は腎移植を受けながらその後悪化、透析をしながら生きる道を探していた方。
結局生きることを切望しながらもかなわず、お亡くなりに。
「病気の腎臓をもらってまで生きたいの?」という言葉は非常につらかったでしょう。
(そういう言葉を投げる人はおそらく闘病経験がないのでしょう。でなければ
そんな言葉は言えないと思います)

結局年齢にかかわらず、つらい思いをする方は同じなんだなとふたつの出来事から
感じました。自分の死後、ドナーになるか真剣に考え直そうかと思います。