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ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

【寺】 藤尾山 覚音寺

2019-11-13 16:16:48 | スピリチュアル

2019年11月3日(日)

 

長野県大町市八坂にある「藤尾山覚音寺」に行った。

 

今日は春季大祭の大護摩供の日。

会場はお寺ではなく、八坂公民館前。

護摩業を行ったのが、奈良の吉野山金峯山寺の方。

このお寺は、平安時代中ごろ快尊上人によって創設され、傘下の寺院が12坊ある大きな寺院だった。

始めは天台密教のお寺であった。

江戸時代に曹洞宗に変わり、明治維新後は廃寺になってしまった。

現在は、吉野山金峯山寺を本山とする金峯山修験本宗の末社となっている。

 

ご本尊は千手観音であり、脇侍の持国天・多聞天の3像は重要文化財となっている。

 (覚音寺パンフレットより)

千手観音像の中には墨書木札1枚、紙本千手観音摺仏28枚、白銅鏡1面が納められていた。

造立は平安時代末期、治承3年(1179年)

観音像の施主はこの地域を治めていた仁科盛家とその妻子。

仏師は慶円六郎坊。

脇侍の持国・多聞量天像は鎌倉時代初頭、建久6年(1195年)造立。

持国天像には大修理のあとがある。

 

本日は護摩供のため、本堂が開いていたがいつもは受付に申し込み本堂内を拝観する。

近くで見ると古さを感じない作り。

本堂は新しく綺麗であり、心を落ち着かせることが出来る。

 

また、仏像の横には胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅がかかっていた。

こちらも見ごたえのあるものだった。

 

千手観音の胎内に白銅鏡を納めた仁科盛家の妻は、その後出家し仏母尼と称した。

そして、高野山遍照光院に阿弥陀堂を建立し、仏師快慶作の阿弥陀三尊を施入している。

 

お寺までは車がないと行くのは大変である。

入口には大きな看板が立っている。

しかし、お寺の近くの道はとても狭い上に案内板が小さくわかりにくい。

 

4月の最終日曜日には春季大祭として大般若経転読会(経典の虫干し)が行われる。

古くからあるお寺であるが、場所が不便なため静かなところである。

桜の時季と紅葉の時季大祭に参加するのは良いかもしれない。

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熱海の神社

2016-12-27 22:05:56 | スピリチュアル

クリスマスだというのに神社参り。

いつもとは違った角度から神社を見た。

 

まずは「来宮神社」

久々に訪れたら、とても綺麗になっていた。

赤い鳥居と竹と青空が美しかった。

社務所が綺麗になり、カフェが出来ている。

でも、それが神社の雰囲気を壊していない。

楠の木を1周。

これで1年長生き。

ところどころに、便利物があった。

ここにスマホを立てかけて撮影が出来る。

「撮ってもらえますか?」が不要なのである。

 

次に行ったのは「伊豆山神社」

今日は海岸からではなく、途中から。

ここは縁結びの神様と言われているが、縁結びの神様の祠は階段の途中にある。

夕暮れの綺麗な時間

色々なところの電燈がついた。

伊豆山神社の裏の大鳥居は小泉今日子さんが寄贈した物。

何をお願いしたのだろう。

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【寺】北向観音(きたむきかんのん)

2016-05-29 09:05:01 | スピリチュアル

北向観音堂は、平安時代初期に比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場。

厄除け観音として知られている。

本堂と御本尊の千手観音様が北を向いている珍しいお堂。

このお堂は、南向きに建立されている善光寺の阿弥陀様と向き合っているといわれている。

千手観音は現生利益を願い、阿弥陀如来は未来往生を願う。

そのため、片方だけでは「片詣り」とよばれ「向き合っている両方をお参りするとよい」言われている。

 

なぜ北をむいているか。

その由来は、観世音菩薩が出現の際のお告げによるものらしい。

「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」

 

本堂の周りには沢山の絵馬が奉納されていた。

何点か気になった絵馬があった。

三教の図「老子」「釈迦」「孔子」

それから「善光寺大地震」

1847年5月8日夜10時。

善光寺の御開帳の年に起きたM7.4の地震の事である。

北向観音を信仰していた男性は、お供の者達は先に善光寺に行き、自分は北向観音にお参りに寄って行ったため、地震合わずに助かったというお話の絵馬。

日本はどこに行っても地震がつきまとうらしい。

 

洗水は天然温泉が湧き出している。

額堂(絵馬堂)には仁王像が安置されている。

 

鐘楼と梵鐘と愛染カツラ

愛染カツラは樹齢1200年の老木で、とてもパワーを感じた樹だった。

境内の東隅にある愛染明王堂とこの桂の木に因んで川口松太郎さんが「愛染かつら」を書いている。

「縁結びの霊木」とも言われている。

 

びっくりするような高さの「温泉薬師瑠璃殿」がある。

どうやって参拝するのだろう?

なぜ、こんな作りにしたのだろう?

不思議な建物。

 

北向観音参道 で厄除けまんじゅうを食べた。

 短い参道だけど、昔から変わらないのだろう。

お店の前でお饅頭を食べながら、昔を感じていた。

 

ここは別所温泉。

最近出来た「足湯 ななくり」につかった。

熱めのお湯で、足が赤くなる。

でも、私にはちょうどいい。

 

ここは、今年の大河ドラマ「真田丸」の地。

長野県上田市。

上田駅から別所温泉までは「上田電鉄別所線」が走っている。

レトロな電車に駅。

この電車に乗って、温泉でゆっくりするのも良い旅行だと思う。

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【寺】 可睡斎

2016-02-20 09:07:22 | スピリチュアル

萬松山(ばんしょうざん)可睡齋(かすいさい)

現在は曹洞宗のお寺。

徳川家康と関係の深いお寺。

家康が幼いころ武田信玄の軍から逃れるために、父親とこのお寺に逃げ助かった。

寺の裏には、逃げた穴がありその後、家康が出世したことから「出世六の字穴」と呼ばれている。

 ご本尊は聖観世音菩薩。

もともとは「東海軒」と言っていたが、家康が助かったお礼に訪れた際、11代目の住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は居眠りをした。

それを見た家康は 「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」と言った。

それ以後、この和尚の事を「可睡和尚」といい、後に寺号も東陽軒から「可睡齋」と改められた。

 

この可睡斎で有名なのがトイレ。

トイレは「東司」という。

戦前からの水洗トイレで、日本一大きな烏蒭沙摩(うすさま)明王像が安置されている。

 

そして、本殿の隣に「秋葉総本殿三尺坊大権現」の御神体を祀った御神殿がある。

もともとは別のお寺にあったが、山の上にあったため、こちらに移したそうだ。

その後、神仏分離等があり御本尊はここに祀られているが、元の山の里の方には「秋葉山本宮秋葉神社」が建てられている。

昨年は7年に一度の御開帳で、カラー版のお札をいただいた。

御本尊、とても可愛いのだ。

 

可睡斎は禅の修行道場なので、座禅や写経も体験できる。

また、精進料理教室や精進料理も頂くことが出来る。

すべて予約が必要なので、HPでご確認を。

眠れない方も良いようです。

 

春にはゆり園

初夏は牡丹

そして、春にはお雛様

 

遠州三山のひとつ。

油山寺、法多山と自分を見つける旅はいかがでしょうか。

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【寺】 豪徳寺

2016-02-12 09:02:02 | スピリチュアル

招き猫の発祥の地「豪徳寺」に行ってきました。

豪徳寺でいただいた「招福描児(まねきねこ)の由来」を見ますと、

昔は貧乏寺だったのですが、和尚が猫を愛し、自分の食べ物を猫に分け与え、我が子のように育てていたそうです。

ある日、和尚は猫に向かって言いました。

「おまえ、愛育の恩を感じているのなら、何か果報を招き寄せないかい」

それから、時が過ぎた夏の日の午後、寺の門の前に鷹狩りの武士たちが馬を降りていました。

「我らが寺の前を通ろうとした時、門前に猫が1匹うずくまり、我らを見て手を上げ頻りに招いていた。あまりにも不審なので訪ねてきた。しばらく休息させてくれるか」

和尚は武士たちを招き入れました。

しばらくすると、夕立が降り出したので和尚は説法を始めました。

武士たちはとても喜び、このお寺を大切にしてくれたそうです。

その武士は「江州彦根の城主井伊直孝」であり、豪徳寺は井伊家の御菩提所となりました。

和尚は猫に感謝し、その猫の姿形を作り「招福描児」としたとのことです。

 

本堂は普通の本堂です。

 

こちらが「招福描児」を祀ってあります。

こちらの横に回ると

沢山の猫たちがいます。

この子たちは受付で売っています。

良く見ると、顔がそれぞれ違うのです。

私も2匹の猫を買い、1匹は自宅へ、1匹はここに預けてきました。

このお寺と我が家に道を作ったつもりです。

これ、私のにゃんこ。

名前書いてくるの忘れちゃったので、次に探し出せるか・・・。

 

このお寺には三重の塔があります。

ガイドの方が教えてくれました。

隠れニャンコがいることを。

こちらも探してください。

 

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