2019年11月3日(日)
長野県大町市八坂にある「藤尾山覚音寺」に行った。
今日は春季大祭の大護摩供の日。
会場はお寺ではなく、八坂公民館前。
護摩業を行ったのが、奈良の吉野山金峯山寺の方。
このお寺は、平安時代中ごろ快尊上人によって創設され、傘下の寺院が12坊ある大きな寺院だった。
始めは天台密教のお寺であった。
江戸時代に曹洞宗に変わり、明治維新後は廃寺になってしまった。
現在は、吉野山金峯山寺を本山とする金峯山修験本宗の末社となっている。
ご本尊は千手観音であり、脇侍の持国天・多聞天の3像は重要文化財となっている。
(覚音寺パンフレットより)
千手観音像の中には墨書木札1枚、紙本千手観音摺仏28枚、白銅鏡1面が納められていた。
造立は平安時代末期、治承3年(1179年)
観音像の施主はこの地域を治めていた仁科盛家とその妻子。
仏師は慶円六郎坊。
脇侍の持国・多聞量天像は鎌倉時代初頭、建久6年(1195年)造立。
持国天像には大修理のあとがある。
本日は護摩供のため、本堂が開いていたがいつもは受付に申し込み本堂内を拝観する。
近くで見ると古さを感じない作り。
本堂は新しく綺麗であり、心を落ち着かせることが出来る。
また、仏像の横には胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅がかかっていた。
こちらも見ごたえのあるものだった。
千手観音の胎内に白銅鏡を納めた仁科盛家の妻は、その後出家し仏母尼と称した。
そして、高野山遍照光院に阿弥陀堂を建立し、仏師快慶作の阿弥陀三尊を施入している。
お寺までは車がないと行くのは大変である。
入口には大きな看板が立っている。
しかし、お寺の近くの道はとても狭い上に案内板が小さくわかりにくい。
4月の最終日曜日には春季大祭として大般若経転読会(経典の虫干し)が行われる。
古くからあるお寺であるが、場所が不便なため静かなところである。
桜の時季と紅葉の時季大祭に参加するのは良いかもしれない。
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