フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

日本にいる私にフランス人が娘さんのパリの宿泊先の紹介を頼む?

2023-05-31 09:16:21 | 来日の友人たち

サバイバル旅行になった昨秋大変お世話になったリヨン在住の日仏カップルの娘さんが今年の3月に我が家に一週間ほど滞在した。

 

彼女のお父さんが息子さんと来日したのは2021年の夏で、コロナの規制が厳しいころで、もちろん日本では到着後隔離必須の時だった。

到着日に最悪空港で寝ることになるかもしれないとのことで、男性2人でやってきたのだった。

運よく?空港泊は免れ、無事レンタカーで移動もできて、実家での一週間の隔離(だったと思う)をされてから、奈良へ来られ、その時は彼らの家(貸家にしていたのだが、コロナで空いてしまっていた)そこに滞在されていて、帰国前に一泊わが家にお父さんだけ泊まった。(息子さんは先に帰国)

 

今年は隔離もなくなり、ブリジットさんと娘さんの2人で来る予定だったのだが、ブリジットさんの外科的手術があり、娘さんのみだった。

彼女は日本の高校を卒業し、4年ぶりの来日とあって、相当楽しみにしていたようだ。

 

昨年からモード系の専門学校の研修でパリで働いている。

残業はもとより、休日返上になることも多く、「嫌ならやめてくれて結構」というなかなか厳しい研修だそうだ。

彼女がパリに滞在する際、そのアパートについて、どこか知らないかとブリジットさんから私に相談があった。2019年のクリスマスに滞在していたアパートというか、貸し部屋を紹介したところ、長期になると家賃が安くなるので、そこを借りて住んでいる。

私も2021年の春に3ヵ月滞在の夢があったので、もしかしたら貸してもらうことになったかもしれないところであった。

 

ここは少しパリの郊外だが、メトロ1号線が通っていて、ストの時も自動運転のため、影響を受けないという利点があると彼女も言っていた。また仕事で遅くなる彼女にとって治安がいいことも魅力だと言っていた。

 

この家は2軒分を一つにしたような家なので、半分を貸家にしていて、半分に大家さんのミッシェルとピエールが住んでいるので、何かあっても安心ではある。ただ欠点もある。キッチンももちろん別にあるが、貸し家の方は簡易キッチンであること、また他の賃借人が入ればその人と共用になる。彼女の場合は、その部屋も友人が借りているので問題がないそうだ。

しかし、大家さんの奥さんはかなりきっちりしているので(元高校の校長)、私が借りた時も言っていたが、「日本人に、そして、できればある程度の年齢の人に貸したい。」と言っていた。つまり部屋をきれいに使ってくれるからということであった。

彼女たちも厳しく注意されることが時々あるとか。

でもパリで(あえてパリといえるくらいの立地)、この料金でというのはかなり難しいので、若い彼女たちにとってそれは目をつぶってもいいくらいらしい。

 

前置きが長くなったが、彼女の来日時の宿泊先の相談で、もちろん快く「どうぞ我が家に好きなだけ」と申し出たのだった。ブリジットさん曰く、「日本人で本当に例外的」と言ってくれたが、私たちはフランスで友人宅に泊めていただくので、その恩返しをこめての申し出である。

それがたとえ直接お世話になった人でなくてもいいのだ。こうしてお返しさせていただくから、エスカレーターのように一方的に何度もこちらがお世話になる人に対しても恩返しになっていると思うと少し気が楽になる。

それが私たち流の交流ということだ。


入国緩和が進み、しかも円安の追い風で、友人たちの来日計画がドカッとやってきた。

2023-05-25 09:08:00 | 来日の友人たち

サバイバルともいえる2022年の秋の旅行を書き終え、今年2023年は、入国緩和が進み、外国人の来日ラッシュが続いているが、私の友人のフランス人ももちろん計画を知らせてきているし、今日の時点で、すでに3月、4月に我が家を訪問している友人たちがいる。

 

また6月以降の来宅も続いている。先は来年の2月まである。



6月には、今すでに来日して北海道に滞在中で、6月の20日以降関西滞在予定の絵描きとその恋人。残念ながらお母さんのイザベルは北海道のみで帰国するそうだ。

 

 7月にかけては、まだ子供だった時両親と奈良にやってきた男の子が大学生になって連絡をしてきてくれたので、再会を楽しみにしている。

 

 もう一組、ブルターニュに住むマルゴ夫妻の親戚も来日予定でどこかいい宿を知らないかと連絡があったので、奈良ではぜひうちにと、返事をした。

 

 昨日は、来年二月に恋人と来日が決まっているアンジェルから奈良にも一週間ほど滞在するとの連絡が入ったので、ぜひうちにと言うことで、確定した。

 

 早く日程がわかるとこちらも調整しやすいのでありがたい。

 

ジャンルイさんも秋に来日を決めたようであるし、アルルでお世話になったクリスチャンも秋の来日を願っているようだ。

 

 来春以降も確定ではないが、今年の予定を来年にしたというアルザスのガンツ夫妻、またハンバーグ家族も来年の来日を計画しているとのことだ。

 

 うかうかしているとこっちの渡仏計画が危うくなってくる。

おりしも来年はパリオリンピックの年であり、観光客が多く訪れる時期は避けたいと思うと、計画が立てにくい。

 

まあ、航空券の値段をにらみながら、少しずつ、来日フランス人の滞在を記していこうと思う。





奥さんのご機嫌がよければ幸せというフランス人男性の例外事件!

2023-05-23 12:07:01 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

2022年の秋の旅で、書き忘れていたことがある。

 

それは、サンジェルマンアンレーのパトリックが、コロナの最初のロックダウン時に建てたという「お茶室」(と彼が称する)でのことだ。

 

彼はこのお茶室を私たちに見てもらいたいと、出来上がった時から写真をメールで送ってきてきていて、「ここでお茶をしてほしい」と、私達の訪問を楽しみにしてくれていた。

だからサンジェルマンアンレーに行くことは、計画を立てる上で不可欠なことだった。

最初は日帰りのつもりだったが、彼はぜひ一泊をと言ってくれたことで、このお茶室で簡単なお手前を披露することができた

 

実際、この日は私の体調は正直良くなくて、庭にあるので少し寒いこともあり、その「茶室」でお茶をするかどうか迷うところではあった。しかし、一生懸命手料理尽くしでもてなしてくれた彼へのお礼を考えるとそんなことは言っていられなかった。

 

もちろん奥さんのシルヴィも一緒に楽しむことになった。

しかし、ここで失敗をしてしまった。

フランスの事とてLes Dames d’abord(直訳だと、まず女性)つまりレディーファーストでしかないと、お正客はやはり奥さんのシルヴィにすることにした。

 

自分より奥さんのご機嫌がよければ幸せというフランス人男性が圧倒的に多い。

もちろん普段のパトリックもそうだ。

お点前の流れに沿って説明をしながら、進めていた。

シルヴィもパトリックにもお茶を飲んでもらった後、「拝見」をする段になり、私がこういった。「拝見など質問は正式なお茶会ではお正客だけがすることになっています。つまりお正客は大切なお客様の代表ということなの。他のゲストは黙って静かにその問答を聞いて楽しむのですよ。」

 

その説明をした時、間髪入れずにパトリックは言った。

「この茶室は私が建てたんだよ。シルヴィに猛烈に嫉妬するよ!!!」と。

 

しまった!!!!と思っても後の祭りだった。

そうだった。彼にしてもらうのが本来の正しい選択だった。うかつにもそのことに気づけなかった。

ここで、「シルヴィならいいよ」とはならなかったのだ。普通のフランス人なら「Les Dames d’abord」に文句はないだろうし、ましてや自分の奥さんなのだから、というように無意識に考えてしまった。彼のこの「茶室」に掛けた思い入れは、そんなことではなかったのである。

 

帰国してからもずっとパトリックにお正客をしてもらうべきだったと、深く反省している。

彼の大切な「茶室開き」のセレモニーだったんだからなぁー。

 

なお彼の言う「お茶室」は広さは3畳くらいで、床は板張り。一番の特徴は板壁に大きな丸い窓が抜かれている。いろいろ物が置かれて雑然としているが、その室内から椅子に腰かけて庭を眺めて、楽しんでいるという。

下の二枚は彼がお茶室完成後、送ってきてくれていた写真である。↓


もう夢はまたフランスを駆け巡る。

2023-05-14 09:29:46 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

私は帰国後すぐに航空券をチェックしたほど、こんなサバイバル体験をしてもフランス愛は変わらない。

次行けるのは何時だろう。

 

また次はどんな滞在をすればいいのだろうか。そんなことを改めて考える。

今回は、何とか切り抜けられたが、反省点もある。

 

友だちに会う旅、友人宅をはしごする旅、を少し見直す必要があるのかもしれない。

例えば、今回、ホテル泊であれば、また少なくともパリに南仏から戻ってからだけでもホテルかアパートを借りていれば、罹患しなかっただろう。

 

会う友人をもっと限定することも考えたほうがいいのかもしれない。

今回、滞在は12家族、訪問した家を含めると20家族くらいあった。

それがスーツケースの数を増やし、重く、移動が困難になる大きな原因だ。今回は荷物の移動でも頭を悩まし、幾人かの友人に大変な思いをさせることにもなった。

 

2015年にスペインで12泊したときは、すべてホテル泊で、中型のスーツケース1つと機内持ち込み用のキャリーが一つだった。

暖かい時期に行くと荷物も少なくて済む。

 

漠然と考えているのは、パリなしの南仏中心の滞在。

ネックは日本からのフライトがまだ元通りではないこともあり、また乗り継ぎ便になると他の国のどこかの空港を経由するのも、あまり嬉しくないところ。

乗り継ぎだけだと割り切れたらいいのだが。




また何といっても問題はこれだ。今は少し燃料費が下がったと言ってもまだまだ高くて航空券予約へと気持ちが向かないということ。

 

これらがだいたいクリアになってきたとしたら・・・

会いたいのは、あのおっちゃん!!エスカレーターだ。耳を引っ張られても、なんか憎めないどころか愛らしい。フランス人の典型のような人だ。

しかし、彼は零コロナを目指しているようだし、そんなことは不可能だと言っても、聞く耳を持たない。

ディジョンあたりにアパートを借りるから、そこまで会いに来てくれるかと尋ねたら、「まあ、ウイ」だった。

 

その次に会いたいのは、やっぱり高齢のニースのミッシェル夫妻か。

 

もちろん小児科医夫妻のところへは行きたいが、続けていくのは、まだそこまで親密さが増していない今は、避けておく方が飽きられないだろうと思っている。

 

若い世代は今回は後回しにしてしまったのだが、次回の候補としては、ガンツジュニアもいつかいつかと首を長くして待っていてくれる。彼の文は、短いメッセージでさえ、温かい気持ちが感じられるのだ。

アルザスの山に住む両親もだが、中々行くのが大変なので無理かもしれない。

 

あと、アンジェのレンヌ夫妻か。

 

パリに滞在するとしたら、ホテル泊か、もしくは一か所くらいの友人宅で、マルチーヌと、その友人の若い家族のソフィーにも会いたい。

 

プロヴァンスは、クリスチーヌ、そして友人のヴェロニックあたりか。

 

南仏だけなら、ミッシェルさんとマルセイユのヴィルジニだけにする。

+プロヴァンスで、クリスチーヌとヴェロニックが加わる。

 

パリだけなら、マルチーヌ、サンジェンマンアンレー、ソフィー、エリック、絵かきのママ、アンジェルか。

+ブルゴーニュで、エスカレーター

 

もしくは+ナントでガンツジュニア家族とアンジェ夫妻。

 

それを三週間くらいの滞在で、一年に二回くらい行ければ理想である。三ヵ月滞在の夢が消えてしまった今は。



果たしてその日が来るか。来るとしたらいつだろうか。

 


雨の日にも訪ねてきてくれる友人たち

2023-05-10 08:37:20 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

今回の旅の振り返り

 

約3年ぶりの念願の渡仏だったが、行く前も数回のキャンセルでやっとの思いで旅程を整えた。

 

この旅の3分の2までは、順調すぎるくらい順調で、お天気にも恵まれ、気温も秋のフランスとは思えないくらい暖かい毎日だった。

 

南仏でのアクシデントと言えば、ストライキでニームで数時間待ちぼうけくらいである。

それも立ち直るのに時間はかからなかった。

 

南仏の友、クリスチーヌと再びパリに戻った後も 数日間は楽しい時間を過ごせていた。

 

それ以降、気温が急に下がるにつれ、心身の疲労がピークに。体調を崩し、まさかのPCR検査で陽性になり、自主隔離。帰国便のキャンセル。

この1週間くらいは、今までのフランス滞在、いや人生においてもそう経験することがないほど、精神的なダメージが大きかったと言える。

それでも調べたり、連絡したりと、しなければいけないことがたくさんあり、終わってみれば、短い時間で余裕のない中、よく切り抜けられたなあと思う。

追い詰められた状態になると、不思議なもので、いつも以上の力が出てくるのだろう。



そして、今回、忘れてはならない、友人たちの存在だ。

 

どれほど、感謝しても足りないくらいなのは、小児科医夫妻だ。

彼らなしでは、最短での帰国にはならなかったし、希望を見出すこともなく、もしかしたら大好きなフランスへの思いが変わってしまったかもしれないくらいだ。

 

その帰国便を深夜日本とのやり取りを何度もしてくれたリヨンの日仏夫妻。

リヨンとパリ、離れていても、日本語でのやり取りは、大きな安心感もあった。

彼らの支えが、見えないエネルギーになった。



帰国して今回の旅を思う時、友人には「晴れの日の友人」と「雨の時の友人」がいるということを、感じずにはいられない。

 

もちろん、

雨の日にも訪ねてきてくれる友人としては、上記の小児科夫妻。リヨンの日仏夫妻。

・彼ら以外では、陽性になったと言う私たちに「家においで」と変わらぬ言葉をかけてくれたエリック夫妻

・私達がコロナを移したにもかかわらず、同じく温かい言葉をかけてくれたサンジェルマンアンレーのパトリック夫妻

・そして、お母さんが危篤に近い状況でも迎えてくれ、マルセイユからアヴィニョンまで車で送ってくれ、お母さんが亡くなった直後でも陽性になった私たちのため情報を探してくれたマルセイユのヴィルジニ。

・陽性になった後も荷物を置きに行かせてくれた絵描きのママのイザベル

・私達の望みを全て叶えてくれたクリスチーヌも、陽性になった私たちに情報を提供してくれた

・マルチーヌは、帰国後「もっとあなたたちのためにできることがあったのではないかと後悔している」と言ってくれた。

 

陽性になったことは言わなかったが、今回それに近い温かさを感じたのは、クリスチーヌの友人のヴェロニック

変わらない温かさでアルルの家を貸してくれたクリスチャンも「あ・うん」の呼吸くらい通じ合える一人である。



逆に今回のことで、少し距離を置くことになってしまうかもしれない「晴れの日の友人」もいる。これは同じ状況だった(断るなど拒否するにしても)としてもメールの文に温かさがあるかないか、そういうものを感じてしまったということだ。

 

・ストライキ真っただ中のニーム駅に置き去りにしたニームのマダム

マリーエメ・・3泊の予定だったが、手術を控えていたため、キャンセル

フランソワーズマリーアンジュ・・彼ら曰く「追い出した形」になってしまったことより、メールのやり取りでの温度差

 

図書館夫妻・・結局彼らは最後までPCRもせずに治してしまったのだろう。まあフランスだけではなく、日本を含む世界でも、重症でなければ、そう言う人が多いのかもしれないと思った。

 

そして、反対の立場だったら、その状態で迎えることができるだろうかとも自問する。

 

文章には心の温度が現れる。それは自分にも問いかけてみなければならない。特に何らかの理由で拒否しなければならない場合は。

そんなことを考えさせられた今回の旅であった。




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