フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

大病をしたアランが、私たちをユーモアで一生懸命おもてなし。

2023-02-27 10:17:19 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

夜遅くに向かったところは、アヴィニョンの城壁の内側のアンリ夫妻の親友宅だった。

この夫妻は2018年の春に来日した。しかし他に4人の友人と一緒で6人だったこともあり、

奈良を案内することになっていたが、東大寺の出口を出たところでの待ち合わせだった。

うまく会えるか心配だった。何しろ時間通りに見学を終えて出てくるのかわからないからだ。

案の定、待ち合わせの時間には出てこなくて、かなり待つことになった。が、私たちも慣れたもの?で待っている間に出てきて同じように腰を掛けて休んでいるフランス人に話しかけてみたりして、退屈することなく、待っていた。

 

アランの6人組は、どの人も感じのいい人だった。全員が南仏の人ではなく、確かアルザスとか他の地方の人たちだった。

(クリックすると写真は大きくなります↓)

東大寺を見てしまった人にどこに連れていけばいいのか、とりあえず二月堂、春日大社から奈良町の方へと歩いた。

クリックすると写真は大きくなります↓)

 

そのまま京都に戻ると言う彼らを招待することもできず、お茶を一緒に飲むのが精いっぱいであった。和菓子店の離れのようなところで、貸し切り状態。みんなでカキ氷を食べたのだが、喜んでくれてほっとした。

 

アンリの話によるとご主人のアランは大きな病気をしてかなり危ない状態だったとかで来日時より痩せていると言っていた。

 

外まで迎えに来てくれたアランは、私に「〇〇」と夫の名前を言った。私が「△△」と言い直すとその時はニコニコ笑っていた。

わからなかったのかな?と思った。

 

そして中に入っていくと、奥さんのアンヌマリーが待っていた。

私が自己紹介をすると、アランが奥さんのことを「アランだ」 そして自分のことを「アンヌマリー」というではないか。つまりさっきの名前のミスを自分たちの名前を逆に言うことで、わざと言ったんだよ、知っていたよ。と言いたかったのだ。(間違えたことの照れ隠しである)

もう、これだけで、どれほど人がいいかがわかると言うものだ。その後も何度もこんなふうに私たちを笑わせてくれた。真面目な顔をして。

 

ここの料理は好きなものばかりだった。ブッフブルギニオン(牛肉の赤ワイン煮)をあっさりさせたような牛肉とジャガイモの煮込みに、ジャガイモのグラタン、デザートはタルトシトロン(レモンのタルト)だった。



大病のあとで少し元気がなさそうにも見えたが、一生懸命笑わせてくれ、楽しい時間を過ごせた。アンリの娘婿で感染医として有名な人に紹介して治療をしてもらったそうだ。

アンリも大切な友人ということを強調していた。

 

お礼に私たちも折り紙レッスンをした。みんな童心に返り、大喜びしてくれた。(奈良でもしたことも私もアランたちもすっかり忘れていたようだ)

 

いつまでも体を大切にしてほしいと願いたいアランとその奥さんアンヌマリーだった。


サンレミドプロバンスで出会った日本の調味料とエガリエール村

2023-02-26 09:58:51 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

アニエスによると、「以前はアヴィニョンによく買い物に出かけたけど、クリスマスなどのプレゼントも最近はサンレミばかり」らしい。

ゆっくりサンレミを歩くのはもしかすると初めてなので、街歩きも楽しめた。

 

小さな香辛料を売っている店に入ったところ、日本の調味料がたくさんあってそれに驚いたのだが、お店の女性が言うには、日本の調味料は健康にもいいし、繊細な味なので、とても人気があるとのことだった。

ゆずの絞ったものや、山葵やみそ、のり、醤油も小さい店なのに何種類も品揃えされており感心した。

フランスの塩の中にゆずが入ったフレーバー塩?まであり、アニエスが私の分まで買ってくれた。私にはそこまでも希少なものではなかったのだが。(苦笑)

ここでも京セラの包丁が売られていた↓

アニエスは結構買い物好きと見え、あれやこれや雑貨店をのぞいていて、足が疲れたのであろうアンリは、ベンチに座り込んでいた。

 

 

それから向かった先は、小さな村だった。エガリエールという村だが、シーズンオフ?なのか、やはり寂れた感じがするほどだった。

 

小さな教会くらいしか見どころもなかったので、トイレ休憩もかねて、小さなカフェでお茶を飲むことにした。

 

この店はパン屋でおいしそうなケーキも売られていた。とても美味しそうだったが、甘いお菓子の周りに蜂がたくさんとまっていた。日本なら衛生面で問題になるだろうが、ここでは蜂が集まるくらい美味しいと言うところかもしれない。

蜂が見えるだろうか?↓右端のパンと左のクッキー横の二つのバンズの上にもレーズンやチョコではなく蜂が!!

 

イタリア人に見える若い女性の店員は、にこにこしてとても愛想がよかった。

そして、家に戻る途中、道路沿いの畑で羊の大群に遭遇した。こんな近くでこんなに多くの羊に出会うとは、驚きだったので、車から降りた。降りた途端、羊たちは一斉に離れてしまった。

「Au revoir」(オールヴォワール、さよなら)と羊たちに言って、帰路に就いた。

その間花を摘んでいたアニエス↓

まだ一日は終わらない。今夜もアンリ夫妻の友人宅に招待されているのだ。

アヴィニョンの城壁内の家だと言うので、また遅くから出かけることになった。




 

岩山をくり抜いた映像美術館へ。

2023-02-22 09:32:16 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

アンリ夫妻宅に夜遅く戻った翌朝は、彼らのいつもの朝食をいただいた。

コレステロールを気にしているアンリはクロワッサンも、純バターではないものを食べている。三日月のように曲がっているタイプだ。まっすぐなものが純バターのクロワッサンで、映画でジャンヌモローが「本物のクロワッサン」と他国から来た家政婦に言っていた場面があった。

以前は朝起きてからパン屋さんへ買いに行ってくれていたのだが、退職後の生活でもあり、気心が知れた仲なので、そこまでしてくれなくてもスーパーのパンでも十分なのだが、そんな中でもバゲットのおいしさは外れがない。

 

今日の予定は、アニエスに押し切られた格好で、ㇾ・ボー・ド・プロヴァンス(すでにレ・ボーのお城は見た事があるので今回はパス)にある美術館へ行くそうだ。

小さな村に・・という私の希望は叶えられない!?

その美術館とは、普通の美術館とは一風変わっていて、大きな岩の中にできた美術館というか、採石場の跡地を利用し、そこに映像を映し出す美術館であった。

 

こういう人を見ると、ツールドフランスの国だといつも思う↑

 

 

岩ではないが、パリで見た映像美術館のようなものでパリのは工場跡の建物を利用したものだった。

普通の美術館よりはずっと興味深かったが、テーマはなぜかベネチアだった。フランス人でもベネチアが好きな人は多いので、人気があるのかもしれないし、南仏はイタリアにも近いので、観光客にも喜ばれるのであろう。

そんな美術館を後にして、向かったのはランチを取るためのレストラン。こちらも健康を気にしているアンリ夫妻がよく来ると言う、ベーカリーレストランでシェフはアフリカンの女性で野菜が美味しいお店だと言う。

どんな料理が出されるのか、興味津々だった。その前に大きな石窯も見学させてもらった。

ここは、バカンスの際、女優のエマニュエルべアールや、俳優のジャンレノも良く訪れるそうだ。

 

リーズナブルでありながら、どれも丁寧に作られていて、とても美味しいものだった。

昨日訪れたモーリスの家で出されたパンもここのパンだったらしい。

このまま帰国するなら私も買って帰りたくなるほどだ。こんがりといいにおいが漂っていた店内で、私たちは遅いランチだったので、お店の女性たちがまかないランチを食べかけていた。どの人も感じがよかったので、写真を撮らせてもらった。

 

さて、次はサンレミドプロヴァンスへと向かう。

 

モーリス邸は今まで見た中でも一番の豪邸!?

2023-02-21 10:18:25 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

アンリ夫妻がどうしてもニーム泊を阻止するため、迎えに来たのは、この長い一日のメインコースが待っていたからだった。

 

日本でお世話になったからと、夕食に招待してくれると言うアンリ夫妻の友人宅に行かないわけにはいかなかった。アンリの運転で彼らの家に到着して、びっくりした。

サンレミドプロバンスに近いその家は、豪邸そのものであった。(おじいさんから受け継いだ家だとモーリスは言っていた。)

しかもただ大きいだけではなく、近代的な設備が随所に見られ、かなり便利な仕様の家だった。

そこで待っていたのは、その家の夫妻のモーリスとその奥さん(名前は失念)、一緒に来日していたもう一組の夫妻、キャロルとオリビエも待ってくれていた。

モーリスとオリビエ↓

来日したときと印象が違って見えることは時々ある。

来日時↓

左はモーリスの奥さんで、右はオリビエ↑

このモーリス夫妻も日本で見た時よりずっとダンディに見える。オリヴィエとキャロルは日本で会った時からとても温和でが感じがよかった。循環器系の医師だったのだが、コロナ後に辞めたそうだ。ストレスがなくなり、楽になったと笑顔だった。奥さんのキャロルは看護師としてまだ働いているらしい。

右から、キャロル、アニエス、オリビエ↓

アペリティフをいただく前に、前に広がる庭を散策。プールもあって、シンメトリーなフランス式庭園はまるでロスチャイルド邸のようだと、思ったほどである。

奥さんも「夏に来て、今度は泳いでね」と言った。



アペリティフへと誘導され、ゆっくり話が始まった。

とにかく立派なお屋敷に圧倒されてしまい、何を話していたか覚えていないほどである。

テーブルへと、言われて、晩餐が始まった。

南仏風の前菜の中に、苦手なものが一つあった。ブーダンノワールだ。(私がフランス料理で食べられないものの一つである。もう一つはアンドゥイエット)

これを食べて体調が悪くなったことがあるので、どうしようかと思っていたが、「前に食べたものよりずっとおいしく大丈夫」と言われ、一口食べてみた。確かに今回のは違っていたが、やっぱり味見だけにしておく方が安心だったので、これだけは残してしまった。

 

メインはポークだったと思うが大きな塊を切り分けてお皿に取ってくれた。

付け合わせの栗やキノコも季節のもので、とても美味しかった。

デザートはプリンのような大きな、フランと言ったと思う。

クレームキャラメルと呼ばれるプリンより少しあっさりしている。

もちろんチーズも出てきた。

そこでお開きにはならない。

また何か日本のものを見せることになり、茶箱での点前をすることになった。

みんなここでは、シャンパンから始まり、白や赤も飲み、もうかなりまわっていたが、そんな状況でも興味深く見てくれていた。



ストライキの洗礼を受け、ショックで一時はどうなるかと思ったが、長い一日の終わりにはすっかりそのこともわすれてしまう大きなお屋敷での優雅な素敵な夕べだった。




 ほろ苦い前菜の後にメインコースが待っている。

2023-02-20 08:58:03 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

ニーム駅で待つこと2時間半以上、やっとアンリが到着した。駐車するところをwhatsappで、アンヌクレールに尋ね、駅の人にも確認して伝えていたが、アンリはわからず、離れたところに駐し車、歩いてやってきた。



まずは久しぶりの再会のビズ(挨拶のキス)。2019年春にパリで夕食を食べた以来だった。

奥さんのアニエスは家にいるようで、彼一人。

 

「だから言ったじゃないか。12時台の列車の次は17時までないと。ニームの友だちはなぜ調べてくれなかったのか」と。

ことの顛末を詳しく話すと、「ありえない。ギリギリまで調べもせず、君たちを駅に置き去りにするなんて」ということだから、友だちの行為としてはやはりアンヌクレールの素っ気なさは、フランス人らしくないと言うことだった。



紹介してくれたマルチーヌから、「アンヌクレールは、あなたたちを甘やかしていると想像するわ」と昨日メールが届いていたが、どう考えても甘やかされたとは思えなかった。



1時間余り走っただろうか。ニームまで迎えに来るのも難色を示していたアンリだが、ガソリン代の急騰を受けて、金銭感覚のシビアなフランス人なら、致し方ないところであろう。

しかし、彼らにはどうしても私たちのニームのホテル泊を阻止しなければならない理由があったので、迎えに来たというのが本音だろうと思う。

今夜、私たちを友人宅へ連れて行かなくては、顔がつぶれるということだ。



そんなことが頭をよぎらせたが、家に到着すると、前日クリスチーヌ宅にスーツケースを引き取りに行ってくれたようで、大きなスーツケースやカバンがすでに泊まる部屋に置かれていた。そこで少し荷物を下ろし、テーブルに着いた。

昼ご飯は食べていなかったので、ブリオッシュなど「食べる?」と出してくれたアニエスの申し出を喜んで受けた。

またアンリがニームの友人の話を「ありえないんだよ」とアニエスに話している。

 

正直、気疲れもあり、これから出かけるのは勘弁してほしかったが、そうもいかない。彼らの友人というのは、2019年の秋、ラグビーワールドカップの観戦のため、日本を訪れた際我が家にやってきた2組の夫妻で、豪邸に住んでいるというそのうちの1組の夫妻の家を訪問することになっていたからだ。

 

長く感じられる1日はまだ終わらない。

料理に例えると、これからがメインコースの始まりだったのだ。ほろ苦い前菜のあとに。

 


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