フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

マルセイユ近郊の「カシー」へ行く。

2023-01-31 07:41:05 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

マルセイユの朝食は、エンマが搾りたてのオレンジジュースを上手に運ぶところからスタート。

Lilleのおばあちゃん御用達の特別なバターとお手製のジャム↓

彼女は明るいだけでなく、とても利発なお嬢さんだ。どことなくエンマからするとひいおばあちゃん(フランス語では、マミー・グラニットというようだ)にあたるエブリンに似ている。

ヴィルジニも「性格が似ているのよ」と笑う。

 

今日もお任せだが、朝から近くを散歩して、そのあとは、カシーという海辺の町へ行くことになった。

 

エンマと一緒に近くの公園まで散歩したが、途中、花を摘んでは「プレゼント」と私にくれた。本当に愛らしい。

公園に行くと今度は遊具に次々とチャレンジ。どうやら簡単ですぐできるものは物足りないらしく、難しいものにチャレンジしたい性格だとわかった。


散歩から戻って、車でカシ―に向かった。

車の中でも、元気いっぱいで、保育園ではお昼寝もするはずだが、この日は全くお昼寝もしなかった。

 

カシ―について、まずランチ。

ブイヤベースではなく、彼らのおすすめの「アイオリ」という温野菜をソースで食べる南仏?マルセイユ?の名物をいただくことにした。

夫はやはり魚をということで、最初サーモンを選ぼうとしたら、すかさずミッシェルが、「ここではサーモンは選ばない方がいい」ということで、ここの海であがったであろうイワシを選んだ。

 

海辺の魚屋のおじさんは、「日本人?」と何やら嬉しそうな顔をしていた。まだまだ日本人観光客は少ないのだろう。

ランチをいただいたテーブルの隣にエンマと同じくらいの男の子を連れた若い夫婦(確か奥さんがフランス人でご主人はイタリア人)が座った。

エンマはしっかり自分の分を食べて、食べた後は1人でよく遊んでいたのだが、この男の子はあまり食べず、1人で遊ぶこともできなくて、お父さんに叱られて泣きべそをかいていた。

するとエンマが誘いに行き、二人は仲よく遊びだした。

後でヴィルジニ夫妻が話をすると、何と同じマルセイユの住宅街の中に住んでいるということだった、マルセイユに来るまではスペインに住んでいたらしい。



日本にもご主人は仕事できたことがあると言い、またいつか行きたいと言ってくれた。

こんな出会いもまた貴重なことで、アドレスを交換してみたが、まだ連絡はしないままだ。





愛娘エンマは全く人見知りしない超明るいお姫様。

2023-01-27 08:51:25 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

車で向かったのは、エンマの保育園。

2歳半になるエンマは最近保育園に入ったばかりらしいが、泣くどころか、泣いている子をなだめるくらい明るく環境の変化にもすぐなじむ性格だそうだ。日本から来た私たちを見てびっくりするのでは?との思いも全くの杞憂で、ミッシェルが言った通り、「初対面でも3秒ですぐ笑顔」というのは本当だった。

このお姫様は、ありったけの笑顔で迎えてくれた。

朝から楽しみにしてくれていたそうだ。

 

この保育園には、ミッシェルの娘や息子の子ども(つまり、ミッシェルの孫たち)も通っているので、かれらにも「初めまして」となった。

そう、ヴィルジニは40代だが、ミッシェルは60代の年の差カップル(ヴィルジニは初婚だが、ミッシェルは離婚歴あり)だ。

タイに研修で出かけた時、ミッシェルが言うには「ヴィルジニがひっかけてきた」ということだが、ヴィルジニはすぐに否定していた。果たして真相は?

 

さて、向かったのは、ノートルダムドガルド、マルセイユの有名な教会だ。前回は確か2007年、ジュリエットにマルセイユを案内してもらったが、数時間しかなく、教会を訪問する時間はなかったので、とても楽しみにしていた。

教会も素晴らしかったが、高台にあるため、眺望も素晴らしい。イフ島も見える。たしかジャンクリストフの舞台になった島として有名だったと思う。


ミッシェルは生粋のマルセイユ生まれでマルセイユ育ち。ただマルセイユというのは移民が多いことで知られるが、どうやらミッシェルは一線を画しているようだ。

一見とても庶民的なミッシェルだが、サッカー選手の話題になった時、ある有名な選手について、「彼は国歌を歌わないからとフランス人とは言えない」という考えだった。

 

そんなこともあって、街歩きではなく、この教会と、あとはカランクと呼ばれる入江に連れて行ってくれた。

カランクはいくつかあるそうだが、この日見せてくれたところは、夕日が沈む時間が近づいていたこともあり、様々な表情が楽しめた。(確か、Les Gourdes)

 

帰宅して、夕食はミッシェルの釣った鯛だった。彼は釣りは好きだが、魚が食べられない。

マルセイユと言えば、ブイヤベースなので、楽しみにしていた私は、今回もブイヤベースをマルセイユ(いやコートダジュールでも)で食べることは出来なさそうで、少し残念だ。

 

でも美味しい鯛を目の前にして、そんなことは忘れるほどのラタトゥユもまたごちそうになり、大満足の一日だった。








ヴィルジニのご主人も「ミッシェル」さん・・・料理上手で釣りが趣味

2023-01-26 07:59:43 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

ヴィルジニと再会し、駅を出ると、ご主人のミッシェルさんが車の前で待っていた。

彼女のご主人もミッシェルさん(私たちの友人の中で7人目くらい?のミッシェル)だった。初めまして、になる。

写真では見ていたが、大きな目をくりくりさせて嬉しそうに迎えてくれた。

その澄んだ目を見て、人の良さがすぐわかった。

 

車の中からの景色↓

オベリスクがマルセイユにも↓

白いドームはサッカースタジアム↓

マルセイユの駅から町中を通り抜け、約30分弱で小高い丘の上の彼らの家に到着した。

 

この住宅街は、近くに元刑務所があり、そのせいか、住宅街に入るためのセキュリティの鍵付きのゲートがあった。

 

マルセイユはよく治安が悪いとか聞くが、最近は少しマシになったという話もある。

少なくとも彼らの家の周辺は問題なさそうであった。

マルセイユの駅の方に行くことはこれ以外なかったので、実際のところはどうなのかはわからないままであった。

 

さて、家に着くと、庭には大きなプールがあった。

これも写真で見た事があった。そうか、家のプールだったんだ!と改めて確認。

中に入るとまず私たちの部屋に案内してくれた。二階だ。二人の愛娘のエンマの部屋もあった。

力持ちのミッシェルさんも、大きなスーツケースの重さに驚いたようだった。

荷物の整理が終わり下に降りると、「何か食べる?」と言われた。実はお昼は抜こうと思っていたので、「済ませていく」と言ってあったのだが、ミッシェルさんの手料理のラタトゥユがあると言うので、それじゃあ、と頂くことにした。

このラタトゥユ、今まで食べたり、作ったりしたものとは比べ物にならないくらいのおいしさだった。手作り野菜だからか、いや、やっぱり料理上手なのだろう。

それを伝えると、ヴィルジニの料理上手なおばあちゃんも、ミッシェルさんのラタトゥユが大好きだと言うから、折り紙付きである。

 

そしてお土産に持ってきた、ミッシェルさんのリクエストの魚釣りのルアーを出すと、大きな目が子供のように輝いた。

日本のルアーは評判らしい。ひとつ2000円もするルアー始め、専門店でいくつか買って、1万円を超えるルアーの総額だったが、これだけ喜んでくれると、またプレゼントしたくなるくらいだった。

 

これだけで、マルセイユの滞在が楽しいものになりそうな予感があったが、もっと楽しくなる彼らの宝物を このあと迎えに行くことになる。

 


ニースからマルセイユへのTGV・・そしてヴィルジニが待っていてくれた。

2023-01-25 09:30:53 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

ニースからマルセイユへ向かうTGVで楽しみにしていたのは車窓。

フレンチリビエラと言われる海岸線の景色は美しいはずだったが、窓がびっくりするぐらい汚れていた。これでは新幹線と比較にならない。

せっかく美観を大事にして、線路を作るフランスなのだから、窓の汚れはあまりにも残念過ぎる。

フランスに来ると日本の電車、新幹線のどれもがきれいに清掃されていることを改めて感じる。

 

2016年は空路でパリに戻ったので、今回はプロヴァンス経由で久しぶりに陸路で戻ることになったが、ずいぶん前にもカンヌからアヴィニョンへ乗ったことがある。

その時は気づかなかったのが、葡萄畑。

途中から葡萄畑がたくさん見えてきた。マニュエルが言っていた。彼らはよく南仏にバカンスに行く。ラ・シオタという駅から彼のおばあちゃんの家が見えるとか、葡萄畑がたくさんあるが、今はオリーブが多く見える季節だとSNSで送られてきた。

ここまでコロナに関しては何の心配もなかったが、ドキッとすることがあった。それは前席の若い旅行者がマスクなしでひどい咳をしていたのだ。

私たちは、もちろんTGVの中でマスクをしているが、公共交通機関以外ではマスクは着用していない。

それ以外対応のしようがないが、この時は改めて、気を引き締めた。

 

そうこうしているうちに列車はマルセイユのホームに到着した。ほぼ定刻である。

約2時間半くらいだ。

距離にすると長いマルセイユ―パリ間も3時間弱なのは、TGVのスピードに合う良い線路だからだ。逆にマルセイユからニースへ向かう線路はスピードに耐えることができないグレードの線路だから時間がかかるということだ。

 

さて、待ってくれているのはヴィルジニ!!2010年はリールの駅で待っていてくれた彼女。10年以上経っても変わらない笑顔がそこにあった。

 


ミッシェルさんお元気で、またお会いしましょう。  

2023-01-22 10:00:58 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

今日は、ニースからマルセイユへ向かう日。

 

3日間ミッシェル夫妻と過ごしたニースだったが、連続して3日間過ごすと言うことは初めてだった。パリに住んでおられた時は、拠点にしてあっちこっちの友人宅をウロウロしていた。

それだけに濃厚な3日間だと思っていたが、何となくやはり物足りない気がした。どうやらいつもフランス旅行の最初と最後はミッシェル夫妻のところにいたので、今回はニースを離れるとこれでもう会えないのかと感傷的な気分になったのだった。

こんな朝ごはんのビスケットをお土産にいただいて↓

そんな朝、ミッシェルさんが言った。「10月19日は大規模なナショナルストライキがあるから、その日の移動は気をつけて。」

しかし、大規模ストライキは2019年の年末に経験済みで、その時友人たちのおかげで乗り越えられたことは記憶に新しい。

だからこの時は、たいして気に留めなかった。

 

彼らはニース駅まで送ってくれた。徒歩で荷物がなければ5分かかるかどうか。荷物があっても10分もかからない。本当に便利なところである。

TGVに乗るため、ゲートの外でお別れしなければならなかった。

涙が出そうになった。今回の旅行は、90歳目前(2023年1月3日で90歳)のミッシェルさんに会うことが大きな目的だった。コロナで阻まれたその時間は本当に長かったので、次はいつ会えるのだろうと思うと、こみあげてくるものがあった。



しかしそんな感傷とは裏腹にハグとビズでお別れをして、あっさりとTGVに乗り込んだ。どうやら次の目的地のマルセイユの方に頭が行きかけたようだ。この辺フランス人があまり後ろを振り返らず、前に向かっていくのに似てきたのかも。

 


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