フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

巨大で勇壮なアンボワーズ城、そして優雅なシュノンソー城

2021-10-31 10:25:13 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

ランチの後、外観を見るだけにとどめたアンボワーズ城は、巨大な城である。

要塞としての役割もあったのかもしれない。

ロワールのお城巡りの締めくくりは、シュノンソー城であった。

ここは昔パッケージツアーでヨーロッパを訪問したとき、オプショナルツアーのロワールお城巡りで来たことがあったので、再訪となった。

ほとんどのお城に言えることだと思うが、お城は外から見るのがやっぱり素晴らしい。

このお城もすがたの美しさはいつまでも眺めていたくなるほどである。



駐車場に着いた時、エブリンの忘れ物に気づき、ジェラールが探しに戻っている間、エブリンとお城までの道をゆっくり歩きながら進んだ。

 

お城の中に入ってほどなくしたころ、ジェラールが合流できた。

お昼のレストランに忘れていたようだ。

 

お城の中はもちろん、庭の散策も楽しんだ後、帰路に向かう。

 

今夜はジェラールを通じて知り合った私も大好きな友人カップルがレンヌからはるばる会いに来てくれることになっていた!!

楽しみだ。


天才レオナルドダビンチの終の棲家クロリュセからスタート。

2021-10-30 13:43:11 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

洞窟ホテルの朝食は、とても豪華で、B&Bというよりはスモールラグジュアリーホテルと言った感じ。

B&Bを後にして、向かったのはクロリュセと呼ばれるレオナルドダビンチゆかりの館だった。ロワール河沿いのお城の一つでもある。

ダビンチが発明したものの模型はとりわけ興味深かったが、ダビンチの終の棲家になる前は王様の住居だったので、寝室などは豪華絢爛である。

庭園から見る外観も赤レンガ造りで、他のロワールのお城とは少し違うが、私には魅かれるものだった。

 

次に向かったのは、大きなアンボワーズ城。

ここでランチを取ることになった。

予約なしだったこともあり、グルメなジェラールの眼鏡にかなう店ではなかったようだが、こういう店ではシンプルなものがいいと彼のアドバイスに従い、クロックムッシュを注文した。

 


ヴーヴレイの洞窟ホテルでクロマニヨン人体験!?

2021-10-29 10:38:33 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

ここからはロワール川沿いに走るので、途中、シノン城のそばを通ったり、ロワール河沿いの有名なお城を車窓から見ながら走った。

シノンの近くには大きな原子力発電所もあり、ちょうど2011年の震災後だったため、川沿いとは言え、こんな内陸部に大丈夫なのかと通過しながら思ったものだ。

 

途中にはロワールのワインカーブもあり、彼らはそこで調達しているようだった。

お城↓(閉館時間を過ぎていたので、外観を見るだけ)

途中にも洞窟↓

そして、到着した今日の宿。

 

それは、少し高級なシャンブルドットで、プールまであった。

私たちはホテルの普通の部屋ではなく、クロマニヨン人を彷彿とさせる崖を掘った半分洞窟みたいな部屋だった。柱も土だった。

「うふふ」とエブリンは笑う。

この部屋は、後でわかるのだが、湿気があり、電波も届きにくく、珍しいものなので泊まる価値はあるが、快適さを求めるものではないのであった。

このシャンブルドットには、ほかに普通の部屋もあるが、この「洞窟」の部屋の方が料金は高いようだ。

 

そして、夕食に出かけた。

コロンバージュと呼ばれる木組みの家が並ぶ↓

グルメなジェラールの選んだレストランは、やはり外れがない。

どれもとても美味しくいただいた。

どこか「和」を感じるところもある。

この訪問の少し前に映画「大統領の料理人」で見たデザートの「プロフィトロル」があったので、迷わず注文したが、その大きさにびっくり。日本なら一個分しか供されないだろう。

 

たっぷりの熱々チョコレートを冷たいアイスにかけていただく幸せな瞬間だった。

スフレもこの大きさ。↓


アンジェに着いて、待っていたのはサプライズの予告

2021-10-27 10:49:02 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

アンジェでは2010年に来日して以来の再会になる、ジェラールとエブリンが迎えてくれた。

 

もともとジェラールはブルトン人なので、レンヌ郊外に住んでいた。

エブリンと出会ってから、行ったり来たりしているようで、この時もそうだったが、退職後の今は二人でアンジェに住んでいるのだった。

 

大きなアンジェ城を車から見て、20分くらい走り家に到着すると、ランチが準備されていた。

アンジェ郊外の屋根瓦というかスレートの名前が付いたトレラゼという町だ。

今日本でもこのようなスレート(昔は黒板の代わりに使われていたとか)をお皿として使った料理が和洋の店で見られるが、トレラゼだけでなく、2012年に訪れたドルドーニュでは、ローズ(バラでなく、Lauze)と呼ばれる瓦もあった。

ジェラールが料理上手なのはよく知っているが、このエブリンも上手で、ジェラールによると「僕は魚料理だけ」と謙遜し、エブリンを立てるのだ。

デザートまでしっかり頂く。多分、リンゴのクランブル。↓

「今日はサプライズ」と二人は言う。

 

荷物を下ろして、ひといきつくと、「夕方から車で出かけるので、一泊の用意をして」と言われた。

今夜はどこかで泊まることになるらしい。

さて、それがどこなのか。

フランス人もサプライズが好きなようだ。

2012年には、アルザスの若い家族がサプライズがあるので水着を持ってくるようにと、そして2019年の春にはマリーエメからいずれもサプライズランチの予告が渡仏前にあった。

今回は到着後に聞かされた。

アルザスと今回は宿泊を伴うサプライズである。

 


やっと笑顔を見せてくれたチトワン、今は柔道をしているとか。

2021-10-26 08:07:29 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

今日はナントを出発する日だ。

 

二人とも仕事だったが、ティエリは駅まで送っていくから、駅の近くの植物園でも見学してはどうかと提案があった。

荷物は、昼休みに駅まで届けてくれるという。

至れり尽くせりだ。

 

朝食後、ローランスにはお別れの挨拶をし、私はティエリとTitouan(チトワン)と一緒に車に乗り、まず保育園にチトワンを送り届けた。

これは前日のチトワン↓

 

 

フランスの保育園を見るのもめったにないことで、一緒に降りて中を少し見学させてもらった。少し大きな子供たちは、自分でコートなどをかけておくようになっていた。

 

ようやくTitouanは、今朝からやっと笑顔を見せてくれるようになっていたのだ。

保育園に送る↓

今はもう8歳くらいになっていて、スリムで端正な男の子になっている。確かお父さんがそうだったように、柔道を習い始めたとか言っていて、去年コロナのロックダウン中にはトランペットで「聖者の行進」の演奏の動画を送ってくれていた。

右がチトワン、左は弟のコランタン↓(去年送ってくれた写))

子供のころの柔道着を着ているティエリの写真↓

弟のコランタンにも会ってみたいし、チトワンにも早く再会をと、願うばかりだ。

 

さて、植物園の散策は、あいにくの雨だった。

しかし、季節がとてもいいので、花々が雨に濡れて一層鮮やかだった。

フランスの作家で有名なジュール・ベルヌもナント生まれの様で、ゆかりの場所もあった。

小さな植物園なので入場も無料で、あっという間に見て回れる。いろいろなきれいな水鳥も自由にのんびりしていた。

 

少し早めにナントの駅に向かい、ティエリの到着を待っていた。

するとティエリが、大荷物をさげてやってきた。

車まで行こうと思っていたのだが、駐車場が離れているからと持ってきてくれたのだった。

しかしさすがの彼もあまりの重たさに「家を持ってきたのか」と、苦笑いしていた。

そう、着物や草履も入っていることもあり、外見以上に重いのだった。

 

そんな彼にもお礼を言って、TGVで向かったのは、Anger(アンジェ)だった。

 

アンジェでは、レンヌのムッシュ(ジェラール)とエブリンが、待ってくれている。


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