フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

忙しかった私の旅は、たくさんの友人に支えられてのもの

2021-12-26 08:34:19 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

マリーアンジュ宅を急いで出ようとしたが、双子ちゃんたちが自転車に乗る練習をするというので、少し見てから、慌ててメトロに飛び乗った。

ミッシェルさんの家では、ミッシェル夫妻とマルチーヌが待ちかねていた様子で迎えてくれた。マルチーヌとともに最後の夕食となった。

サラダとスープにミッシェルさんお手製のケークサレ。

本当に忙しかった滞在の締めくくりは、旧知のメンバーで、のんびり過ごす時間になった。

そして、翌日。

翌日の出発も20時なので、午前中は買い物に巨大スーパーとアウトレットの店に連れて行ってくれることになった。ランチもそこでとることになる。

最後までバタバタだが、お土産もろくに買っていなかったので、仕方がない。

 

帰宅後、スーツケースを整えていると、マルチーヌがやってきた。

私にチーズやワインなどのお土産を持ってきていた。

何度も量りを借りて、スーツケースと手荷物の最後の調整をして、やっと終わったところにである。それを見ていたミッシェル夫妻は、苦笑いをして、私と目配せをした。私は、また荷物の調整のやり直しで、量りを借りることになった。もちろん、ありがたいことではある。

そして、ミッシェルさんは私とスーツケースを載せて空港へ。

荷物が場所を取り、車には全員乗れないので、マルチーヌとJ・クロードはRERで空港に合流し、見送りにきてくれた。ありがたいことだ。

最後まで名残を惜しみ至れり尽くせりのおもてなしに、つくづく感謝だった。


「オリエント急行特別展」とアラブ世界研究所の見学

2021-12-24 20:00:05 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

アラブ世界研究所は、植物園の近くで、ミッシェルさんの奥さんのJ・クロードはこの近くで公務員として働いていたので、とても詳しかった。

オステルリッツ駅↓

植物園↓

 

 

彼女はこの研究所の前で行われていたオリエント急行特別展の予約を入れてくれていた。

私は大のポワロ好き、そしてマニアとまではいかないが、クラシカルな列車が好きなので、興味深かった。

時間の予約もあったが、これはガイドと一緒に見て回るようになっていたので、少し並んで待ったあと、見学が始まった。

 

オリエント急行殺人事件や青列車など、有名な作品にちなんだ物が展示されていた。

そして撮影は自由なのだ。ここがフランス的でうれしい。

「走る貴婦人」と言われた素晴らしい内装に調度品、また置いてある乗客の持ち物も一流だ。その時代に思いをはせ、優雅なひと時を楽しんだ。

そしてせっかく来たので、アラブ世界研究所に上ってみる。建物の外装は光の多少によりカメラのレンズのように絞ったり開いたりするようになっていた。

眺望がいいことは聞いていた。上に上ると、パリが一望できた。

カフェと言うかレストランもあった。

このレストランの名前を見て、本店(多分)でスカフへの最初の訪問の時にごちそうしてもらったことを思い出した。そこはレバノン料理の店だったのだが、そのころは知る由もなく、豪華なレストランで楽しく食していたことが思い出された。あの時パンだと思ってちぎって食べていたものは、実はそこにおかずを入れて、ほおばる食べ方が正しかったと後でわかったことが思い出される。スカフはその時、その間違った食べ方について何も言わなかった。私の好きなようにして食べるのが良いと思っていたのだろう。

 

そのカフェでコーヒーでもと思ったが、ミッシェル夫妻もマルチーヌもそう言う気持ちはなかったようで、このまま帰路に向かうことになった。

 

私はまだ用があった。

 

パリのアパート暮らしをさせてもらったマリーアンジュ家族に鍵を返しに行かなければならないのだ。「鍵を渡す間アパートの前で待っているよ」とミッシェルさんたちは言ってくれたが、ただ鍵だけ返して「サヨナラ」とはならないだろうと思っていたので、先に帰ってもらうことにして、メトロの途中の駅で私は降りた。

マリーアンジュの家族に、鍵を返し、子供たちにも会い、少しお茶をよばれて、彼らの旅行話を聞き、私のパリ滞在の話などもし、よくお礼を言って、ミッシェルさんの家に急いだ。




クール・サンテミリオン、そしてランチの時に感じた日仏の違い?

2021-12-24 09:28:16 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

ソワレを楽しんだ翌朝は、もう帰国日前日。

というわけで、今日はミッシェル夫妻とマルチーヌと一緒に出かけることになっていた。

いつものミッシェルさん宅での朝食↓

昨夜も実は、図書館夫妻のご主人のドゥニからのメールで、ベルサイユ宮殿の噴水ショーのライトアップのお誘いがあったのだが、行けない旨の返事すらギリギリまでメールを見ることができず非礼をしてしまった。彼はもちろんそんなことをとがめることもなく、「またの機会に」と言ってくれたので、今もずっとその優しさが心に残っている。

昨夜はミッシェル夫妻主催のソワレだったので、メールを見ていたとしても、お断りするしかなかったのではあるが、ベルサイユの噴水ショー、しかも夜の行事とあっては、そう言うお誘いがない限り行くことはないので、残念だったことの一つとしてもよく思い出す。

 

さて、いつもの通り朝食を済ませてメトロで向かったのは、クールサンテミリオンという元ワイン倉庫を使ったパッサージュなどがある場所だった。(2019年のクリスマス時期にも再訪

 

いつだったか、クレパパ(クレマンスという女の子の父親なので、クレパパ、この少女はロンドンの音楽大学を今年卒業した)にも新しいスポットとして紹介してもらったが、初めてやってきたのだった。

途中、こんなところも↓

そこでマルチーヌも合流し、庭園も散歩しながら、パッサージュやブティックをのぞいた。

日本のお店なのか、イメージなのか、「sakura」と言う名前の店もあった。

私の好きな?スーパーのモノプリまで倉庫に出店していた。

そこからどのように移動したか今となっては覚えていないのだが、ランチはアメリカンスタイルのステーキチェーン店だった。

 

確か財務省↓

スイミングプールが見えた↓

ミッシェル夫妻は意外とこういう店にも抵抗がない。と言うかステーキ好きなミッシェルさんは、大きなお肉をペロリ、そして付け合わせのフライドポテトもたいらげる。

もちろん私もフランスでアメリカンスタイルなんて、という気持ちはあるが、お世話になっているミッシェル夫妻の選んだ店に異議を申し立てることなどあってはならないし、その店で食べられるものを注文し、量が多いものは黙って残せばいいという考えになる。

 

しかし、健康に気を使っているマルチーヌは、そもそもチェーン店もお肉料理も気に入らなかったようで、魚料理を注文し、ポテトも手をつけず、また店の人にも何やらややこしい注文をしていた。

ところがマルチーヌのこのような振る舞いに対し、ミッシェル夫妻との関係が悪くなることなどつゆほどもなく、全く私の思いは杞憂なのだ。

 

これは日・仏の考え方の違いなのかもしれないと思う。

 

さて、その店を後にして向かったのは、五区にあるアラブ研究所だった。



ソワレでのいろいろなことから

2021-12-23 10:30:31 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

アドリアンに駅まで送ってもらい、またSNCF近郊線でパリに戻った。

パリからはメトロを乗り継いで、ミッシェルさんの家に戻った。

 

今夜も予定が待っていた。

ミッシェルさんの友人たちがやってくるという。

それでは、と私も休む間もなく、着物を着て迎えることにした。

これはミッシェルさん夫妻へのお礼の気持ちも込めている。

 

おくさんのJクロードが、アペリティフなどを用意していた。

その時はわからなかったが、これはネムと言うベトナムの揚げ春巻きのようで、好きなものの一つとなった。

ミッシェルさん夫妻の友人たちが、次々にやってきた。

 

まずはマルチーヌ。彼女は私の到着より早く来て待っていたのだった。

しばらく歓談をした。

それからしばらくたってから、やってきたのは、一度会った事がある仏越カップル。

ご主人はベトナム人の麻酔医だったが、今退職しているそうだ。そのせいか、以前会った時よりずいぶん年を取って見えたのが気にかかった。

 

そして離婚した元カップルもやってきた。

初めて会うカップル?だったが、奥さんは非常に感じのいい女性で日本にも大いに関心があり、いろいろな質問をし、答えるたびに笑顔でうなずいてくれていた。

しかし、元夫は全くそういうタイプではなく、時に私にも皮肉を言ったりもして、離婚された経緯はわからないが、想像できるタイプの男性であった。

私がパリのアパートを借りていたのはどこかと聞かれ、レパブリックの近くだと答えた時、「それは、まあ上品なところだこと」と言われたのだ。私のアパートなら腹も立たないが、友人のアパートを借りていたので、嫌な気分になった。

この男性に対して私だけでなく、ほかにも同じように感じている人々がいて、このあと、私がジョークでもあり少し皮肉も込めて言った一言で留飲を下げたらしく、「ブラボー!!〇〇(私の名前)」と声が上がったのは嬉しかった。

そんな元夫婦と別々に今も付き合っているミッシェル夫妻もお見事だが、フランスでは離婚後顔を合わせてもこんなに普通に会えたりできるのは、やはりお国柄だとしても、少し余裕を感じる。

 

日本文化を披露したときも、拍手が起こり、フランス人の日本文化への憧れのような物を強く感じた。

1人で来ていたある女性は、日本に旅行したことがあり、他のアジアの国にも行ったが、日本は特別だと感じ、人々をはじめすべてに感動したという話をしてくれた。



それぞれの名前を忘れてしまったり、話の詳細を思い出せないのが残念で、やはりすぐにメモをしておくべきだったと感じるこの夜の夕食会だった。


フォンテーヌブロー近くの母子の家を初訪問

2021-12-15 10:22:38 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

パリに戻って、翌日もまたタイトなスケジュールだった。

郊外に住んでいるアドリアン家族に会いに行くことになっていた。

アドリアンは1人で来日して、その後妹やお母さんも来日して、我が家で迎えている。

今回は初訪問。

最寄り駅のフォンテーヌブロー駅までアドリアンが迎えに来てくれることになっていた。

 

ミッシェルさんは以前リヨン駅に送ってもらったあと、自分の車を見つけるのに一時間半もかかって大騒ぎだったので、日帰りで荷物もないので、今回はメトロを乗りついで、リヨン駅に向かった。

この駅はTGV発着駅でもあるが、SNCF(国鉄)の近郊線も出ているので、それに乗っていく。

終戦記念日の花↓

パリから約30分くらいだったろうか。

この駅は、2003年、バルビゾンやフォンテーヌブロー宮殿をたずねて以来になる。↓

今回も観光の打診があったが、もう見ているので、ゆっくりさせてほしいと言っておいた。

 

アドリアンは車で迎えに来てくれていて、そのまま彼らの家へ。

この家は新しい造りで、水回りなどを含めてとても便利になっていた。

お風呂も清潔で、今まで訪れた中で、日本に一番近いといってもいい仕様になっていた。

新しい家はフランスでも水回りも便利になっているのだ。

水周りなどの不便さをフランス滞在時は、気になりつつもホテルなどは、近代的なタイプより多少不便でもフランスらしいと好んでいる私もやはり水周りがいいと気持ちがいいのも確かではある。

 

妹のマルレーヌは日本語も上手で、いつか日本に住みたい気持ちがあり、勉強を続けているらしい。

慎重派のアドリアンは、日本に住みたいけれど、今の仕事を辞めることなど考えず、今は家も購入し、堅実な生活を送っていて、日本に住むのは退職後の夢のようである。



お母さんのシルヴィアとマルレーヌが手料理を用意してくれ、ターブルを囲んだ。

シャルロットオフレーズと言う一度、グラブゾンのシャンブルドット(B&B)で食べた事があるとても可愛いケーキも作ってくれていて感激した。

 

両親が離婚して母子三人で住んでいたこの家はお父さんのものらしく、この数年後に別の家に引っ越しし、2019年にはそこも訪れたが、今は母子3人それぞれがたぶん一人暮らしして、別々の場所で暮らしている。

 

楽しい時間はいつも本当に早く感じる。

雨も降り出し、そして、またアドリアンの車で駅まで送ってもらった。

また日本で会いましょうと、約束をして。

 


フランス人交流


フランスランキング

ブログランキング


フランスランキング