フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

元気になってきたので、思い切って2回目のPCR検査に賭けることに!!!

2023-04-30 09:16:22 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

優しく迎えられたことで、心も温かくなった私たちは、小児科医のアドバイスにより、2回目のPCR検査にかけてみようと決めた。

それは水曜日(昨日)の夜だった。

PCR検査が可能な日はいつか。帰国便の予約は何日にするか。

この時点で可能な最短のフライトは、日曜日の夜便である。そこからPCR検査をさかのぼると、木曜日は72時間以内にはならない。

金曜日は祝日にあたっており、ラボは休みである。

PCR検査を受けるのは、土曜日の午前中しかなく、結果を日曜日の朝にもらえれば、夕方の帰国便に間に合う。

イチかバチか、本当に賭けだった。

 

帰国便の予約をリヨンの日仏夫妻に頼むことにした。慎重になった方がいいのは百も承知で、日本人のご主人は何度も「大丈夫か」と念を押した。

私達の固い気持ちを伝えると、予約を承諾してくれた。

 

次はPCR検査の予約である。小児科医のジャッキーは徒歩で行けるラボを予約してくれ、同行してくれると言う。ありがたいことだった。

 

ここまで決まったら、あとはPCR陰性を信じるしかないと思ったら、気分もぐっと前向きになり、連れ合いの具合も快方に向かっていた。

 

少し寒かったが、朝はジャッキーとともにマルシェに買い物に行き、そのあとすぐにまたジャッキーと一緒に今日はバティニョール地区の新旧へ散歩に出かけることになった。

どちらも行ったことがあったが、ジャッキーに従った。

 

まず新しい地区へ。マリーエメと一緒に2019年歩いたところだ。

そこから旧地区へ。ここは今回のパリ滞在の初めのころ、アンジェルと歩いたところだった。

ランチをしたお店などの前も通った。

日本人女性が声をかけてくれた和食のお店があった。↓

バッテラというのを見て、もしかして関西出身? またいつか機会があれば寄ってみたい。

そこからクリシー広場へ向かい、一軒家が並ぶ小さな通りを見たりして、歩き続け、約2時間、6kmは歩いたであろう。こんなに歩いても心地よい疲れ程度、つまり完全復活したと言える私たちだった。

そして、やっと帰宅。

 

家に到着するとニコルがランチの用意をして待っていてくれた。

たぶん、ポークだったと思うが、ニコルの料理はどれも本当に美味しい。

聞けば、時々レッスンに行き習ったりもしているようである。

料理が得意だったとは、初めて知ったが、今回彼女の料理のおかげで、フランス家庭料理の健康的なものをいただけて、ここでの4日間は食事の時間がとても楽しみだった。



食事のあとは、メトロに乗って、サンラザールまで行き、クリスマスの飾りつけを見ようと言うことになった。

プランタンのウインドーはすでに飾り付けが終わっていたが、クリスマスの飾りで有名なラファイエットは数日後に始めると言うことで、この日は残念ながら見られなかった。

が、やっとパリらしい光景を目にすることもでき、気分も上々になってきた。

 

夜はキッシュと、ポチマロンのスープだった。毎夜頂く彼女のスープは、日本でまねができない味だ。






救いの神様ニコルとジャッキーに迎えられた。

2023-04-28 08:53:02 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

小児科医の家の呼び鈴を鳴らすと、下りて来てくれたのは、診察中のジャッキーに代わり、奥さんのニコルだった。

 

大きなスーツケースを見て、「それはジャッキーに(上にあげてもらおう)ね」と言ったが、一番大きいのは上まで上げる必要もないと伝えた。

 

以前は、サロンから廊下を歩き、トイレや洗面所のある方の部屋(二部屋)を使わせてもらった。

孫の面倒を見るときに便利なのでと、最近は彼らがその二部屋を使っているようで、今回はサロンの奥にあるリビングの方にある(やはりこれもメゾネットなのか)、階段を上がったところ(3階)の部屋に案内された。トイレは2階の共同なので下に降りる必要があるが、小さな部屋ながらバスタブや洗面台もあるし、シャワーや洗面には便利だ。

 

ここで、とりあえず4泊はさせてもらえそうだ。

本当にありがたいことだ。

 

食堂の下には小児科医の趣味である絵画のアトリエがあり、そこから仕事部屋(小児科の診察室)へと続いているようだった。

 

ニコルに今までの経緯や南仏での話をし、ジャッキーの仕事が終わるのを待っていた。

昼休みになり、ジャッキーがやってきた。

美味しいスープとサラダを用意して待っていてくれた。メインもあったが、この日は写真を撮るのを失念していた。

二人は健康のため、お昼はしっかり食べ、夜は簡単なもので済ませるそうである。

ジャッキーも話をすると変わりなく歓迎してくれていることがわかり、嬉しかった。

 

ランチのあと、ニコルがクリシーの町を散策しようと連れ出してくれた。

以前と同じところもあったが、未訪の公園なども訪れた。

夕方は結構寒くなってきたが、よく歩いた。

 

そして家に戻る途中のスーパーで買い物をするのにも同行した。

夕食時、ジャッキーは、「シンプルなのは再度PCR検査をして、陰性証明で帰国に備えることだ」と言う。もちろんそうだが、万一陰性の反応が出なかった場合の話をすると、もう罹患してからずいぶん経っているから心配ないと言う。

一抹の不安はあったが、一晩考えて、それが最短で帰国できるので、賭けてみようと思いだした。温かく迎えられ、気持ちも前向きになってきたということだ。


キッチン付きのホテルのフロントの呼んだタクシーの顛末。

2023-04-27 09:16:00 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

さて、今日はこのホテルでの自主的?隔離生活を終え、パリ環状道路のわずか外のクリシーに移動する日だ。

 

いつものように向かいのパン屋にパンを買いに行き、荷物をまとめた。

 

この日は水曜日で、小児科医は診察日で迎えに行けないということで、タクシーの手配をフロントに頼んだ。

これが、大変だった。

 

まず時間通りには来られないとフロントがいってきた。そして、しばらくしたのち、ホテル前までは来られないので、この場所で待っているようにというメモを持ってきた。

言われた通りの場所で待つこと15分、来ない!!!!

 

フロントに私だけ戻り、「来ない」というと、フロントの女性もその場所まで出てきてくれたが、最終的に「大通りまで出て、別のタクシーを拾って」というではないか。

「流しのタクシーが拾えるのか」と聞いたら、「拾える」という。

このたくさんの大きな荷物を持って動くのは大変だったが、タクシーを探すしかなかった。

しかし、来ない。

 

再度ホテルに言いに行こうと思っていた時、1人の男性が駆け寄ってきた。

「待っていたのに来ないから、ホテルまで行ったんだよ。その間ここをぐるぐる回っていた」という。

荷物を持ってタクシーの場所まで運転手は歩いていく。

その間、メーターが回っているだろうなと思ったが、案の定回っていた。

そして途中、渋滞が少しあったものの15分くらいで到着したのだが、なんと40ユーロを超えていた(6000円)

本来なら断固交渉だが、保険でカバーできるだろうと思っていたのと、疲れていたこともあり、それは言わないことにした。

 

それにしてもこのようにウロウロさされた原因は、フロント女性の対応のまずさからだった。

前日来てくれたジャンルイさんもフロントの応接が悪いと怒っていた。それまでの宿泊がおおむね快適といってよかったのに比べ、かなりの減点だった。

ここはホテルレベルのフロントではないと言われても仕方ないだろう。キッチン付きのアパートと考えていいのかもしれない。

 

マリーアンジュに(連絡があったので)「無事クリシーに着いたけど、タクシー代、高くない?」と後で聞いてみたら、「クリシーはパリの外なのでそのくらいする」という。

外と言っても環状道路のすぐそば、ポルトドクリシーから徒歩5分なのに。

空港から凱旋門あたりまで40ユーロもかからないのに、と思った。

彼女について、以前リヨンでもタクシーが高かったことを言うと、「リヨンのタクシーは高いのよ」と言われたことを思い出したが、それも実際のところ、どうだったのか、と思えるこの彼女の言葉だった。

 

マリーアンジュに今回もちろん部屋を貸してもらったことはありがたいことだった。彼女は近くのホテルの予約してくれ、最初はお母さんのフランソワーズと半々でホテル代を出すとも言ってくれていた。「私たちが追い出した格好だから」と。

もちろん「あなたたちの家を貸してもらったことだけでも感謝しているので、ホテル代は私達が払うのは当然のことだし、気にしないで」と断った。

 

しかしその時はあまり感じなかったけれど、他の人たちの温かい態度に触れてしまった後は、彼女の夫、マニュエルフランソワーズの夫フランソワには、変わらぬ温かさを感じているが、彼女とフランソワーズに対しては、心の底のどこかで少し温度差を感じてしまうことになった。

 

そんなことを思いながら、懐かしいニコルとジャッキーの家の前に降り立った。




二回目の抗原テストで陰性に!!

2023-04-26 08:38:28 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

3日目は、朝パンを買いに行った。目の前にあるパン屋はかなり美味しいパン屋でデザートもほしくなるくらいだ。

目の前の広場は夜中によからぬ若者が集まったりするようで、警察官が長いこと尋問をしているのが窓からうかがえた。



一息ついたころ、ジャンルイさんがまた自転車でやってきた。ジャンルイさんは寒くても自転車だ。

このホテルはロビーでコーヒーやココアなども無料のサービスがあり、来客者も同じように飲むことができた。そしてジャンルイさんは私たちの様子を見て安心して帰っていった。



午後は、すぐ近くのイザベル宅へスーツケースを引き取りに行った。

彼女もこの状況でも、とても温かく迎えてくれた一人であった。もちろん彼女にもコロナをうつしている可能性があるので気になっていたが、大丈夫だったのでほっとした。

 

あとはアンジェルにも確認したが、彼女も恋人も何ともなかったようだ(彼女はすでに一度コロナに罹患している)

 

そしてこの日から連れ合いも復調し、夕方は一緒にセーヌ川沿いを散歩した。

本来ならゆっくり二人で過ごせた貴重な時間だったと思いながら。

帰りにファーマシーで抗原テストキットを買った。(前回も2つで8ユーロ、1,100円くらいで、今回はさらに安く6ユーロくらい、900円くらいだった)

 

ドキドキしながら部屋に戻ってテストをしたが、幸い二人とも陰性で、安心して明日小児科医のところに行けると安堵した。

 

このホテルでは、一泊目の夜、バスタブにお湯がはれず、フロントに電話をして、直してもらおうとしたが、フランスでは時間がかかるのは想定内とは言え、数人の人が入れ替わり立ち替わりきても直らず、最後には「スペシャリストを呼ぶ」と言って、また降りて行った。

結局その夜はお湯がはれず、翌日の朝やってきた”スペシャリスト”に直してもらい、やっと使えるようになった。

 

しかしこのホテルは、先の2泊のホテルよりは広く、キッチンは十分ではないにしても、気兼ねすることなくゆっくり休めたし、居心地は悪くはなかったと言える。

 


エリックもパトリックも家に来ていいよと言ってくれた。

2023-04-24 09:18:01 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

キッチン付きのホテルでの、1日目は移動と今後の可能性について調べたり友人と連絡を取ることと夕食の買い出しで終わった。

翌2日目は、大使館に月曜日に確認のため、電話をしたところ、フランスの日本大使館は月曜日の朝に時間通りにかけても、「就業時間外」というアナウンスが流れ、大使館もフランス流なのだと驚いた。

 

大使館には帰国便のチケットのコピーをメールで送らなければならない。しかし、水曜、金曜、日曜しかANA便はない。今日が月曜日。

メールを送って領事レターを受け取るのにどのくらいの日数がかかるのか、見当がつかない。送ったらすぐに見てくれるのだろうか。

電話をかけても営業時間通りに電話に出ないことからして、数日かかることも考慮に入れておく必要があった。水曜・金曜はまず無理だろう。日曜日の便とて、確実ではない。

するとやはり翌週の水曜(つまり当初より10日遅れ)が最短であろう。

この時点では領事レターを書いてもらう方法を取るのが一番だと思ったが、そのために何日の帰国便を予約するかが、問題だった。

リヨンの友人に電話で予約を入れてもらうので、確実な日時での予約が必須だった。

またANAはこの時、週に3便(水・金・日)しか飛んでいなかったので、PCRテストをそれに合わせてすることを考えなければならない。

 

しかもその申請には帰国便のチケットが必要なので、リヨンのブリジットさんのご主人は「確実な状態で予約を入れたほうがいい。」と言ってきた。

それはそうである。万一予約したものの領事レターの届くのが遅れると、予約便のキャンセル・予約をもう一度してもらうことになる。

しかも彼には、時差の関係でフランス時間の真夜中の0時を過ぎて日本に電話してもらうことになるので迷惑は最小限にしないといけない。

 

これらから、私たちは帰国は当初予定より10日後、最悪14日後かもしれないと、腹を決めた。

 

この日はコロナの陽性のため、帰国便に乗れなかったことを、エリック、サンジェンマンアンレーのパトリックたちに知らせた。

エリックはすぐに「うちに来てもいいよ。困った事があれば何でも言って」と言ってくれた。エリックの変わらぬ温かさをが心にしみるようだった。

 

またサンジェルマンアンレーのパトリックについては何といっても一泊させてもらった時、彼らの寝室を使わせてもらっていたので、「(コロナを)うつしていないか心配だ。」と送った。

彼と彼の息子は前々日(土曜日)から風邪のような症状で、PCR検査を受けて、この日陽性だったとわかったと言ってきた。私がうつしたのは明らかだった。しかしまったく責めることなく、「シルヴィ(奥さん)はなんともないんだよ。9月にかかったから(奥さんだけかかったらしい)免疫があったんだろう」と。

そして「何かできることがあれば言ってほしい。大丈夫か」とまで言ってくれた。

 

エリックとパトリックには「今は保険でカバーできるキッチン付きのホテルにいるので大丈夫」と返事をした。

 

もちろん図書館夫妻にも知らせた。が、おそらく自分たちがうつしたとわかってはいただろうが、「早く回復してくれることを祈っている」にとどまった。

 

この日は連れ合いがゆっくり休みたいとのことで、ほぼ全快していた私が朝のパンを買いに行ったり、夕方も散歩を兼ねてマルチーヌの家のほうの薬局まで行った。

アンリが東洋系の磁気治療?のような資格を取っていて、その先生が教えてくれた方法で、彼がコロナにかかった時、それを試すと1カ月続いた咳がおさまったと言うハーブのエッセンシャンオイル2種類を探すためだった。1種類はすぐに見つかったが、結局もう1種類は見つからなかった。

 

もう私は全く問題なかったと言える。

しかし寒いので、散歩のみにしておいた。フランスに到着以来、あれほど好天に恵まれていたのに、不思議なことに私達の体調とともに気温が下がり天気もよくなかったのだ。

この辺りは徒歩圏で観光名所などに行けるので、普通ならあちこち行きたいところであったが、すでに訪れているところが多かったこともあり、そこまでの気持ちにはならなかった。


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