フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

おにぎり1個600円、誰が買うの!?

2023-03-31 09:30:07 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

一夜明けて、今日も暖かく20度くらいパリでもあるようで、かなり例外的な気候だった。

奥さんはおすすめのランチの場所や、おすすめコースとして、改装された「サマリテーヌ」に行くといいなど、色々教えてくれた。

 

まず、朝から息子に頼まれたお土産を買っておこうとサッカーのオフィシャルショップへと向かった。メトロで一本で場所もすぐに見つかり、順調なスタートだった。

 

そこからバスでサマリテーヌへ向かおうと思ったところから、予定が狂い始めた。

バス停のある場所へと歩き出し、初めての通りを歩き、なかなかいいなと思いながら歩いていたが、どうやら間違って歩いていたようで、バス停の方向から離れてしまったようだ。

 

そこで方向を変えたのだが、バスは行ってしまった後だったこともあり、次のバス停を探し歩き続け、かなり時間もロスになり足も疲れてきた。

それでもと、歩き続けた結果、到着したのがエッフェル塔の近く、日本文化会館だった。ここも初訪問だったが、トイレを借りるとウオッシュレットがあり、まず驚いた。

もっと驚いたことがあった。おにぎりを買ってもいいなと思ってのぞいてみると、1個600円!! この高いおにぎりをフランス人が買うとは思えないし、日本人も買わないだろうし、(富裕層の観光客向け?)いったい誰が買うのだろうと思いながら、再びバス停を探し始めた。

案内所のおじさんに聞くと、変な冗談でからかわれつつ、教えてもらったのはいいが、どうやら橋の向こう側だとわかった。

 

この橋を渡るのも初めてだったので、まあそれもいいなと思いながら渡り、やっとのことでバス停を見つけたのだった。

 

メトロよりバスが安全だと思っていたのだが、このバスはセーヌに沿って観光コースを網羅しているため、かなりぎゅうぎゅう詰めだった。

ほとんど観光客で、イタリア人と思われる団体も乗ってきた。

 

サマリテーヌに近いバス停で降り、ランチを取るため、図書館マダムのおすすめの店を探した。パン屋である。

「この辺りはリーズナブルなランチのおすすめのお店がないが、このお店はわりといいので、よく利用する」と、マダムのおすすめであった。

 

人気店の様で、列を作っていた。

少し列に並び、サンドイッチ(写真はクロックムッシュ)とデザートと飲み物を頼み、中で食べることにした。

評判通り、なかなか美味しく、サービスもよかった。

パン屋でもご覧の通り、ケーキも↓

 


この咳、大丈夫!?図書館マダムがたびたび咳。

2023-03-30 09:00:43 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

パリに着き、ガールドリヨンから路線バスで、図書館マダム夫妻のすぐ近くのバス停に到着した。

ベルを押すと、ご主人のドゥニが階下まで迎えに来てくれ、大きなスーツケースをまずガレージに置かせてもらい、中くらいのスーツケースと入れ換え、エレベーターなしの4階まで手荷物を持ってあがっていった。

 

南仏に行く前に一度荷物を置きに来させてもらって以来なので、今日と明日ここで2泊し、数日後また戻って1泊させてもらうことになる部屋に案内してもらい、荷物を置いて、少しお茶を飲みながら南仏での旅の話をした。

 

ここには数年前にも夕食に招待され、来た事があるが、泊まるのは初めてである。

2019年の春は彼らのシノンの別荘で3泊させてもらっているので、安心していた。

 

しかし、ここでまさかの状況を知ることになる。

奥さんのジュヌビエーブがお孫さんのお世話で風邪をもらったのか、あまりよくない感じの咳をしていたのだ。しかし奥さんによると、お孫さんはまだ生後4カ月ほどで、マイコプラズマ肺炎になり、大変だったと言い、コロナではないということだった。

 

そんな奥さんも一緒に「散歩に行こう」という申し出を、少し疲れてもいたが断ることもできずに、周辺の地区を知るためにも散策に出かけた。

奥さんもご主人も説明が本当に好きなようで、あちこちの古い建物についても詳しく説明をしてくれた。

ただ、咳が気になっていた私は、この時2度ほど、奥さんが私に振り向き話しかけた時の距離が至近距離だったことが、少し、いや、結構気になっていた。

 

それでも2時間弱だろうか、散策を終え、家に戻り夕食の準備をしてくれ、夕食のテーブルを囲んだ時も、サービス精神旺盛なこの夫妻は、特に奥さんは咳をしながらだったが、いろいろ話していた。



そして夕食の後、この日からバカンスに行く予定のマリーアンジュの家族からも「留守宅をどうぞ使って」という申し出があり、マリーアンジュのご主人はこの翌日のお昼過ぎまではその家にいると言っていたが、使わせてもらうことはないと思い、行かない旨をメッセージで伝えたのだった。


クリスチーヌのお母さんに会えなかったのは残念!!       

2023-03-28 09:31:51 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

アヴィニョンからTGVに滑り込んで、二時間余りでパリへと向かう。

列車の中は、パリに住むお母さんの誕生日に向かうクリスチーヌと一緒だ。

彼女は私達の滞在のためにパリに向かう日もすべて調整してくれ、お母さんの誕生日にぎりぎり間に合うような日程だった。

本当にクリスチーヌは、今回深い友情を再確認した一人である。

お昼は彼女と同じようにTGVの中でランチを買って取ることにした。

旅は道連れとはよく言ったもので、楽しい時間はあっという間に過ぎ、パリに到着した。

 

クリスチーヌは私達が乗るバス停まで同行してくれ、バスの到着を待っていてくれた。

ここでクリスチーヌと別れ、今日からお世話になる図書館マダム夫妻の家へと向かった。

 

二週間ぶりのパリも好天で南仏と変わらぬ暖かさだった。

 

ここまでニームでストライキに遭った以外は順調で、お天気にも恵まれていた。

これから最後の10日間をパリで過ごすことになる。

 

後から聞いたのだが、クリスチーヌによるとなんとお母さんはパリの到着駅・ガールドリヨンまで、迎えに来てくれていたそうだ。私達を見送ることに頭がいっぱいのクリスチーヌは、携帯電話の着信に気づかなかったらしく、お母さんに会えなかったのは、私たちにとってもとても残念なことだった。

 

お母さんの家には一度お邪魔したことがあり、その時はお父さんもご健在で、お父さんとはよくメールのやり取りをしていたのだ。お父さんがなくなった後、お母さんから丁寧なお手紙をいただいたこともあった。

そんなわけで、お母さんに会える機会を失ったのは、今考えても残念という言葉では足りないくらいだった。


まるで映画の一シーン!?

2023-03-27 08:54:33 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

ほぼ時間通りにTGVアヴィニョン駅に着いた。

2003年に12日間のホームステイを終え、この駅に立った時は、「もう2度と来ることはないかもしれない」と思っていたのだが、2年後に再訪、それから何度この駅に立ったことだろう。

 

スターバックスでマルセイユから来ると言うグラブゾンのムッシュと待ち合わせしていた。

 

30分くらいは待っていたのだが、彼は来なかった。

何かあったのか・・・2つの改札口があるので、どちらも確認したが、姿は見えなかった。

とても残念であるが、時間だ。仕方がない。

 

ギリギリまで待っていたが、クリスチーヌの「もう時間よ。行こう」と言う声に後ろ髪をひかれながら、改札を抜けた。

それでもやっぱり諦めきれない私は、ホームに向かう通路(階上になる)から下をずっと見ながら、もしやとの気持ちを持って歩いていた。クリスチーヌはすでにずいぶん前の方にいた。

少し長い通路の真ん中まで来た時、「あっ!!」。

ジャンポールだ!!!!!

「ジャンポール!!!」と大きな声で数回呼んだとき、彼が見上げた。

自分で言うのもなんだが、まるで映画の一シーンのようであった。

改札を抜けてしまったので、戻れないか、と思ったその時、連れ合いが「行っておいで、荷物は見ておく」と言ってくれ、ちょうどその前に階段もあり、おあつらえ向きのおぜん立てだった。

走り降りて、簡単に挨拶をし、その間3分あったかどうか。彼は「来年孫と日本に行くよ。きっと奈良で会えるね」と言って別れた。

その階段は一方通行で、来た改札口まで行かないといけなかった。後ろを向きながら改札で手を振り、通路を駆け上がり、連れ合い、そしてはるか前方のクリスチーヌに追いつくまで走り続けた。

その時TGVが入ってきた。

クリスチーヌも驚いていたであろう。まさかギリギリに現れるとは。

計算してもなかなかこうはいかない。

映画だったら、効果抜群である。と今は落ち着いて思えるが、この時は、ただただその映画のような場面に酔いしれてしまいそうな再会の余韻に浸りながら 座席に着いたのであった。

 


かつてのホームステイ先のアパートの表札にマダムの名前はもうなかった。

2023-03-25 09:28:35 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

アヴィニョンからパリに向かう日の朝、つまりニースから始まった南仏2週間の滞在を終え、パリに戻るのである。

 

お昼過ぎのTGVなので、朝からアヴィニョンの散策をする。

今回はジルと少し歩いただけだったので、少し時間が足りないくらいだが、仕方がない。

かつて1人で初めて12日間滞在した町、ホームステイ先の前まで行ってみた。

表札の名前がなかった。2003年に74歳だったマダムは元気であれば93歳だ。

同じアパートの娘さんの名前は確認できた。

時間がないので、いろいろな思いを胸に、このマダムの家から駅まで当時よく歩いた道をなぞり、メイン通りへと歩き始めた。

クリスチーヌがチーズを買っている店↓

そして、重いスーツケースに入れられるものはもうほとんどないので、お土産を見ても買うことはなく、本当に歩くだけだった。

帰り道は同じ道を通らずに歩いていると、骨董市にぶつかった。

そうか、骨董市もあるのか。(当時は興味がなく、気が付かなかったのだろう)時間があれば、もっと見たかった。が、そういうわけにもいかない。

 

クリスチーヌの家に戻り、荷造りを終え、ヴェロニックの迎えを待っていると、ほどなく彼女はドイツ車の大きな車でやってきた。

彼女はいつも笑顔で本当に気持ちが温かくなる。ヴェロニックとはTGVアヴィニョン駅で分かれた。


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