フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

ローランスの手作りケーキ!!

2024-09-26 09:08:08 | 来日の友人たち

ローランスはわが家に到着した後、私たちの仕事の都合もあり、京都でジョエルとジェシカと観光をすることになり、そのあとの2日間は奈良で、うち1日は、奈良を観光することになった。

 

 奈良観光は、京都から来るジョエルとジェシカと合流することにした。

 ローランスの後半の滞在で、ローランスっはローランスの友人と一緒の時に東大寺を案内することにしておき、この日京都からJRで来るジョエルとジェシカの2人は、2人だけで、先に東大寺を見学してもらい、そのあと合流した。

 東大寺のあとは、二月堂、春日大社から、飛火野、浮御堂、そして五重塔と回った。

 三人ともよく歩き、鹿にエサをあげたりしながら、秋日和の奈良を満喫していたようだ。

ローランスは好奇心旺盛なので、昼食の時、かき氷も注文して、初めての味を楽しんだ。

 

 またこの日も一緒に我が家での夕食に来てもらい、若い二人は京都へ、戻って行った。

 ローランスは翌日、陶芸をしてみたいということで、午後から夫の陶芸クラブに参加することになった。

 その午前中、彼女が得意のケーキ?を作ってくれると言っていたのだが、そんな時間があるのかと思っていたら、取り掛かるまでは時間がかかったのに、いざやり始めるとあっという間に出来上がったのにはびっくりした。

 このお菓子を作るために、材料のいくつかはフランスから持参してくれていたのだった。

 我が家でフランス人にフランスのお菓子を作ってもらったのは、これまでたくさんのフランス人が我が家にやって来たが、初めての事だった。

 

 料理では、コロナ時にきていたアンジェルが、スペイン風のオムレツ(トルティージャ)を作ってくれたくらいだ。

 

 こんな短い滞在で、お菓子を作ってくれるなど、思ってもみなかったことで、とても嬉しいサプライズだった。

 たしか、ブラジル由来の名前のお菓子だったが、「なぜそう呼ばれるのかわからない」ということだった。


これも博愛の精神、アフリカの子供を養子に。

2024-09-21 09:31:42 | 来日の友人たち

ローランスは、実子のほかに養子縁組しているアフリカ系の兄妹がいる。今回は東京に住んでいるその兄を頼りに、アイルランドに住んでいる養女と一緒の初来日である。

 

 ジョエル(兄)ジェシカ(妹)も共に宿泊できたらということだったが、狭い我が家では、三人は無理かと、近くで探すことになった。コロナ後奈良の宿泊施設も様変わりし、適当な宿がなく、結局彼らは自分たちで京都の宿を探した。

 しかしそれではあんまりなので、夕食はうちで一緒にすることにした。

 

 奈良滞在の初日は東京からの移動日だったが、何しろ日本に住んでいるジョエルがいるので、問題なくわが家へ到着した。しかし、京都の宿に寄って来てからだったのですでに日が暮れかけていた。

 最寄り駅まで迎えに行き、そのまま夕食となった。

 

 この兄妹は大人しいが聡明であることはすぐにわかった。ジョエルはIT系の会社で働いているそうだ。

 確かジェシカもそうだったように記憶している。

 幼い時にアフリカからフランス(おそらく、ルアーブルであろう)に到着したときは、心細かっただろう。いろいろな困難もこの明るくて太っ腹なローランスの元なら大丈夫だったろうとだんだんわかってくるのだった。



 そう言えば、あのマルゴ(ブルターニュ在住)の娘さんの一人も、アフリカの男の子を養子にしたと聞いたことが思い出される。写真も送られてきて、マルゴの娘さんの家なら、幸せな人生が待っているだろうと思ったのだが、いまはどうしているだろうか。



 翌日は、京都を観光し、翌々日、奈良を案内する約束をして、ジョエルとジェシカは京都へ戻って行き、ローランスのわが家での初滞在が始まった。




ハードスケジュールを承知の上で、全部引き受けるしかない!!10月

2024-09-18 09:03:03 | 来日の友人たち

2023年の10月は、大忙しだった。

 

まずアヴィニョンのイザベルから、友人が来日するにあたり、奈良での滞在をお願いしたいということだった。

2009年、彼女夫妻が来宅し、その結果友人を次々に紹介してくれたのがイザベルである。

コロナ後初めての紹介は、奈良に10日間滞在するということだった。友人の女性と二人で来るとのこと。

もちろん、イザベル夫妻からの紹介の人は、いい人に決まっているので、二つ返事でOKした。

ニコルとクリスチーヌ。

 

その次に、イザベルの友人でもあるノルマンディーはエトルタのヴィルジニからの紹介が来た。ローランスという女性が来日するにあたり、滞在したいという話だった。

 

彼女は、本当にスーパーウーマンだった。ある意味、初めて出会うタイプのフランス人だと言えるかもしれない。

 

来る前から連絡のため、スマホの電話がかかってきた。映像付きでだった。

まだ実際に会ったことがない人と、顔を見ながら話すのは初めての事だった。

 

そんな彼女は5週間の来日のうち、上記のニコルの予定が先に決まっていたため、その前後に分けて、来てもらうことになった。

 

そして、ローランスには10月初旬の数泊、その次にニコルとクリスチーヌ、そして、10月下旬に再び、ローランスが今度はあとからやってくる幼なじみと共に2人で滞在するということになった。

 

そんななか、6月初旬に来たフェリックスのおじいさんもやってくると言ってきた。

このジャックは、すでに滞在ホテルなども予約済みではあったが、強行スケジュール中、

やっと見つけた隙間の1日を、彼との約束にあてることになった。

(結果的には、彼は翌月11月に、もう一度また我が家に来ることになるのだが)

 

コロナ前にもここまでのハードスケジュールは体験していないので、どうなるかわからないまま、とりあえず、やることにきめた。





7人からのサプライズの国際航空便

2024-09-17 09:52:47 | 来日の友人たち

 

2024年の旅の記録が一段落したので、これからは、2023年にやってきた友人たちの続きを書いていきたいと思う。

 

6月に絵描きの友人たち7人が来た後の続きもある。



彼らが帰った後の10月の初めのこと、大きな郵便小包が届いた。

何かなと開けてみてびっくり!!!!

フランスのお土産がたくさん入っていた。

南仏のお菓子、ラベンダーオイルは、絵描きのフランソワからだろう。南仏のセカンドハウスでバカンスを過ごし、お土産を買ってくれたのだと思う。

またブルターニュ出身だといっていたバスチアンとエンマからは、ブルターニュのカンペール焼のカフェオレボウル2個、しかも私たちの名前が入れてあった。

 

そして、他の三人からはパリのお土産が入っていた。

 

それだけでもこんなサプライズに、感動したのに、まだあった。

 

7人が来た時の写真を大きくプリントアウトした裏に、寄せ書きがあったのだ!!!

あのジェレミーは日本語で、そしてその彼女のミレーヌも日本語でのメッセージだ。

「お茶会(というようなたいそうなものではなかったのだが)に参加できてうれしかった」と。

 

もう、これだから、フランス人には泣かされるのである・・・・

確かに彼らは家に招待されるとは予期していなかっただろうし、そのため手ぶらだったためでもあったろうが、帰国後このようにサプライズのプレゼントを送ってくれたのだった。

他にも時々こういうことがある。

 

それにしても、こちらこそ、全く予期していなかったサプライズであった。

夏にそれぞれがバカンスを過ごし、私たちのことを思い出してくれていただけでもありがたいのに、こうやってみんなでその気持ちを届けてくれたのだから、大げさではなく、涙が出るほど、心が揺さぶられた。

 

彼らが本当に喜んでくれたのだなということが、確実に伝わった瞬間でもあった。

 

もちろん、次回の訪問では、都合が合えば、会いたいメンバーである。




 今回の旅行を振り返りながら、もう次のことを考えている。 

2024-09-10 07:34:04 | 2024年の旅

 

 今回の旅で、失敗と言えば、帰国後1ヶ月くらい経ってから気づいたFreeのSIMの件だ。

マントンで偶然見つけたFreeのショップで、SIMを購入し、1ヶ月の期間を指定したにもかかわらず、解約するまで継続の契約になっていたらしく、2ヶ月目の請求が来たのだ。

 これにはどう対応すればいいか、マルセイユのヴィルジニ、パリのソフィーにも最後には助けを求めたが、結局私が送った「1ヶ月で解約のはずが、そうなっていない」というメールで、ようやく解約への手続きになったようだ。

 Free は便利だったが、店の電話番号も記載がなく、ヴィルジニも連絡のすべがなく、どうしようもなかった。

 ただこの二人から、私がFreeとやり取りしたメールから、「おそらく解約にはなっており、3ヵ月目の料金は請求されない。しかしこの2ヶ月目に関しては、書類上解約がなされていなかったので、取り戻すことは難しいだろう」ということであった。

 金額にして3,000円くらいだったので、授業料と思うことにした。

    次回は店員に任せないで自力で頑張るか、再びOrangeのSIMにするか、E-SIMに挑戦するかまだ結論は出ていない。

 

 2024年、1年半ぶりのフランス旅行を振り返ってみると、今回は今までのスタイルを大幅に変え、会う家族数を限定したことで、どの友人ともゆっくり交流できたように思う。南仏をメインにしたことで、パリは過去最短の滞在でもあった。(空港泊をのぞくと、たった3泊)

 南仏からイタリアに足を伸ばし、久しぶりのイタリア滞在2泊も楽しむことができたし、マントンのアパート滞在も3泊ではあったが、貴重な時間を過ごせた。

 

 ニースのミッシェル夫妻とは、前回とは違い十分話もでき、今までで一番充実した滞在になったのではないか。それにしても91歳のミッシェルさんはまだまだ元気だとは言え、ここまで世話をしてくれるのは頭が下がる思いだ。

 

 マルセイユもエンマを含む家族との再会は、実に楽しいものだった。

 

 ソフィーの新居も訪ねられたし、娘のエンマ(偶然マルセイユのエンマと同じ名前)との初対面も果たせた。

 

 マルチーヌ宅では、短い時間ではあったが、マレ地区のアパートを借りる滞在も体験させてもらえた。

 

 SIMの問題はあったが、皆に助けられて他には大きな失敗もなく、円安が大きく響く(180円近いレート)宿やアパート暮らしではあったものの、まずまず新しい試みもでき、次回への計画へ向けて希望が持てる旅行になった。

 

 次回はいつか、できれば来春にという気持ちはあるが、まだまだ航空券を予約するには高い。

 久しぶりにエールフランスで行ってみたい気もしているし、コロナで一旦は諦めた夢の三ヵ月滞在も頭から離れない。

 

 どちらにしろ、次回は今回のように友人宅訪問を最低限に限定することはなかなか難しい。コロナ禍で遠のいた友人たちが待っていてくれるし、私たちも会いたい人がたくさんいる。だから次回は南仏行きは割愛しなければならないだろう。

 

 そんなことを考えながら、一日も早く、次回の航空券の予約が決まることを心待ちにしている。


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