フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

マントンの眺望、これこそ、コートダジュール!

2024-06-30 11:23:30 | 2024年の旅

シニアの旅行は、ゆったりを旅程を組むことも大事なので、朝の出発も余裕を持って考えている。

 

実は、マントンまでの列車のチケットは、ミッシェル夫妻が駅で買えばいいということであったが、ビオットまでの列車の切符を買うときのモタモタを考えると,ネットで買いたかった。(2019年ストライキのための変更等でスマホで予約変更は経験済み)

その説明をするのがややこしいので、少し早めに出て駅で買うことにした。

 

荷物も手荷物用のキャリーとリュックだけに収め、かなり少なくした。

ミッシェルさんが駅まで同行してくれた。

チケットも要領がわかったので、問題なく買えた。

 

ホームもすぐにわかり、「5日後に帰ってきます」とお礼を言って出発した。

9時50分発のTER、は在来線なので、自由席だ。

マントンまでは30分くらいなのだが、途中モナコも通っていく。

つまりモナコ公国との国境を超えることになる。そしてすぐにモナコ公国を通過してまたフランスに入る。モナコ公国の国境を超えるといっても何もない。通常の駅を一つ通過したのと同じだった。

 

さあ、マントンに着いた。

2016年にアンリ夫妻と来た事がある(モナコもアンリ夫妻と訪問済み)が、車で少し覗いただけで、十分な時間がなかった。

今回は、アパートを借りて3泊する予定だ。オーナーと直接連絡をして、列車の着く時刻を告げておいた。

駅からは30分はかからないが、歩いて20分以上かかった。

駅からの距離はあるものの、このアパートのある位置は、観光にはとても便利だった。

オーナーは待っていてくれた。

感じのいい女性で、重いキャリーバッグの方を持ってくれ、3階(日本でいう3階 フランス流なら2階)まで上げてくれた。つまりエレベーターはないのだったが、特に支障はなかった。部屋を案内してくれ、鍵を受け取り、「困った事があれば何でも言って」ということであった。

室内も生活用品はそろっていて、水周りも含めて、清潔であった。

強いて言えば、室内の装飾がよく言えばシンプル、悪く言えば無機質といったところくらいだ。白い色主体の部屋だった。

荷物を整理し、少し休んで、散策に向かった。

海沿いを歩いていると、マルシェがあった。着いたばかりだったし、現金しか使えないという店も多く見るだけにとどめたが、後になって思うとなかなかいい帽子や靴がリーズナブルな料金で出ていた。翌日にはマルシェは開かれず、残念!惜しいことをした。

そして、旧市街へと上って行った。

コートダジュールの大抵の古い街(村)は海岸沿いではなく、海岸から近い山の方にある。これはこの後で行くイタリアでも同じことだった。

海から来る海賊への対策だろう。

そして頂上付近には、お城跡か教会がある。

しばらく上り続け、教会のある広場に着くと、こんな素晴らしい景色は見たことがないと思うくらいのきれいな青い海とはちみつ色の建物群が眼下に見えた。

これこそまさにコーダジュールだ。


ビオットでのミッシェルさんのストライキ

2024-06-29 20:47:45 | 2024年の旅

 

ビオットを散策し始めた。

小さな村なので、見どころを回ってもそう時間はかからない。

こういう坂のある古い石畳の村が大好きなので、歩くのは楽しかった。

満喫していたが、ガラス細工の工房があるそうで、それはどちらでもよかったのだが、ジャンヌクロードは興味があるようで、村を下り、別のバス停がある方へと歩いていくことになった。

車道を歩くので、車とすれ違うたびにちょっと心配だった。

結局、彼女が思っていたところではなかったようで、また戻ることになった。

「もうこのまま帰ってもいいよ」と言ったのだが、彼女は元の道へと戻り、やはり危険な車道を進んでいた。少しでも安全なところへとはやる気持ちが、早足にしていた。

 

途中で車が通る道からそれて緩やかな石段があり、そこを上がると近道らしかった。

上がり始めてしばらくして、後ろで大きな声が聞こえた。

ミッシェルさんの声だった。

あんな声を聴くのは珍しいことだった。

彼は何といっても91歳。平坦な道を歩くことは「2万歩というのは多いという意味か?」と聞くくらい平気でも、上り坂は相当きつかったようだ。

その前に車道を歩いたことでも彼のストレスはピークに来ていたようだ。

つまり彼は、ストライキを起こしていた。

そこで、わたしたちはしばらく休むことにした。

しばらく休んだ後、何事もなかったかのように、ミッシェルさんは進みだした。

やがていつものミッシェルさんに戻り、私たちもほっとした。

 

村の上の方にある陶芸美術館を見学し、来た時降りた村のバス停で帰りのバスを待ち、無事乗り込んだ。

 

バスでビオットの鉄道駅に着いた。

時間は確かめていた。ホームは来たときと反対側に上った。

しかし、ここで、彼らはまた「確かめる」と言ってまた地下道へ下りて行った。

何を確かめるのか? ニース行きはこっちしかないのにと思った。

確かにこちらのホームのトラックは左右に二つあったが、どちらかに来るはずなので、確かめることもないはずであった。

それでも下りて行って「どこにもホームの表示がなかった」と帰ってきた。

そうこうしているうちに、列車がやってきた。やはり思った通り、ちゃんとこのホームに来たのだった。

心配するポイントがどうやら私たちと外れているように思う。

 

そうしてニースに戻り、駅傍にできたユニクロのビルを見学に行くことになった。

ユニクロはニース駅のすぐ横にあって大きな斬新な建物だった。しかもサインは「ユニクロ」と日本語のままである。

大した出世である。

この後マルセイユでもパリでも見かけた。)

 

今日も夕食をいただいて、明日からマントン(フランス)・ボルディゲーラ(イタリア)へと5泊の小旅行に出掛ける準備をした。


 電車とバスを乗り継いでビオット村へ

2024-06-28 21:38:28 | 2024年の旅

ニースでの朝食は、夫妻が用意してくれたパンと紅茶。ミッシェルさんは早起きで、すでにカフェオーレとパンを食べており、私達が食べる頃は、濃いエスプレッソのみだ。

ジャンヌクロードは私たちと一緒の時もあるし、前後するときもあり、パンと一緒に食べるときは、紅茶を飲み、ミッシェルさんがエスプレッソを飲むとき彼女もまたエスプレッソを飲む。

今回、今までと変わっていたことと言えば、バターもどき?が出されたことだ。

ミッシェルさんは前回以後、心臓面の不安があり、コレステロールも気にしなければいけなくなったとかで、バターを制限しているようだ。

もっとも南仏に来て、バターよりオリーブオイル中心、チーズもイタリアンチーズをよく食べるようになったと言っていた。

心臓は以前には若い人並みに強いと言われていたというミッシェルさんだったが、何が起こったのか・・・カカオ分の多いチョコレートも大好物だったのに、心臓のためにと今ではほとんど食べなくなったということだ。

心配なことである。

 

さて、朝食を終えてビオットに向かうために出発だ。

駅について、切符を買おうとしたら、大混雑だった。

長蛇の列だったが、ジャンヌクロードは、別方向へ歩き、「こっちの機械がいいのよ」という。

どうやらTGVを含む長距離線も買える機械とは別に、近郊線のみの機械があるようだった。

こちらは混雑もあまりしていなかった。

さすが!!と思ったのもつかの間、さて買う段になると、あれやこれや押したり、カードを入れたりしていたが、どうもうまくいかないようだ。

空港からのトラムの乗り換えの時もそうだった。

ジャンヌクロードが何度かトライしたがだめだったので、私がもう一度最初からやり直してカードを入れてみると、すっと上手く行った。

これはなぜ上手くいったのかわからないが、まぁとにかくうまくいった。

こういう時は、余計なことは言わない方がいい。(彼ら現地人の面目丸つぶれである)

 

そして列車に乗り、ビオット方面へ向かう。

 

駅を降りたら、遠くの高い山に白いものがかかっていた。もしかしたら、雪?こんなに暖かく青空なのにと不思議だったが、ニースというかコートダジュールは、青い海と反対側は山で、冬にはスキーができるところもあるそうだ。

つまり、夏と冬のリゾートを楽しめるということだ。

 

さて、ビオットまでは電車で15分くらいだったろうか。降りてから、村へ行くのにバスに乗るようだった。

誰かに尋ねて、バス乗り場に来たのはいいが、タッチの差で出てしまったようだ。

半時間くらい待たないといけないようだった。そして、ベンチもないところで待っていた。

2年前に来たときエズ村に行ったのであるが、そのエズ村に行くバスの時刻も調べていなかった彼らだったので、こういうことがあっても私たちはたいして驚きもしない。

やがてバスが来たので、そのバスに乗って村へと上って行った。ベビーカーに子供を乗せた若いアフリカ系の母親たちが集団で乗ってきた。

ミッシェル夫妻によると、最近この南仏でもアフリカからやってきた若い人たちが多くなってきたそうだ。

 

三十分もするかしないかで、ビオット村に到着。彼らは、まず観光案内所へ向かい、必要なことを聞いたようだ。

もうこのころには、ちょうどお昼とあって、お腹もすいていたので、まずランチにした。

アイオリという南仏の名物料理を食べるのがよさそうだった。ジャンヌクロードはアイオリはかなりニンニクを使うソースなので、胃にこたえるとかで、違うものにすると言った。

私はミッシェルさんと同じくアイオリをいただいた。

前回、マルセイユの夫妻と一緒に食べた事があり、再確認する意味もあった。

しかしここはメインもだが、デザートの量がかなり多かった。こんな大きな、タルトオシトロンもイルフロッタントも今までにお目にかかったことはない。どちらも大好きなものだったが、食べきれず残りは夫に食べてもらった。

ジャンヌクロードも同様だった。

他のテーブルの人たちも私たちのテーブルに運ばれてきたデザートの大きさにくすくす笑っていた。

 

 

さて、お腹も膨れたところで、散策に向かう。






ミッシェルさん,無事帰る。

2024-06-23 08:13:20 | 2024年の旅

トラムの検札によって降ろされたミッシェルさんは果たして無事帰れるのか。

そんな心配をよそに、大きなスーツケースを三人で引っ張って5分余り、到着したアパートのエレベーターに乗り込んだ。エレベーターのドアが閉まるその瞬間、「あ、ミッシェルさん!!!」 アパルトマンの入り口から入ってくるミッシェルさんが見えたのだった。

 

しかし、三人が乗ったエレベーターはそのまま部屋の階に。

そして、ジャンヌクロードが鍵を開けて部屋に入って間もなく、またドアが開いた。

ミッシェルさんだった!!。

私たちは、ゆっくり歩いてきたため、たぶん1台か2台あとくらいのトラムに乗って、速足で帰ってきたようだった。

 

話を聞くと「落ち着いて探すと、切符が出て来て、解放されたんだよ」と。

車内でも相当あちこち探していたのだが、やはり焦ってしまうとそういうことになるのかもしれない。

ミッシェルさん曰く、「服装もちゃんとしていたから、怪しまれたわけでもなかったんだよ」ということだが、それにしては、容赦なく?降車を強要され、連行?のように見えたのは私達だけだったのか。こういう時、人格まで判断されてしまう身だしなみの大切さを改めて思った。

 

まあ、一件落着。やれやれだった。

その間、ジャンヌクロードは、このことに関しては、ノーコメントだったのも興味深いことではあった。

 

そして、2年前と同じように用意された部屋に荷物を置き、ほっと一息ついたのだった。

イチゴを用意してくれていたが、そのイチゴの美味しかったこと!!

奈良はイチゴが美味しいところなのだが、なかなかどうしてフランスのイチゴも美味しい。

ミッシェルさんは「赤いフルーツは苦手なんだ」ということで、食べなかった。

ワインを飲まないのも、同じ理由だと初めて知った。

 

5月は日没も遅いので、夕食までの時間、散策に出かけることにした。

お天気や気温も心配していたが、出発前の夜中に雷雨があったパリとは違い、温暖なニースの町を歩くのは何とも心地よかった。

 

美味しいフラン↓

明日は、彼らのおすすめのビオットという町に列車で出かけるそうだ。


ニース行トラムの検札に降車させられたミッシェルさんは?

2024-06-20 11:09:00 | 2024年の旅

さて、一時間余りのフライトのあと、ニース空港に到着し、スーツケースが出てくるまで、少し時間がかかったので、硝子越し外を見てみると、ミッシェル夫妻がすでに迎えに来てくれているのが確認できた。


スーツケースをピックアップし外に出て、久しぶりの「BIZ」(抱擁をしてキス)で再会を喜ぶ私たち。

ミッシェルさんは91歳、ジャンヌクロードは80歳だ。

しかしその年齢にはとても見えない2人だ。


彼らと一緒にニースの町までトラムに乗った。

彼らによると、空港からニースまでの距離のチケットを買うとかなり高いらしく、

一駅くらいだったと思うが、そこで降りて買いなおすといいとのことだったので、それに従った。

しかし、夫妻は買いなおす機械の操作に詳しくなく、何人かに尋ねてやっと買えたのだった。

このようなことがこの後も続くことになるのは、やはり若く見えてもこの点は年齢を感じさせる。


そして、再度トラムに乗って、同じように乗り合わせたアフリカ系の姉妹と話をしていた。

彼女たちも日本にとても興味があり、行きたい国ナンバーワンだと言ってくれた。


そんな楽しい話をしていたら、ある駅から検札の人たち2人ほどが乗ってきて切符の確認を始めた。

そうか、空港線の切符は高いし、改札口がないので買わずに乗るような人たちもいるということだろう。

私たちは、もちろん切符を見せた。

その時、ミッシェルさんだけ、どこに切符を入れたかわからなくなり、手間取っていた。

あれこれ探していたが、見つからないようだった。もちろん買ったことは私たちも見ていた。ただ見つからないだけだった。

そのことは検札の人も承知のはずだったが、次の駅でミシェルさんだけ「下ろされた」のだった。


どう見ても不正をするように見えない立派なムッシュだし、私たちも奥さんももちろん一緒にいても、そんなことはお構いなしで彼だけ下ろされたのだった。

当たり前と言えばそうだが、検札の厳しさを垣間見ることになった。


さて、ミッシェルさんの切符は見つかるのだろうか。見つからなかったら、どうなるのだろうか。

私たちの心配をよそに、奥さんのジャンヌクロードは家の至近駅で降車し、家路へと向かい、私たちも続いた。




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