フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

10年前のいたずらっぽい小学生の眼は、そのままだった。

2023-06-29 21:19:52 | 来日の友人たち

 

そして、6月にやってきたのは、フェリックス。

彼は10年前、両親とともに初来日、その時は小学生だった。

大学生になり、友人二人を連れての再来日である。

両親はトゥールーズ在住だが、彼は今大学生活を北のリール(Lille)という大学都市で送っていて、映画製作を専攻しているそうだ。

 

両親が誰経由(誰の紹介)だったか、もはや思い出せないのだが、10年前に来た時の忘れられないエピソードは、フェリックスは8月だったこともあり、とにかくかき氷ばかり食べていたことである。ランチの時もかき氷、途中で休憩したときもかき氷だったのだ。まったく食事はせずに。

フランス人の子供で食事をあまりとらないことも確かにあった。レイラもそうだった。

小学生の頃はそんな感じでも成長期になると普通に食べるようになることが多いのだろう。

年齢より幼く見えた彼らも成長とともに 普通の大人になっていく。

両親によるとフェリックスの場合は、今でも偏食であるということであるが、さすがにかき氷だけということはなく、日本食も楽しんでいるようだった。

 

話が前後するが、フェリックスは今回まず東京から入り、一カ月余りの滞在予定で、まだ今も滞在中なのである。関西は京都・大阪で宿を取っていて、広島へも足を伸ばすそうだ。

 

東京で一週間余りの滞在の後京都へ移動したわけだが、彼らは夜行バスを使ったとのこと、いかにも若者らしい。なかなか頑張っている。

奈良での待ち合わせについて、「JRパスを使っているか」と聞いた時「使っていない」ということだったので、近鉄奈良で待ち合わせをということにし、京都発・奈良着の時刻も送っておいた。

 

しかし、あろうことか、彼らはJR奈良駅に着いて近鉄奈良駅まで歩いてきたのだ。しかも普通に乗ったとのことで、1時間ほどかかったとか。

これはフランス人によくあるあるなのだが、このJRと近鉄の待ち合わせは、間違えやすく今までにも他の人で何度かあった。今回はJRパスも使っていないこと、また若い彼らの事なので、大丈夫であろうと思っていたのだ。それでも、こんなことになる。

こちらから迎えに行かなくてもJRから近鉄の方へ歩いて来れただけ、ましということだ。

 

一瞬、女の子の友だちも一緒かと間違えたほど、10年ぶりの再会のフェリックスは髪が長く小柄だったが、小学生の時と変わらないいたずらっぽい目をしていて、笑顔を絶やさず安心させてくれた。


カリフォルニアは多人種社会なので、その分人種差別が少ないと学ぶ

2023-06-17 09:31:20 | 来日の友人たち

コロナ発生以降の初来日とあって、東京ではご主人の家族のお墓参りに行き、しばらく東京で滞在し,京都に滞在している間に奈良に来られた。ご主人はもともと関東の出身で、関西に2年ほど住んでいたこともあると言っておられた。

しかし、奈良へのアクセスについては、説明する必要があった。

そして時間ギリギリに迎えに行ったのだが、早く着いていた彼らは違う出口から出てしまっていて、会うまでに少し時間がかかった。

が、電話でうまく連絡ができて、無事会えて、徒歩10分くらいだというと大丈夫だというので、歩いてわが家へと向かった。

二人とも軽装であったが、普段アメリカでは車暮らしのせいでか、特にご主人の方が少し歩くと辛そうにみえた。

 

到着した途端、ご主人はダイニングの椅子ではなく、リビングに置いてあった物置台に座り込まれた。

椅子へと促して、少し落ち着いた。

 

この日本人のご主人は、かなり饒舌で、よくしゃべるしゃべる。

いろいろな話を本当に途切れることがないくらい話していた。奥さんのベルトはたぶんほとんど理解できているのだろう。うなずいて聞いていた。

ベルトが私に話しかけるときはフランス語になるが、ご主人が日本語なので、私たちもほとんど日本語で話していた。

 

二人ともほとんどお酒も飲まず、また食事にも気をつけていて、小食でヘルシー志向のようだった。

 

関西に住んでいた時、「鱧」を普通の魚と同じだと思って買ったベルトは、「ムニエルにして食べた失敗があるのよ」と言って笑っていた。

 

お茶も体験してもらい、私の母とも交流していた。

アメリカ育ちの二人は高校生くらいの時に出会ったそうだが、その後結婚し、日本で住んだ経験もある。

カリフォルニアを選んだのは、数十年前に移り住んだ時、二人とも「外国人」になるので、一番人種差別がないと思ったからだと言っていたことが印象的だった。

 

いつもと違い、フランスの話はあまりできないし、アメリカはおろかハワイさえ行ったことがない私たちなので、日本の話題についてしか共有できる話もなかったが、とても喜んでくれたようだった。

帰るときは鈍行しか停まらないが徒歩3分の駅があるので、そちらへ見送りに行ったとき、ベルトは少し涙をためていたようにも見えた。

「次はカリフォルニアで」と言ってくれたが、果たして行くことがあるだろうか。

 

つい最近、この秋にフランスへ行くと言っていた。またその話も聞かせてくれるだろう。




横から奥さんが「なんでも食べます!」。これぞフランス人である

2023-06-08 09:34:51 | 来日の友人たち

4月には、以前空港で会った夫妻の友人の日仏夫妻がわが家にも来た。

これは、訪問のみであった。

ご主人が日本人で、奥さんがフランス人という珍しいカップル(リヨン夫妻もそうだが)だが、彼らはカリフォルニア在住というかなり異色のカップルだった。

 

奥さんからフランス語でメールがありやり取りをして約束を決めた。

もちろん「最低でも食事をわが家で」といった。

来日して東京でしばらく滞在し、その後関西(京都)の宿に宿泊し、奈良にやってきたのだった。

彼らは日本に住んでいたこともあり、関西は芦屋に住んでいたこともあると言っていた。かなり若いころの話だそうで、今は二人とも70代後半で、コロナ以降初来日だったが、日本のお気に入りの店など、いろいろなものが変わってしまって、と嘆かれていた。

 

わが家に来る前、京都の宿から、電話があった。

うちでご飯をと言って、最寄り駅へのアクセスを伝えるとき、ご主人に代わると、

「どこか、レストランで食べませんか。ご迷惑をかけたくないので」という。

ある程度これは想定内だった。日本人の感覚としたらこのようなことになるだろうから。

 

しかし、そうはいかない。以前空港で知り合った夫妻にその後お世話になったことがある。その夫妻の友人が来られたのだから、ここは彼らに恩返ししなければならない。

「いえいえ、何も特別なものは出来ませんがぜひうちでごゆっくり。食べられないものはありますか」と聞いたら、隣で聞いていたであろう奥さんが「何でも食べます」とはっきり日本語で言っているのが聞こえ、思わず「クスッ」となった。

そうだ。これがフランス人の正しい?反応だ。

 

この一言で、この夫妻に会うのが、特に奥さんに会うのがとても楽しみになったのは言うまでもない。

 


「土筆の袴取り」も「貴重な体験」ということになった。

2023-06-07 08:58:38 | 来日の友人たち

彼女のはっきりものを言う視点はとても興味深く、毎日話をするのが本当に楽しかった。

彼女は黒を好んでいたが、振袖は一回きりなので、黒地を選ぶとしても地色が目立ちにくいもの、つまり柄がたくさんある方がいいとアドバイスをした。何点か試着した写真を送ってきたが、最終的に彼女が選んだ赤い地色の着物はとてもよく似合っていた。

その数日前に、友人と振袖ではないが着物で歩いた写真はグレー地に幾何学模様で、無彩色に近く、かなり地味だったので彼女も気が付いていたのだろう。

 

色が白く目がぱっちりした彼女にピッタリの振袖だった。ご両親も、フランス人の友人たちもさぞ喜んだことだろうと思う。



また彼女が「土筆の袴取り」をしている写真をお父さんに送ったところ、「貴重な経験をさせてもらってありがとう」と喜んでいた。

また彼女の視点からの日本の気づきも興味深かったので、記しておこう。

「日本の食パンは最高です。フランスの食パンは食パンとは言えない」

これはパン屋さんの「パン・ド・ミー」なのか、スーパーで売られている袋詰めの小さな食パン型のスライスパンのことなのか?は不明。

 

「フランス人は黒が好きよね、スニーカーも黒だったら、フランス人と判断している」とわたしが言ったら「単に汚れが目立たないからでしょ」。確かにそうかも(笑)

 

彼女曰く、「日本の女の子(女の人も)はおしゃれ」・・確かにフランスではカジュアルな普段着を着ている人が多い。もちろん一部超おしゃれなマダムはいるが、私たちの友人の中では少ない。




彼女は、奈良のあと、大阪の友人(外国に滞在していた友人)の両親が所有のマンションの一室を借り一週間、そして次は名古屋のおばあちゃんのところで一週間、最後は東京の近くの叔母さんのところで一週間と、約一ヶ月の滞在を満喫して、帰国の途に就いた、





そして満面の笑みで彼女はやってきた。

2023-06-03 10:08:41 | 来日の友人たち

そして満面の笑みで彼女はやってきた。

 

関西空港から直接の奈良入りだったが、「空港バスで」と言っておいた。

しかし、出発前日SOSが入った。「空港バスがない!!」と。

びっくりして確認すると、関空―奈良がその時点では休みになっていた。こんなところにもコロナの影響が出ていた。

私たちの昨年の渡仏は伊丹空港からだったので、まったく気が付かなかった。

慌てて、関空から大阪市内までの空港バスに乗り、そこから列車へ乗り換えるように伝えた。



そして、やってきた。乗り継ぎ便で長時間のフライトのあとだったが、満面の笑みで。

もちろん彼女は日本人と同じように日本語が話せる。

前にも言ったがこの家はフランス在住ながら、日本語ファーストの家なのだ。

時差ボケもないように調整しているようで、まったく時差ボケもないという。

彼女は高校時代の友人と会ったりするなか、京都で振袖を着て写真を撮ることが何より一番の目的だった。日本での成人式に帰ってくることができなかった彼女の気持ちを思うと、何とかして応援したくなる。

 

すべて予約等は自分で済ませていたので、本当に何もすることがなかった。ただ寝る部屋の確保と朝ごはんと、夜は時々友人と済ませてきたことがあったが、夜ご飯の準備くらいだ。

若いお嬢さんなので、市販のカツサンドやテンプラなども喜んでくれ、しっかり食べてくれた。

 

彼女はモードに関心があるので、日本の若者が行くブティックでも試着をしたわけなのだが、少しふっくら目の彼女が言った「何で日本のサイズは小さいの?」と。そう言われるまで、気づかなかった。

どうも若者のお店にはLサイズの様な衣服が少ないらしい。そう言えば確かに細い人が多い。西洋人のようにウエストが細く、胸とヒップが大きいという特徴にあう服が確かに少ないと言える。

そして、試着するたび、店員さんが「すみません」ということにも驚いていた。

「こっちの体形の問題なのに、なぜ謝るのか」と。








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