******友人たちの近況******
フランス人の友人も、このブログでおなじみの人や、記している人の中にも6年の間にいろいろな変化もあった。
まず、ベトナム人女性と結婚をしたヴァンサン、披露パーティーにはもちろん行かせてもらった。7月にはパパになった。
その一か月後に結婚したのが、ルイ君、招待いただいたが、一ヶ月で再度フランスへというのは出来ず、諦めるしかなかった。彼には、その前にお兄さんと一緒に奈良に来た時、少しだけ再会、そして昨年は彼の両親宅でお世話になり、彼と奥さんにも再会、彼も今年1月に生まれた娘のパパになった。初めて日本に一人で来た時は17才だったので、感慨深いものがある。
オスカルちゃんが生まれ、初対面を果たした「ハンバーグ」(パリでかつてハムバーグ店を営んでいたことからつけたニックネーム 勿論相手には内緒)のカップル、その後女の子が生まれた。
この「ハムバーグ」ことバンジャマンは、当時ランスからパリまでTGVでお店に通っていたが、昨年ランスで迎えてもらい、家族4人と、彼の両親宅へもお邪魔させていただいた。その直前に決まったシャンパーニュでの仕事を今はしていて、とても楽しそうだ。
「アルザス3人組」(かつて南仏のグラブソンのシャンブルドットで偶然友達になった人達、アルザスの人だから付けたニックネーム、カップルとご主人のお母さんの3人だったから これも先方に内緒)の息子夫妻も私の来訪を待ってくれていた。一人息子が生まれ、そのあと訪問した時は、奥さんの両親やお兄さんご夫妻にもお世話になった。今はさらにもう一人息子が増えたとかで、にぎやかになったようだ。
恋多きダニエールは、10年いっしょに住んでいた彼氏と新婚旅行に来日した後、一年で別れ、その後すぐに今度はベトナム人のパートナーを見つけ仲良く暮らしているそうだ。
バンジャマンを紹介してくれたセシールは、早期退職をして、トゥールーズの近くの田舎へ引っ越し、静かに暮らしている。
引っ越しと言えば、「パリと言えばこの夫婦」というくらいお世話になったミッシェル夫妻がこの1月、終の棲家にニースを選び、引っ越してしまった。次の訪仏では、ぜひニースにもと思っている。
マリーアンジュは、ご主人の転勤で6年ほどリヨンに暮らし、この7月にパリに戻ったそうだ。
日本にも幼い頃来たことがあるフランス人形みたいなクレマンスは、今はロンドンの大学で音楽を勉強中。
エトルタの友人は彼氏が見つかり、「あなたに紹介したい」と私の再訪を楽しみに待っていてくれる。ただ今回のコロナウイルスに2人とも感染して、特にご主人はまだその後も体調がすぐれないということで、気がかりである。
マルチーヌとカトリーヌは乳がんを患い、その後回復し安心しているが、カトリーヌは記憶がなくなってしまっているというショッキングな知らせがあった。
またマルゴも今闘病中ということで気がかりである。
悲しいお知らせは、アルザス3人組のおばあちゃんが100歳直前、またエスカレーターのお母さんも100歳目前、アニエスのお母さんも95才で亡くなられた。
しかしびっくりしたのは、昨年ノートル・ダム尖塔の火災の折、ドミニックから知らされたベルニの死去だった。あまりにも突然でドミニックにとってもまだ信じられないということだったが、思えばこのように交流が広がったのは彼女のおかげという部分も多く、今もまだ信じられない思いである。