フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

出発の朝、パン屋で子供の「メルシー、マダム」

2021-07-08 15:09:46 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

出発の朝、タクシーは、余裕を見て9時半に予約してくれたらしいので、それまでにパン屋さんに行こうと思った。

この近くには美味しいパン屋さんが何軒かある。

一番近いビオのパン屋さんは、あいにく定休日だ。

 

そこで私はこっそり朝早く私の部屋がある3階の部屋から出て、駅に近いパン屋へ行った。

そこは黒人のムッシュがいつもいる店で、何を買おうか考えていたら、小学生のやはり黒人の子供がやってきた。

学校に行く前に寄ったように思えたので、「どうぞ」と譲った。

その子は「メルシー、マダム」ときちんとお礼を言って、学校へ急いだ。

お店のムッシュもまた「ありがとう、マダム。あの子は学校へ急いでいたので、助かったと思うよ」と、私に対して言ってくれた。

こういうごく当たり前の挨拶のような言葉の大切さを改めて感じ、私はとても爽やかな気持ちになった。

そして、そのムッシュおすすめの「バゲット・トラディション」やマカロンなどを買った。

残念ながらシューケットはなかったが、それはアニーが朝ごはんに用意してくれていて、残りも全部持たせてくれた。


 

余裕をもって、空港にも到着。WIFIは使えるが、使う人が多いからか、電波は気まぐれだった。

今回は、バスクからパリに戻る時刻を勘違いし、予約していた電車に乗れなかった大きな失敗はあったが、バスクと北マレと呼ばれるこの地区に初めて滞在し、どこに行くにも意外に便利で、徒歩圏で中心地は行けることがわかったり、いろいろな発見があった。

 

さて、次は2016年のコートダジュールでアンリ夫妻との日々を中心とした滞在を記していきたい。

 


ブルーノ夫妻の最後の手料理と古いビストロ。

2021-07-06 08:58:40 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

帰宅したら、ブルーノ夫妻が夕食の準備をしてくれていた。

 

サーモンがメインだった。

 

サラダに乗せるパセリを切るためにブルーノが持ってきたはさみがとても面白いものだった。こういうのを探してみたいと思うが、なかなか見つけられない。

 

そして、お米でご飯も炊いてくれていた。

やはり日本人だからと思うのだろう。

日本のお米とは違うのだが、彼らに取ったらその差は判らないのも無理ない。

 

ヘルシー志向の彼らはサラダやデザートも健康的なものばかりだった。

 

そんな彼らの気持ちに感謝しながら、翌朝の空港へのタクシーの予約を頼んだ。

実は、ブルーノ夫妻のすぐそばに昔ながらの小さなビストロがあり、ブルーノが教えてくれたのだが、シラク氏が大統領だった時、そのときのアメリカのクリントン大統領を招待するために、大きなレストランではなく、敢えてパリらしさを味わってもらうためにこの小さなビストロに来たのだという。

メニューをちらっと見ると、値段は決して「小さく」なかった。

大きなレストランも顔負けの値段だが、伝統的なフランス料理を味わえるという。

かなりボリュームもあるそうなので、もう少し若ければ、一度くらい行ってみたいようなお店であるが、今はもうとても無理だ。(もちろんお財布にも厳しい)

 


パリでは地元の人がよく行く小さいお店が美味しいお店

2021-07-05 09:11:07 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

パリ最終日。

 

今日はフリーということで、どこに行こうかと考えたが、昨夜のサンジェルマンデプレあたりをもう一度訪れたいと思い、向かった。

 

歩く途中、マルチーヌの家もあり、今回は伝えていないが、その前を通ると、ベルを押したくなる衝動を何とか抑えた。

 

ノートルダム寺院や、花市場も通り、花屋のミッシェルさんのことを思った。


よく見ると 鉄瓶でお茶↓

医科大学↓

ランチは手ごろなお店に入ったが、寒い時期に来ることがほとんどないので「オニオングラタン」を久しぶりに注文した。

やっぱりこういうシンプルなものの方が美味しさがよくわかる。

壁に「ジャンポールベルモンド」のポスターがあるのもいい感じだった。

そしてまた、同じ道を帰ってきた。

せっかくなので、ノートル・ダム寺院のゼロポイントも踏んでみよう。

 

またマルチーヌの家の前を通った。すぐそばにティールームがあって、このサロンドテは、日本でも紹介されていたことがあり、以前彼女に聞いたが「知らない」と言っていた。

小さな通りだが、彼女のアパートと同じ通りで、目の前と言ってもいいほど近いのに。

そこで、ちょっと休憩してみることにした。

中は意外に若い世代の人たちが多く、いかにも英国風のお店と言える。紅茶も美味しいし、ケーキもイギリス風のケーキと言った感じ。

人気があるのか満席だった。

2019年にマルチーヌと同じアパートに部屋を持っているスイス人(普段はスイス在住)が我が家に来たのだが、その直後だったと思うが、マルチーヌとそのスイス人のクリスチャンが一緒にその店を訪れていて、ランチをしたようで「とても美味しい!!」と言っていた。

「うふふ、そうでしょう?」とは言えなかったが、また次はランチにも訪れてみたい店であった。


ナポレオンも若い頃、このレストランで「コッコヴァン」を食べたのか?

2021-07-03 13:16:20 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

夕食のレストランは、パリ最古のレストランで、ここをパトリックが選んだのは、偶然出会ったフランス人がここのオーナーで、仲良くなったので、「おいでよ」と言われたからだそうだ。

 

着いてから「行ったことがあるか?」と聞かれた。実は2014年、つまりこの3年前にフランソワ夫妻と行ったことがあったので、そのように答えた。

でもその時もいい印象だったので、「いいよ。何度でも」ということで、パトリックはちょっと残念な気持ちもあったかもしれないが、私は楽しみだった。

 

車を停めたところから少し歩いて、お店に向かったが、サンジェルマンデプレはとても落ち着いたいい地区なので、お店などもそんな感じの店が多く、お上りさんのようにきょろきょろしてしまう。

レストランは、フランソワ夫妻もそういっていたが、「コッコヴァン」という「鶏のワイン煮」が名物なのだが、どうもこれは前回の経験からはそこまで美味しいと感じられないので、別のものを頼んだ。

でもパトリックは鍋いっぱいのコッコヴァンを平らげた。

奥さんは何を注文したか忘れたが、魚のようだった。

前菜には「牡蠣」を選んでくれたので、それを皆で食べた。

牡蠣は好きでも、日本では生ガキを食べたことがないのだが、フランスの牡蠣は小ぶりなので、生でも抵抗なく、おいしい。

フランスでは生しか食べないようで、フライや焼牡蠣にびっくりするが、食べてみてたいていフランス人は「美味しい」という。でも逆に温かい牡蠣に抵抗がある人もいるようだ。

デザートもたぶん伝統的なものをいただいたと思うが、写真が残っていないので、記憶にはない。

彼らはいつも私が停まっているところに送り届けてくれるのだが、何家族くらいの家に届けてくれただろう。

いつもちがう家族のところのような気がする。

ミッシェル夫妻のところ、フランソワ夫妻の娘のマリーアンジュのアパートを借りたとき、小児科医のところ、そしてこの音楽家のところ、

よくこんなに次々泊まれる友人がいるなあと、心の中で感心しているかもしれない。

 

ミッシェル夫妻の奥さんとパトリックは電話で話したこともあり、声のきれいな奥さんのジャンヌクロードのことを感じよく思ってくれているのがわかり、私も嬉しかったのを思い出す。

 

パトリックのふるさとの、ヴォージュ山は、フランス人でも知らない人が多いのに、ガンツ夫妻がそこに住んでいるので2007年に訪問しており、その話にもたいそうびっくりしていた。

 

3年くらい前に、そのヴォージュ山で一人で暮らしていたお母さんが施設に入ることになり、家を処分するときは、幼少時代の思い出が詰まっていることもあり、パトリックは辛かったと言っていた。

 

ロックダウン解除になり移動制限が解けたら、すぐ施設のお母さんに会いに行っているそうだ。昨日もメールで、また7月にはヴォージュ山へ行くと書いてあった。

2019年の滞在時に招待してくれたサンジェルマンアンレーの近くのレストランを、久しぶりに訪れ、変わらぬ味や店に喜んでいる様子も伝えてくれた。

 

そんなメッセージが届くと、私の渡仏も近づいてきたような気持ちになるのだ。

 


錦鯉を飼い始めたパトリックが住むサンジェルマンアンレーへ

2021-07-02 10:57:44 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

日本食の夕べの翌日は、パリ郊外まで足を延ばす。

サンジェルマンアンレーに住むパトリックの家族の家に行くためだ。

今回のパリ滞在で唯一訪問予定のパリ郊外サンジェルマンアンレーに住んでいる家族の家だ。

この日は、マルメゾンというナポレオンの奥さんの家に行き、夜はナポレオンゆかりのパリのレストランに行く予定になっていた。

お昼前に家を出て、RERのA線に乗り、サンジェルマンアンレーに向かった。

いつものようにご主人のパトリックが迎えに来てくれていた。

 

今日の予定は、ナポレオンの奥さんの館、マルメゾンを訪問し、そして夕食はナポレオンゆかりのパリ最古のレストラン(カフェ)と言われている「ル・プロコップ」に行くことになり、今日はナポレオンデーになった。

 

まず彼らの家でお茶をいただき、バスクのビアリッツ出身の奥さんのシルヴィとバスク旅行の話をした。

 

彼女はアルバムを見せてくれ、地図で「この辺りに住んでいたのよ」と教えてくれた。

今もお母さんやおばさんが住んでいるそうで、時々訪れるようだ。

フランスでは、退職後や高齢になってから都会を離れ、海の近くへ引っ越しする人が多いそうだ。

 

ソフィーの両親も、ガンツジュニアの奥さんの両親も、海辺のアルカションというところに数年前に退職して引っ越したし、ミッシェル夫妻も地中海側へ引っ越した。

地中海や、大西洋沿岸に引っ越す人が多い。

若い時はセカンドハウスをもって週末を過ごしたりもするが、決して日本で言うところの「別荘」という高級なイメージではなく、「田舎の家」という感じで、都会の喧騒をしばし忘れるためだ。

コロナ禍において、このセカンドハウスを持っていた人は、そちらで生活する人(特に高齢者や退職者)は多かったようだ。

 

そのままそちらに生活を移した若いカップルもいる。ルイ君だ。奥さんのたっての希望で、幼い子供を育てる環境を優先したとか。もちろんルイ君の仕事面では簡単ではなかっただろう。

 

さて、大きく話がそれてしまったが、シルヴィは、笑いながら私に言った。

「バスクの人はアクセントがあるでしょ?」と。

ボルドーに住むアンリモルガンの姪のご主人のフランクも、ボルドーより南、きっとバスクに近いところの出身なんだろう。

私がすぐ分かったのは「パン」(pain)を「ペン」ということだ。つまり「ai」が「エ」に近く発音される。

 

そんな話をしながら、庭を見せてもらった。少しずつ手を入れて日本の庭を作っているらしいが、池には鯉もいて、「餌も日本の餌だよ」とパトリックは満足そうだった。彼は昨年ロックダウン中に茶室(と称するもの)まで庭に作ったようで、次の訪問でそこを見せてもらうのが本当に楽しみだ。

大きくなった息子のアルチュール↓

 

マルメゾンは彼らの家からすぐ近くだった。

こじんまりしていたが、中はさすがに素晴らしい調度品や絵画が飾られていた。

もちろんナポレオンに関するものもたくさん見られる。

そして、そのまま夕食の予定のパリへ向かう。

 


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