フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

サンジャンドリュズ到着、そして宿は山バスク」のサール

2021-05-29 09:24:58 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

サンジャンドリュズに到着。14時過ぎだった。

 

フランソワ夫妻が、ホームまで迎えに来てくれていた。

 

日本と違って、駅のホームに入るのは、ノン・コントロールだ。(特別な警戒をのぞいては。一度北部のリールのTGVではコントロールがあった。国際列車発着駅は、少し厳しいところもある)

念願のバスク!!まずは駅の近くで休憩。

早速、バスク色の?カップが出てきた。

その後、街歩きをする。

バスクの名物もいろいろあるので、そう言うものを売っている食料品店をのぞいたり、ガトーバスクや、バスクのマカロンで有名なお菓子屋さんで、試しにここで食べる分を少し買ってみようということになった。



街歩きでは、絵画展のお店をのぞいたりもしたが、やはり何といっても海。

海岸を歩くことにした。

バスクの海岸沿いは大西洋に臨み、波が高いところはサーフィンのメッカらしいが、穏やかな海岸もある。

隣のビアリッツは高級リゾート地で有名で、別の日に行く予定らしい。

この町は、ルイ十四世が生まれた町として有名なので、ゆかりの建物を見学したり、教会にも入ってみた。

海沿いということで、教会には舟の模型?がつるされているところが多いようで、ここでそれを初めてみた。

夏は多くの観光客でにぎわうこの町なので、7・8月は避けたほうがいいというフランソワ夫妻のアドバイスもあり、この9月下旬という時期になったが、この日は夏を思わせるまだ暑さが少し感じられる日であった。

 

また休憩をして、フランソワの運転のレンタカーで、20分くらいでSarre(サール)の近くの宿に向かう。

もちろん彼らも初めてなので、途中で電話で確認をしながら、到着した。

バスクは山バスクと海バスクと呼ばれるところがあり、ここは

内陸部、山バスクで、天気も違い、雨上がりのようだった。

なかなかいい感じの宿で、フランソワ夫妻は「どっちの部屋がいい?」と聞いたが、どちらでもよかったが、静かで清潔な宿だった。

ここで二泊する予定。

今夜は、レストランへ行って食事をすることになっているので、宿からまた車で少し走ったところの サールという小さな町?村?で、いいレストランを見つけてくれた。

 

この辺りでは高級なほうだと思うが、コストパフォーマンスはなかなかよさそうだ。

 

いかにもバスクという内装もよかったし、もちろんバスクの名物料理も食べられる。

何より、みせのひとがふれんどりーで、サービスもとてもよかった。これは大事なことである。

ガトーバスクの盛り合わせ↓

バスク色のお皿にイルフロッタン↓

この時、デザートでいつものように私は好物の「イルフロッタン」を頼んだが、カロリーを気にしているフランソワーズが頼んだのは、シャンパンのグラスにシャンパンを入れたデザート。↓

 

これを運んでくる仕草が面白かった(よくこぼさないなとひやひやするほどのパフォーマンス)。私たちがそれを見て喜ぶので、運んでくる女の子もにこにこしていた。仲良くなったので折り紙をプレゼントした。

本当にバスクの一泊目の夜はこのレストランのおかげで、楽しくふけていった。


モンパルナス駅からバスク地方へ向かう

2021-05-28 09:04:17 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

朝いつも美味しいパンを用意してくれるので、どこで買っているのか一緒についていくと、すぐ近くにいいパン屋さんがあった。

アニーによると、ここは添加物などは少なく安心だという。

硝子越しに作っているところが見られ、見ていると職人さんもにこっとしてくれる。

「シューケットを食べた事があるか」と聞かれ、「ない」というと、「じゃあ、ぜひ」と、買ってくれた。この滞在で初めて食べたが、シュー生地の小さなものにあられ砂糖がかかっていて、とてもおいしく、おやつにもなりそうでお気に入りになった。

今日はアニーがそのパン屋でマドレーヌも買ってくれ、汽車の中で食べるように持たせてくれた。

このアパートは、アールズメチエが最寄り駅だが、他に徒歩でレパブリックという駅と、サンドニという駅も使え便利だ。

 

今日はモンパルナス駅まで、アニーが同行してくれるという。

サンドニからメトロに乗るのは初めてだった。

このストラスブール・ド・サンドニは出口一つ間違えると、いかがわしい?通りに出てしまうので要注意だそうだ。

やはり知っている人が同行してくれるとさっさと移動出来て、時間に余裕をもってモンパルナス駅に到着できた。

実はこの駅は2012年、アンリモルガンさんと待ち合わせたとき、渋滞でミッシェルさんの車が遅れ、3分前にゲートが閉まってしまい、見えていた列車に乗れなかったという苦い思い出があるので、以後絶対に遅れないように行かなければならないと、トラウマになっている。

 

9時52分発の列車は、その時刻がチケットを見なくてもいいくらいしっかり頭に入っていたが、その時刻を頭に刻みすぎたことが、あとになって別の形で事件になってしまうことは、いずれ記すことになる。

 

この時はまだ、ボルドーまで3時間くらいかかっていたと思う。

今は2時間くらいで行けるそうだ。

ビアリッツを通過して、いよいよ待ち合わせ場所のサンジャンドリュズ到着だ。

ここまでパリから約4.5時間。

 

フランソワ夫妻が待ってくれていた。

バスク旅行の始まりである。


東京から1人でフランスに来ている友人と会う約束。

2021-05-27 14:09:37 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

朝からアニーは日本に来た時に一緒にした折り紙が気に入ったようで、教えてほしいといわれ、少し練習をした。彼女は、メモを取っていた。

またブルーノは、日本の古典から作曲をしているのだが、「かぐや姫」「このはなさくや姫」などについて、タジタジになるような質問をたくさんしてくる。


今日の約束は、日本人の友人が宿泊しているホテルでの待ち合わせだった。

予め場所を教えてもらっていたので、簡単に見つかった。

モンパルナス駅の近くだが、初めての駅だった。

おしゃれな彼女が選んだホテルは小さいながら フランスらしさを感じる素敵なホテルだった。

そこからエコールミリテールの近くまで歩き、その近くでランチをすることにしたが、初めて歩くところで、新鮮だった。

 

何回来ても、同じところに何度も行くこともあるし、このようによく知られているところでも初めてだったりすることもある。

 

せっかくなのでしっかりデザートまでいただく。でも大きさがいつもわからず、来てから「しまった!!」となることも多い。

今回もそんな感じ。つまり庶民的な「ビストロ」なので、予想以上に大きいのがやってきたわけである。

7区なので、やはり物価は少し高め。同じパリでも地区によって料金に差がある。

 

そんな7区を散策。

地図も見ないで見当をつけながら歩いたが、軍事博物館が見えたり、きれいにエッフェル塔が見えたりした。おしゃれな店やカフェの前を通りながら、オルセー美術館の前に着いた。

ここで少し休憩。

友人はとてもセンスがいいので、歩いていても目が行くところが私とは違う。いつも勉強になる。新しい発見が多い。

やはりこのあたりになるとカフェに来ている人もなんとなくおしゃれな感じがする。

撮影?↓

そんなことを感じながら、友人とここで別れ、帰路につくため、メトロの駅を目指す。

 

そしてアパートに帰ると、ブルーノがいて、アニーはまた留守だった。

散歩に出かけることにした。

ちょうどアパートのある通りに沿ったスペースで日本に関係するイベントが行われていて、

誰でも入れるようだったので、のぞいてみた。

簡単な日本料理のおつまみのような物や、和服の女性がお茶を点てたりしていて、通りすがりか知っている人なのかはわからないが、日仏混じってにぎわっていた。

あまりフランスで出会った日本人と交流をしたことがないが、少し話をしたりフランス人とも話をして、一旦家に帰りこのイベントのことを言うと、ブルーノも興味を持ったので、一緒にもう一度向かった。

そこで彼が大学で音楽を教えていたことなどを話すと、フランス在住の日本人女性も音楽をされているとかで、名刺交換をしていた。今もその交流が続いているかどうかはわからない。

 

さて、今夜もそこそこお腹が膨れたので、このまま休むことにした。

明日はいよいよ、バスクへ出発。

 


立地は悪くない音楽家(作曲者)の家

2021-05-26 10:40:17 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

すっかり寝込んでしまい、起きたら朝だった。

こんなことは初めてだった。

彼らのアパートは3階とロフト?の様な階段をあがって上の階にもシャワールームと部屋がいくつかあり、息子や娘家族が来た時はもちろん、音楽を学びに来ている日本人学生にも貸していたことがあったようだ。

そういうわけで、何の音も気づかずにぐっすり眠れたお陰で、時差ぼけも感じず快適な朝だった。

 

支度をして降りていくと、まだアニーとブルーノは寝ているようで、静かに待つことにした。すると、二人は起きてきて、ブルーノとまず挨拶。そして食事になった。

このブルーノは、癌を患っている(日本に来たときすでにそう言っていた。)ので、元気そうではあるが、食事などいろいろ気をつけているようだった。

特にパンはグルテンフリーにこだわり、自家製のパンを食べている。私にはクロワッサンなどを買ってくれていた。

そして、散歩に出かけようということで、ブルーノと一緒にまず近くの「アールズメチエ」という博物館を見ることにした。機械で出来たたくさんのものをいろいろ見られ、展示されている乗り物もとても興味深かった。

近くには、前年ミッシェルさんと一緒に来たベトナム料理の店やケーキを食べたパン屋さんもあった。

 

一旦家に帰り、昨夜いただけなかった?ウエルカム料理をランチとしていただいた。

軽めでありがたかった。

 

昼食後(昼食はだいたい2時ごろが多いフランス)少し休んで、私はここの家のWIFIが上の階ではつながらないので、無事着いたことを日本の家族に知らせるため、無料のWIFIコーナーを探しに出かけた。区役所のようなところがあって、そこで色々操作しているとつながることもあったが、安定がよくなく、とりあえず簡単に連絡だけして家に戻った。

そして、また4時前頃から、散歩に出かけた。

北マレ地区は初めてのところも多く、ブルーノがいろいろ説明してくれた。

特に興味深かったのは、「アンファン・ルージュ」という市場だ。

パリ最古の市場で常設だそうだが、もともと孤児院があり、その子供たちが赤い服を着ていたことから、名づけられたらしい。

しかし、第二次世界大戦中ナチスがここにユダヤ人を集め、何処かへ連れ去ったという暗い過去があるとのことでもあった。

 

それはさておき、今はなかなかいい感じで、屋台でランチができたりもする。日本食もあったような気がする。

 

そして、何度も歩いたことのあるマレの方へ行き、ヴォージュ広場を通り、サンルイ島に来た頃には日が暮れてきていて、歩き疲れたので、軽くお茶を飲むことにした。

 

 

 

 

今夜の予定はわからなかったが、そのまま帰路についた。

アニーは帰宅しておらず、「お腹が空いたか」と聞かれたが、そんなに空いていなかったし、これからの日々を考えると少し控えたほうがいいと思ったので、今夜は食事は抜くことにした。

 

明日は、朝から日本人の友人と約束があるので、早く休むことにした。

 

ここは、上に上がってしまえば、別所帯のような感じなので、気が楽と言えば楽だ。

外に出る扉もあり、そこから出たり帰宅したりも気兼ねなくできる。

WIFIと冷たい時が多いご機嫌の悪いシャワーというのが、ちょっと困るくらいだ。




2017年の秋のバスク・パリ旅行のあらすじ

2021-05-25 20:40:04 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

バスク地方へ行きたいという希望は、ずっと持っていたが、フランスの地方の中で一番後回しになってしまったのは、バスク地方に友人がいなかったからだ。

コートダジュールにも友人が2016年まではいなかったが、アンリ夫妻がアンチーブに別荘を買ったということで、2016年に一足先に実現していた。

最後がバスクだった。

 

フランソワーズ夫妻から、「バスクに行きたいの?では一緒に行こう」とありがたい申し出があり、この年の夏の初めごろから、シャンブルドットの予約を任せることにした。

実は彼らは毎年コルシカ島でキャンプをするので、それを誘われていたが、「テントでは寝られない」ということを訴え続け、先にバスク旅行となった。

彼らのワイルドさには、きっと私はついていけないと思うが、「テントの近くには、宿泊所があるところもあるし、トイレもあるよ」とは言ってくれるが、時々テントのそばを猪がよく走るよというような話もしてくるので、一度はコルシカ島も行きたいと思っているが、まだ勇気が出ないのである。

 

さて、予算を伝えて、彼らは3か所で予約をしてくれた。合計7泊である。

この時、行きたいところの希望として、サンピエドポーが一番で、そのほかには、待ち合わせ場所になったサンジャンドリュズやバイヨンヌなど、また「スペインバスクのサンセバスチャンとビルバオにも行きたい」言ったのだが、彼らは「フランスバスクしか行けないよ」という。どうも彼らはスペインバスクは好きではないらしい。

なんとかサンセバスチャンだけでも、とお願いをしたら「時間があればね」ということだった。

 

まあそれでも、レンタカーで一緒に回れるのは効率がいいので、贅沢は言えない。

 

彼らはパリ郊外に住んでいるので、直接オルリー空港からバスクに向かうという。

私はこの年のパリの滞在先として、2014年の訪問から「うちに泊まって」と言われ続けていたアルルに住むクリスチャンの従弟で、音楽家夫妻のブルーノとアニーのところで滞在することにした。その間2度の来日で、奈良でも会っている。

アールズメチエが最寄り駅で、場所としては北マレ地区で、悪くない場所だ。

そこには合計6泊の予定。

 

滞在中の他の友人と会う約束も、今回は大幅にカットした。

郊外に住むサンジェルマンアンレーのパトリック夫妻だけである。

あとは、日本人で同じ時期にパリ滞在する友人と約束をしただけである。



たまにはこんな滞在もいいだろう。

 

空港からの移動は、タクシーの固定料金で、右岸なので50ユーロだった。

運転手もアジア系の信頼できる人だった。子供が日本が好きという話が出たので、

折り紙をプレゼントすると、喜んでくれた。



そして、到着。アニーが窓から到着したのを見て、降りてきた。

エールフランス航空で直行便だったが、出発の朝が早かったので、「ブルーノはまだ帰ってないから、休んだらいいよ」と言われ、少しのつもりで横になったのだが、何と朝まで

ぐっすり眠りこんでしまったのだった。ブルーノの顔も見ずに。

 

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①パリ:クリスチャンのいとこのブルーノ夫妻宅(合計:6泊)

2泊

②サンジャンドリュズ 近くの宿

2泊

③サンジャンピエドポー―近くの宿

2泊

④サンジャンドリュズ 近く(別の宿)

3泊

⑤パリ::クリスチャンのいとこのブルーノ夫妻宅

4泊


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