ウーグとアルジョナは、ワインとケーキを持ってきてくれた。
ワインは、白で日本料理に合うということで選んでくれたようだ。
そして、フランスのケーキには、「パリーブレスト」という、ツール・ド・フランで知られる二つの町を結ぶ名の有名なお菓子があるが、それになぞらえて作られたケーキで、「パリー東京」という名のケーキだった。
このケーキは「アルノーラニエ」というケーキ屋さんで、最近は東京にもあるお店だそうだが、このケーキは抹茶を使って東京を表し、日仏の架け橋となるようにとの思いが込められたものであることが想像できる。
このお店の本店はモンマルトルで、そこで修業された日本人パティシエの店が京都にもある。2019年に偶然その京都のお店を知ったのは、昔モンマルトルのプチホテルに泊まったことがあり、その通りの名前を付けたお店だったからである。
そのことを、このウーグに話したら、たいそう喜んでくれた。
サンジェルマンデプレにある支店には、2019年の春に訪れたが、もう「パリ―東京」はなかった。そう言う意味でもウーグが持ってきてくれたケーキは、タイムリーだった。いつかモンマルトルの本店にも行ってみたい。
このケーキをデザートとして皆で頂いたが、本当に美味しかった。
ウーグは、お土産の選択も気の利いたものが多い。
他にもこんなケーキを皆でペロリ。↓
お粗末な私の料理を、お土産がカバーしてくれ、楽しい時間が流れた。
ブルーノは、今日は「日本の夕べだから着物を着る」と言って、日本で買った着物?を着た。
しかし、この夜、話を聞いていると、彼は失業中でとても厳しい状況にあると言っていた。
しかもその前にアパートを買ってしまっていたので、本当はそんなどころではなかったであろうに、私に会うために無理をして奮発してくれていたんだと思う。
もしかしたらまた南仏に帰るかもしれないと言っていたが、その後の話は聞かない。
しかし、昨年のクリスマスに、クリスチャンがクリスマスの写真を送ってくれた。
高齢のお母さんを囲む四兄弟だった。長兄、クリスチャン、妹さん、ウーグが、家の中だったがマスクをしている写真だった。ウーグも幸せそうな様子で、三人の息子と一人の娘に囲まれたお母さんが幸せそうに微笑んでいた。
そして、このときは「もし時間があるならペールラシェーズの近くに買ったアパートによってね」とアルジョナも言ってくれ、お別れをした。
さすがにこの旅では、遠慮したが、いつか機会があれば行ってみたい。