フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

お土産は「パリ―ブレスト」ならぬ「パリー東京」という名前のケーキ。

2021-06-29 08:38:01 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

ウーグとアルジョナは、ワインとケーキを持ってきてくれた。

 

ワインは、白で日本料理に合うということで選んでくれたようだ。

そして、フランスのケーキには、「パリーブレスト」という、ツール・ド・フランで知られる二つの町を結ぶ名の有名なお菓子があるが、それになぞらえて作られたケーキで、「パリー東京」という名のケーキだった。

このケーキは「アルノーラニエ」というケーキ屋さんで、最近は東京にもあるお店だそうだが、このケーキは抹茶を使って東京を表し、日仏の架け橋となるようにとの思いが込められたものであることが想像できる。

このお店の本店はモンマルトルで、そこで修業された日本人パティシエの店が京都にもある。2019年に偶然その京都のお店を知ったのは、昔モンマルトルのプチホテルに泊まったことがあり、その通りの名前を付けたお店だったからである。

そのことを、このウーグに話したら、たいそう喜んでくれた。

 

サンジェルマンデプレにある支店には、2019年の春に訪れたが、もう「パリ―東京」はなかった。そう言う意味でもウーグが持ってきてくれたケーキは、タイムリーだった。いつかモンマルトルの本店にも行ってみたい。

 

このケーキをデザートとして皆で頂いたが、本当に美味しかった。

ウーグは、お土産の選択も気の利いたものが多い。

他にもこんなケーキを皆でペロリ。↓

お粗末な私の料理を、お土産がカバーしてくれ、楽しい時間が流れた。

ブルーノは、今日は「日本の夕べだから着物を着る」と言って、日本で買った着物?を着た。

しかし、この夜、話を聞いていると、彼は失業中でとても厳しい状況にあると言っていた。

しかもその前にアパートを買ってしまっていたので、本当はそんなどころではなかったであろうに、私に会うために無理をして奮発してくれていたんだと思う。

 

もしかしたらまた南仏に帰るかもしれないと言っていたが、その後の話は聞かない。

しかし、昨年のクリスマスに、クリスチャンがクリスマスの写真を送ってくれた。

高齢のお母さんを囲む四兄弟だった。長兄、クリスチャン、妹さん、ウーグが、家の中だったがマスクをしている写真だった。ウーグも幸せそうな様子で、三人の息子と一人の娘に囲まれたお母さんが幸せそうに微笑んでいた。

 

そして、このときは「もし時間があるならペールラシェーズの近くに買ったアパートによってね」とアルジョナも言ってくれ、お別れをした。

 

さすがにこの旅では、遠慮したが、いつか機会があれば行ってみたい。

 


アルジョナを巡る「ザ・フランス」的な話

2021-06-28 19:16:35 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

ウーグがやってきた。

 

恋人は、アルジョナであった。

予想はしていたし、ブルーノ夫妻が来日したときにも言っていたので、わかっていたが、何とも不思議な気持ちだった。

 

というのも以前、彼女はウーグの兄のクリスチャンの恋人として日本にやってきたのが初対面だったからだ。

 

その後、クリスチャンは別の恋人ができた。そこまでは普通の事。

そして、ウーグが来日したとき、このアルジョナからのお土産を言付かったと持ってきてくれた時、「別れても私のことを覚えていてくれるんだな」と単純に思っていた。

しかし、その時、何も知らない私はウーグに、クリスチャンがアルジョナと来た時の写真を見せたのだった。その時、ウーグの顔が曇ったのを覚えているが、理由はわからなかった。

今思うと、もうその時すでに彼女はウーグと付き合っていたらしい。

 

自由を愛し生涯独身を貫くであろうクリスチャンは、アルジョナには最終的には向かなかったのだろう。

もちろん恋人だった時もクリスチャンとアルジョナは別々に住んでいた。その後の詳しいことは知らないが、時は過ぎて今はウーグもアルジョナもパリに出てきて、一緒に住んでいるという。

 

こういう複雑な関係性があるのだが、クリスチャンは、クリスチャンとアルジョナと付き合っていた時は、クリスマスにウーグもアルジョナも一緒にお母さんの家で祝っていた写真も送ってきていた。

私は何とも複雑な思いだったが、アルジョナの姿を見た途端、言葉にできない懐かしさなどが入り混じった感情があふれて、思い切りハグをしながら再会を喜びあった。

 

こうしてみると不思議なもので、ウーグとアルジョナはお似合いだ。二人は幸せそうだった。

 

一方のクリスチャンは、もうちゃっかり新しい恋人と二回も来日している。

もちろん私も会っている。今度の彼女のドリスもまたクリスチャンにピッタリで、二人は別々の家に住んで時々会ったり、旅行をしたりしているのである。

クリスチャンからするとそれを許容している「ドリスは素晴らしい」ということになる。

私が家を借りるときは、クリスチャンは「ドリスの家に転がり込むから大丈夫」と言っていた。

自由を謳歌している、まさに、ザ・フランス人か。

 

ともあれ、双方がそれぞれ幸せならばいいではないか


日本食を作って欲しいと頼まれた。どうしよう!

2021-06-27 08:47:37 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

今日は、共通の友人がやってくる。

私にとっては友人だが、ブルーノにとっては従弟で、その彼女と一緒に訪問予定だ。

その友人とは、アルルに住むクリスチャンの弟のウーグである。

クリスチャンは、私にとって、もう親戚関係と言ってもいい友人の一人である。

彼は、私の幻に終わった2021年の春の三ヵ月滞在で、彼のアルルの家を貸してくれる予定だった。その滞在に向けて、私が食べられるようにイチゴの苗も去年植えていてくれていた。

残念ながら、そのイチゴを食べることはできなかった。

そんなクリスチャンの弟は、少しタイプが違ってはいるが、それでも優しい人であることは確かだ。

この兄弟に関係性を少し複雑にするウーグの恋人の話は、後にするが、まずこの二人を夕食に迎えるため、ブルーノとアニーからのミッションは、日本料理を作ってほしいということだった。

 

これは、全く予期していなかったので、簡単ではなかった。

フランスに来る時のブルーノの希望で、「海藻類」というのがあって、何を持っていけばいいのかと言っても、お任せということで、私が持ってきたのは、味付け海苔とひじきとだし昆布だった。それは彼らが自分で料理するのだろうと思ってのものだった。

その他の調味料は持ってきていないとことを告げると、「オペラ座(バスチーユではないほう)の近くの日本食材店に行けば何でも手に入る」と言われ、買い物からスタートすることになった。



献立も決まらず、調味料もない。とりあえず行ってみて探すしかなかった。

途中、サマリテーヌというデパートの前を通る。このデパートは2005年以来10数年ぶりに、リニューアルオープンされたのが数日前だ。↓

オペラ座の近くの食材店は見つかった。

フランス滞在中は日本食を食べようと思わないので、こんなことでもない限り、あえてくることはないところだが、日本食の店は多い↓

鰻のお店まであるようだ↓

 

お米もホントの日本米もあったがとにかく高い。仕方なく日本米と書かれたたぶん日本米ではないもの(サムライの絵が描かれていたりするので)を買うことにした。

そして、レンコンなどがあったのでそれも買った。

あとはみりんとお醤油。出しは持ってきた昆布で何とかしよう。

 

近くのスーパーでサーモンとマグロの切り身を買って散らしずしを作ることにした。

後は適当にするしかない。

 

うまくできるかどうか、少し気が重かった。

やはり予定外の出費が続いているので、ある程度の予算内に収める必要もあった。

アールズメチエの駅の近くで、以前ミッシェル夫妻と立ち寄ったパン屋さんでデザートを買って、帰る前にひとくち。↓

夕方早めに帰ってきて、取り掛かることにした。

 

散らし寿司を作ることにし、残ったご飯はおにぎりにすることにした。

 

何とか、形だけは最低限、できた。これで勘弁してもらおう。

そして、20時を過ぎたころ、ウーグは彼女と二人やってきた。

 


長い一日の最後は、オペラ座でメリーウイドウ。

2021-06-25 09:27:42 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

パリ行に乗って、サンドイッチを食べて、いろいろな思いに浸っていると、もうパリ到着。

モンパルナス駅からは、来た時と同じようにして帰ろうと思った。

つまり、地下鉄でサンドニ駅を目指した。そこまではよかった。

 

しかし、サンドニ駅の出口を確認せずに出ると、来た時と違う出入り口だったようで、外の景色が違った。

 

そう、この駅の近くは、娼婦が立っていることでも有名らしく、どうやらそっちの方に出てしまったようで、慌てて方向を換えようとしたのだが、昼間なのにそれらしい人がもう立っている。

 

それで慌ててしまって、すっかり道を間違えてしまったようだ。雨も降り出したので、とんでもない方向だといけないので、カフェのお兄さんに聞いてみた。もちろん親切に教えてくれた。

そんなに外れてはいなかったのだが、いいところで聞いたようだ。

帰る道は来た道とは違ったけれど、帰れそうな道だと思っていると、何度か通った公園へ出た。ここまでくればもう安心。

 

そして、ほどなくブルーノ夫妻の家に到着した。

 

オペラを見に行く日だったので、取り急ぎ荷物を片付け、遅れた理由を話し、オペラ座に行く用意をした。

 

バスチーユのオペラ座で、日本では「メリーウイドウ」と言われている作品だ。

行きは歩いていこうということで、彼らについて歩いた。

 

以前ミッシェルさん夫妻とも行ったことがある。その時もトゥールーズから5時間かけて帰ってきたその夜に予定されていたことが思い出される。

「セビリアの理髪師」というオペラだったが、予習せずに見て、さっぱりわからなかった。席は1階だったが、後方で顔もよく見えなかったが、1万円くらいはしたと思う。

 その時(2012年)の席↓

オペラ座に着いて、席を探すと、今回は2階だったが前の席だったので、前回よりは見やすかったものの、顔までは見えないし、値段も1万円くらいだった。

今回(2017年)の席↓

でも作品としては、わかりやすく、基本はドイツ語のオペラだが、フランス語の場面もあり、最後にあったフレンチカンカンなどは本当に楽しめた。

 

バレエと同じで、カーテンコールは写真撮影もできるので、そう言う寛大さは日本も見習ってほしいと思う。

始まる前や、幕間にロビーに出ると、ブルーノ夫妻の知り合いに何人も出会った。

やはり音楽家ということもあり、こういうところで出会う友人も多いのだろう。

 オペラを見に行くということが決まった時、ブルーノにドレスコードについて尋ねた。

彼は「フランスはね、昔はフォーマルと決まっていたが、もう今は自由なんだよ。特別な場合を除いては。」ということだった。

ミッシェルさんはオペラ鑑賞の時、ネクタイこそしていたが、彼はフランスでは普段からきっちりした服装を好むほうだからだとわかった。

もちろん席によってドレスアップしている人もいるのだろうが、それもまた自由ということだ。2003年にオペラガルニエでバレエを見たときも、仕事帰りに駆け付けたという人も多くいたし、日本と違ってサラリーマンもスーツでない人のほうが多いので、スマートカジュアルと言ったところだろう。

音楽家のブルーノ夫妻も特別おめかしをしてはいなかった。

昔ながらの観劇などの服装の慣習はイタリアやオーストリアなど他の国のほうが今も守られているようで、ファッションの国フランスなのに、自由を勝ち取った国の一面を感じられることだった。

2019年。クリスマスのシャンゼリゼ劇場でバレエを見たとき。ジーンズの人もいるのがわかるだろう。↓

真ん中の二人は劇場の人で、彼らのほうがブラックスーツだ↓

 

下は2017年、赤い服がブルーノ↓ (夫妻は、ちなみにこの時、二人ともリュックだった)

こちらは2012年のオペラ・バスチーユ↓

帰りは少し歩いた後、バスで帰ることになった。

夜のバスは初めてだったが、彼らといっしょだったので、何の心配もなく夜景を楽しみながら帰宅できた。

今夜の夕食は遅かったので、スープだけいただいた。

そして、明日は、共通の知り合いが来ることになっていた。

 


ボルドーでアンリ・モルガンさんを偲ぶ

2021-06-24 22:35:11 | 2017年秋の旅行(パリ・バスク)

パリに戻る列車の中から、ブルーノ夫妻に列車に乗り遅れ、戻る時間が遅れることを電話で告げた。詳しい話はせずに。

 

列車の窓から、訪れたバスクの町の駅(ビアリッツやバイヨンヌなど)を確認しながら、まずはボルドーへ。

ボルドーまでの列車は在来線だった。

日本のように横並びの座席がフランスでは新鮮。こんな感じの列車↓

 

ボルドーで乗り換えるとき、2012年にパリのシャンソニエ「ラパン・アジール」のピアニストのアンリ・モルガンさんと一緒にボルドーに来た時、体が弱っていた彼が、その時ちょっと腰掛けていた鉄柵を見たくて外に出た。

 

もうそこに、いやこの世に彼はいない。しかし鉄柵はあった。さみしい限りだ。それを写真に収めた。

カヌレを見たりしても,、もう買う余裕もなく、遅れてはいけないので、パリ行の列車を待った。

こうして、ボルドーで予期せぬ時間ができ、アンリさんを思い出せたのも何か不思議なものが感じられた。

 


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