フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

リヨン到着

2020-12-31 00:23:21 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

TGVなので早い。16時21分にディジョンを出て、18時前に到着。

リヨン駅からはタクシーだ。

なぜか、タクシーに乗るとき、並んでいる人が、譲ってくれる時がある。そういう時、ちょっと注意が必要かもしれない。

フランス人は、よくない運転手をかぎ分けることができて、外しているのではないかと思うことが何回かあった。

この時も乗ってから気づいた。

住所を見せても、わかっているのかわからないのか?

途中で、友人に電話をして説明してもらおうとしたが、「大丈夫。わかる」という。

ものすごく、メーターが回っている、気がするのだった。遠いなあという気もした。リヨンは広いのだが、それでも遠く感じた。

 

雨が降り出していて、近くでおろしてもらった。なぜかアパートの前ではなく、重いスーツケースを引きずって石畳を転がした。

料金も20ユーロを超えていた。チップは渡さないことにした。

 

リヨンの友人家族(マリーアンジュ夫妻)が不親切というのではない。

なぜなら、本来なら家族で祝うクリスマスに招待してくれることからもわかる。

知己の両親(バスク旅行を共にした)がパリ郊外からやってきた。同じくパリ郊外から奥さんの妹さんと息子が合流するので、彼らのアパートにみんなで泊まることはできない。

そこで、マリーアンジュがクリスマスで留守の友人のアパートを、両親と私のために借りてくれたのだった。

そこで3泊の予定だ。

 

到着時は、マリーアンジュが、母親のフランソワーズと待っていてくれた。

エレベーターなしの3階と、事前に聞いていたので、ヘルプを頼んだら、マリーアンジュが下まで降りてきてくれた。しかし、女性では無理だ。

必死で2人で運んでいた。するとそこへ、1人の若者が、自分の荷物を置いて、「手伝いましょう」と、上まで持ってくれた。どれほどありがたかったであろう。

ディジョン駅でもそうだったが、本当にこう言う親切な行動がいとも自然にできるのだ。

 

そして、部屋で待っていたフランソワーズに、あいさつ。

このフランソワーズ、日本を出発前、ぎりぎりまで電話をかけてきた。ストライキの情報のためだった。心配性なのである。

 

念のため、タクシー料金を確認すると、フランソワーズはびっくりしていたが、マリーアンジュによると、リヨンはタクシーがとても高いということだった。

フランソワーズ達もこの日につくのを知っていたので、駅で待っていてくれないかと言ったのだが、彼らはさっさとバスで先に到着していたのだった。そういうところは、あっさりしたものだ。エスカレーターの至れり尽くせりとはやはり違う。

 

部屋を割り振り、荷物を片付けると、早速マリーアンジュの家族が住むアパートへ移動し、夕食だった。

そこでは、マリーアンジュの父親のフランソワ(フランソワーズの夫)、夫のマニュエル。双子の子供たち、初めて会う妹のフロランスと彼女の息子が待っていた。

 

クリスマスツリーも飾られている。オレンジベースの最近はやりだという食前酒・スプリッツで乾杯。

ピザとサラダだった。

久しぶりの再会に乾杯、の夜だった。


リヨンの日仏家族とエスカレーターの温かい心

2020-12-30 00:02:55 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

リヨンで会うもう一つの家族、日仏家族が、「もし列車がなかったら、ディジョンまで車で迎えに行くわ。安心して。そう遠くはないのよ」と言ってくるではないか。

 

これは、どれほど私を喜ばせ、安心させたであろう。

まさか、まさか、であった。

本来ならリヨンで宿泊する家族から提案でも不思議ではないのだが、彼らはパリから数年間の赴任でリヨン在住で、車を持っていないのだった。

 

しかし、ギリギリのところで、「ディジョンーリヨン間の列車があるから今すぐ予約を。」と、連絡をしてきたのが、この宿泊する予定の家族からであった。

彼らとしては、本来自分たちがするべきところ?を別の家族が迎えに行くとなるより、予定通り列車で来てもらう方が、立場が守られる?こともあったのかもしれない。

日仏家族には申し訳なかったが、列車の予約ができたから、と断ることになった。それでもこの申し出は、忘れることのできないものになった。

 あっという間に列車の時間が近づいてきたので、お暇をする。

 

さて、今日はリヨンへ行く。

エスカレーターは、いつもディジョン駅と自宅の送迎を必ずしてくれる。

今回も娘さんの家を出発し、ディジョン駅のホームまで送ってくれた。

実は私はまだ昨夜耳を引っ張られたことが少し残っていたが、列車の中に座り、窓からホームを見たら、エスカレーター夫妻がいる。しかもムッシュが奥さんに「ハンカチを出せ」と言い、2人でハンカチを振って見送ってくれるではないか。

このユーモアと、やさしさに改めて、ほろりとさせられた。

 

そしてリヨンへ向かう列車の中で、思い返していた。

おじさんは、「リヨン駅から、どうやってその家に行くのだ?」

私:「タクシー」

「なんだって!!迎えに来てくれないのか!!タクシーだなんて」

ありえないといった様子だった。いつもこのように心配してくれるのだ。

やはり、怒りんぼだけど、優しいひとだ。どこに異国の友人のためにここまで言ってくれる人がいるだろうか。

つまり、耳を引っ張ったというのは、家族のように思っているからではないか、と思いなおすことができたのである。

家族のように私に怒り、家族のように心配してくれるのだ。このエスカレーターのおっちゃんは。

 愛称「エスカレーター」からわかるように、京都駅のエスカレーターでの出会い、たった5分の出会いからなのである。

 


ディジョンの娘夫妻宅とひ孫たち

2020-12-29 08:17:58 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

初めての訪問だ。夫妻には何度かあっている。

そしてその夫妻は孫を預かっているとのことだ。つまりエスカレーターにとっては、ひ孫だ。ひ孫にも私はあったことがある。

可愛い女の子二人で、長女は前回一緒にかくれんぼをした。覚えているだろうか。約二年前のことだ。次女はその時はまだ一歳半くらいで、人見知りをしていた。

今日はどうだろう。

 

ここでは、ブリオッシュのようなものを、お茶うけに出してくれた。そしてワインだ。ランチでデザートを食べたことを悔やんだ。チョコレートも出てきた。

可愛い女の子たちは、ちょっとはにかみながらも、異国から来た客人を意識していた。

折り紙を始めると、すぐに仲良くなる。今度は次女のエバも少しは心を許してくれたようだ。

 

しかしお姉ちゃんのララほどではない。それでもエバもこちらが気になって仕方ないようだった。

帰りがけには、ララが大事なシールをくれるという。たくさんくれようとしたが、1つだけ頂くことにした。

 

ディジョンからリヨンへ。この経路は、二年前も同じだった。

その時もエスカレーターの家から、リヨンの同じ家族の家だった。

 

この経路について、大規模なストライキのため、大きく変更を余儀なくされたうちのまた一つであった。

TGVで行く方法とローカル線のTERで行く方法がある。

TERは少し時間はかかるが、安い。そして、有名なポール・ボキューズのレストランが車窓から見えるのだ。とてもカラフルなので、たまたま「あれは何?」となったのだった。

前回はTERで行った。

どちらでも動いているほうで行くしかない。もちろん日本で予約した列車は動かない。

バスで行くことも考えた。意外と時間はかからないのだ。しかも安い。1500円ほどであった。でもリヨン駅ではないところに到着するバスが多い。

ブラブラカーというのもある。しかし、それには、私の大型スーツケースは積むことができない。

 

どうしよう、どうしよう、と考えていた。

行けない場合は、パリに戻ることも考えていた。

そんな時、救いの手、ならぬ救いの声がかかる。

 

 

アルザスからディジョンへ・・・

2020-12-28 08:18:03 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

一夜明けて、アルザスから今日はディジョンへ帰る日だった。

午後、娘さんの家に行くとかで、朝のうちに宿をたつようだ。

朝起きると、もう奥さんは掃除もしかけていた。朝ごはんを急いで食べ終えて、私も手伝った。

この夫婦、特におじさんは、宿のオーナーに何度となく電話をしては、文句?を言っていたが、鍵を返すためにオーナーが来てくれた時にも、同じことを言った。

 

この宿の問題点について。

その1

 まず、二組の友人で借りる際に、シャワールームの扉に鍵がかからないこと。

これにオーナーは「家族で借りられる方も多いので。問題はなかった」

エスカレーターは「しかしそうじゃない場合もある。鍵が無理なら、使用中の札を用意するべきだ」(なるほど、それはいいアイデアだと思った)

親せきのように仲良しでも、プライバシーは厳守であるフランス人、宿を探すときも、独立した寝室が二つあることも譲れない。

その2

テーブルクロスを汚さないために、ランチョンマットの用意をというエスカレーター

オーナー:「汚れても大丈夫。ちゃんと洗濯すれば落ちるから」

これは電話でも何度もやり取りがあったようだが、エスカレーターは手が震え、よくこぼすので、気を使っているのだ。それは言わず、ただ、「こぼすから」とといったのだが、よほど気にしたのだろう。

こんな白いテーブルクロスだった。

ぶつぶつ言いながら、ランチョンマットをお土産物屋で買って、毎回それを皆敷いて食べたのだった。

掃除もほんとうにきちんとするし、部屋もきれいに片づけて帰る、当たり前のことだが、そういうことはきちんと、もしかしたら、他の人たち以上にきちんとしているような気がする。

ぐずぐず言うけど、本当はいいところもたくさんある。

さて、お昼はディジョンの娘さんとこで食べると思いきや、ディジョン郊外の巨大スーパーに到着し、どうやらここのカフェテリア?のようなところでセルフランチのようだ。

そのカフェテリアの中をサンタクロースが歩いていた。

しかもこのサンタクロースの人は彼らの友人だった。

 エスカレーターはランチに、いのししの赤ワイン煮込み?のようなものをセレクトした。「美味しい」とパクパク食べている。ケーキもとった私に「また甘いものを食べるのか」と笑っていた。

 

 一旦ディジョン郊外の彼らの家に帰り荷物を整理した。

上の写真はエスカレーターの家にあるアルザスのチェス。初めて行ったときから、目に留まっていたものだ。

リヨンへ向かう前に、ディジョン内に住む娘夫妻に会いに行く。そのあとそのまま駅に行けるように荷物も積んだ。

 

 


耳を引っ張られる!!!!罪を憎んで人を憎まず

2020-12-27 08:01:02 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

ヌガーを買って、また歩き出した。帰路に向かうのだった。

しかし、橋に差し掛かると、きれいなイルミネーションで、私は「待って。写真を撮りたいから」と大きな声で言った。

しかし、エスカレーターは振り向かず行ってしまった。・・・と、私は思った。

そこで、私もせっかく来たのだから、写真くらいは撮ろうと、撮り終えてから追いかけた。

・・・つもりであった。

しかし一向に追いつかない。後ろも振り返りながら、歩いて行ったのだが、見当たらない。

そんなに歩くのが速いとは思えないが、いないのでとにかく、駐車場まで歩いてみようと思った。

 

そして、駐車場の近くまで来た時、電話が鳴った。「どこにいるんだ?」「駐車場の近く」

待って、というから待っているんだ。ずっと」

「じゃあ、戻るわ」と戻り出し、半分くらいまで戻ったところで、とぼとぼ歩く夫婦を見つけた。

と、いきなり、耳をひっぱられた!!!!

「よく、聞きなさい。あれだけ、勝手に離れてはいけないといっただろう!!」と。

珍しく普段はおとなしい奥さんまでが「ずっと待っていたのよ!!!」と声を荒げた。

 

確かに私も悪かった。お互い疲れていた。

無言で歩き、車に乗った。

私は、まだ耳を引っ張られたことに腹が立ち、おさまらない。

しかし、奥さんはさっきあれだけ大きな声で怒ったのに、もう何もなかったかのように

「寒くなってきたね。大丈夫?」と優しく声をかけてきた。

ああそうだ!!!「フランス人は罪を憎んで人を憎まず」だったことを改めて思い出す。

 

 


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