TGVなので早い。16時21分にディジョンを出て、18時前に到着。
リヨン駅からはタクシーだ。
なぜか、タクシーに乗るとき、並んでいる人が、譲ってくれる時がある。そういう時、ちょっと注意が必要かもしれない。
フランス人は、よくない運転手をかぎ分けることができて、外しているのではないかと思うことが何回かあった。
この時も乗ってから気づいた。
住所を見せても、わかっているのかわからないのか?
途中で、友人に電話をして説明してもらおうとしたが、「大丈夫。わかる」という。
ものすごく、メーターが回っている、気がするのだった。遠いなあという気もした。リヨンは広いのだが、それでも遠く感じた。
雨が降り出していて、近くでおろしてもらった。なぜかアパートの前ではなく、重いスーツケースを引きずって石畳を転がした。
料金も20ユーロを超えていた。チップは渡さないことにした。
リヨンの友人家族(マリーアンジュ夫妻)が不親切というのではない。
なぜなら、本来なら家族で祝うクリスマスに招待してくれることからもわかる。
知己の両親(バスク旅行を共にした)がパリ郊外からやってきた。同じくパリ郊外から奥さんの妹さんと息子が合流するので、彼らのアパートにみんなで泊まることはできない。
そこで、マリーアンジュがクリスマスで留守の友人のアパートを、両親と私のために借りてくれたのだった。
そこで3泊の予定だ。
到着時は、マリーアンジュが、母親のフランソワーズと待っていてくれた。
エレベーターなしの3階と、事前に聞いていたので、ヘルプを頼んだら、マリーアンジュが下まで降りてきてくれた。しかし、女性では無理だ。
必死で2人で運んでいた。するとそこへ、1人の若者が、自分の荷物を置いて、「手伝いましょう」と、上まで持ってくれた。どれほどありがたかったであろう。
ディジョン駅でもそうだったが、本当にこう言う親切な行動がいとも自然にできるのだ。
そして、部屋で待っていたフランソワーズに、あいさつ。
このフランソワーズ、日本を出発前、ぎりぎりまで電話をかけてきた。ストライキの情報のためだった。心配性なのである。
念のため、タクシー料金を確認すると、フランソワーズはびっくりしていたが、マリーアンジュによると、リヨンはタクシーがとても高いということだった。
フランソワーズ達もこの日につくのを知っていたので、駅で待っていてくれないかと言ったのだが、彼らはさっさとバスで先に到着していたのだった。そういうところは、あっさりしたものだ。エスカレーターの至れり尽くせりとはやはり違う。
部屋を割り振り、荷物を片付けると、早速マリーアンジュの家族が住むアパートへ移動し、夕食だった。
そこでは、マリーアンジュの父親のフランソワ(フランソワーズの夫)、夫のマニュエル。双子の子供たち、初めて会う妹のフロランスと彼女の息子が待っていた。
クリスマスツリーも飾られている。オレンジベースの最近はやりだという食前酒・スプリッツで乾杯。
ピザとサラダだった。
久しぶりの再会に乾杯、の夜だった。