フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

疲れが出てきたのか、のどと頭が痛くなってきた。

2021-02-28 00:08:23 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

朝は、マルチーヌの妹さんが作ったクグロフだった。

マルチーヌの家に来るときは、ここ数年、必ずいただくことができる。

そういえば、マルチーヌの苗字は、ドイツ系で、確かお父さんがアルザスだと言っていたと思う。

 

マルチーヌはがんを患ったことも影響してか、食べ物はBIOにこだわっている。

緑茶にレモンを絞って蜂蜜やも入れて毎朝飲んでいると言った。

ナッツ類も沢山とっているようだ。

 

実は、この朝くらいくらいから、私の体調は良くなかった。

のどが痛く、頭も重かった。疲れが出てきているのかもしれない。またシャンパーニュの寒さか、パリの埃っぽさのせいだろうか。

でもとにかく出発しなければいけない。

中型のキャリーを以て行くので、ここから、パリ・モンパルナス駅まで、メトロの乗換えが楽な方法をマルチーヌが教えてくれた。

 

 

モンパルナスタワーだ。

12時35分発だったが、余裕をもって出てきた。この駅では、出発の3分前にゲートが閉まって、プラットホームに停まっている列車を見ながら、乗れなかった苦い思い出があるからだ。

(しかもその時、一緒に行くために待ってくれていたアンリモルガンさんにも、やむを得ず列車変更させてしまったのだった。)

図書館夫妻は、パリ在住だが、一足先に行って、冬の間放っていた畑などを耕したり、部屋の準備などもしてくれているということだった。

 

2014年だったか、パリの家にお伺いしたとき、「ベルサイユ宮殿の噴水ショーを見たことがないなら一緒に行こう」とお誘いがあったのだが、日程が帰国直前日だったので、時間に余裕がなく断念せざるを得なかった事がある。

良い提案だったので今でも惜しかったと思っている。

その時から、待っていてくれている夫妻だった。

 

いつも列車の中で昼食を済ませることにしている。その方が時間の節約にもなるし、夕食へのお腹の調節もかねて、サンドイッチにしたり、時には食べないで飲み物だけということもある。

 

そして、トゥールへ到着。定刻通り、13時48分に着いた。

体調不良も忘れるくらいの二人の笑顔が待っていた。


マルチーヌとミッシェル夫妻との再会

2021-02-27 08:53:58 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

1年ぶりにマルチーヌに再会。

こんなに短いスパンで会うのは初めてだ。お世話をかけすぎるので、いつも二年に一回くらい連絡をとることにしていた。

 

今回は一泊だが、喜んでくれた。

マルチーヌのアパルトマンは立地がいい。市役所前、ランビュトー(徒歩1分)、シャトレと三つのメトロの駅に近いし、ルーブルやノートル・ダムなど、徒歩圏で行ける観光スポットも多い。

しかし、1人暮らしなので彼女は狭いのを気にしている。彼女の寝室を私に開けてくれ、彼女はリビングのソファーベッドで寝る。

それだけではなく、彼女の家は洗濯機がないのだ。なぜなら郊外に妹さんが住む家があり、退職後は半分はそこにいるので、洗濯物はシーツも含め持っていくというのをこの時知った。それなのに2018年には数泊させてくれた。

 

まずは少し散歩ということで、レアールという昔の市場の後まで、散策に行き、彼女が最近気に入っていてるという中東あたりのソフトクリームだと思うが、それをごちそうになった。乳脂肪が入っていないような軽いアイスクリームで、オレンジフラワーという香りのアイスクリームだった。トッピングはピスタチオ。

夕食のデザートのためのケーキ屋さんにも行った。彼女の家から歩いてすぐのところにあるHUREという有名なケーキ屋さんらしい。古いチョコレート屋さんなどもあり、小さなスーパーも目の前にあり、本当に便利なところなのは2018年の滞在で確認済みだ。

夕刻、ミッシェル夫妻がやってきた。

本来なら彼らのところに泊めてもらうところだが、この時は 奥さんのJクロードのお母さんの体調が悪く行ったり来たりしているので、「残念ながら来てもらえない」とミッシェルさんから連絡があった。

それでもこうやって会いに来てくれるだけで、ありがたかった。

 

お土産のシャンパンをミッシェルさんがあけ、ついでくれた。こういうのは男性がすることらしい。

ミッシェル夫妻はシャンパンは好きだが、ワインを一切飲まない。

ミッシェルさん宅に泊まっていた時、マルチーヌが赤ワインをお土産に持ってきたとこがあったが、「ワインは好きじゃないし、のまないんだよ」と言ったのにびっくりした。

マルチーヌも負けじと「シャンパンは私も好きだけど、それはお祝いとかのムード。味はワインのほうがいいわ」

日本ならこんなはっきり言うことはないので、驚いたが、そこはフランス。

そういうことで関係が悪くなることはない。

デザートの後の強いお酒(ラムだったような気がする)も彼らは味見をしていた。なんでも食後酒の強いお酒は消化を促すのだそうだ。

美味しい料理をいただきながら、シャンパンカーブに閉じ込められた話など、お土産話に講じている間にもう時間。

ミッシェル夫妻がエレベーターに乗るのを見送った。

パリで、ミッシェル夫妻とマルチーヌとの最後の食事だとはこの時は思いもしなかったが、このあとミッシェル夫妻のニースへの引っ越しが決まったので、エレベーターに乗る二人の写真に、なんとも言えない気持ちになる。


ランスからパリへもどって、マルチーヌに会う。

2021-02-26 00:13:21 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

ランスを11時15分に出発し、パリ東駅に12時1分に到着。

ランスを出るとき、荷物にはシャンパンやワインの瓶がすでに大小合わせて6本あった。

マリーエメの家まで行く選択肢はタクシーしかなかった。

 

空港からパリ郊外への運転手の苦い思いがあったが、今回は見るからにいいドライバーだったので安心できた。結構距離があるが、運賃もとても安かった。

 

マリーエメのところに荷物を置いたら、少し休んで、次の友人宅へ行かなければならない。

パリの真ん中、ポンピドーセンターにほど近いマルチーヌの家だ。

ここで、一泊し、翌日から今度は、ロワールのシノンにセカンドハウス(田舎の家)を買った図書館マダム夫妻のところで三泊するので、その用意も持っていく。

 

もちろんマリーエメともシャンパーニュのお土産話をして、買ってきたシャンパンを一本をプレゼントした。

 

そしてMercierでもらったシャンパンは、マルチーヌ宅へのプレゼントにすることにした。今夜はミッシェル夫妻も一緒の夕食なので、ちょうどいい。

 

Jフィリップにいただいた赤ワインは、図書館夫妻にへのお土産に持っていこう。

2018年にも頂いて日本へ持ち帰ったし、とにかくこれだけの瓶を日本に持ち帰るわけにはいかなかった。贅沢だが、こういう悩みがいつもある。おまけにジャムもすでに3瓶もらっているし、自分で買った蜂蜜も3瓶ある。まだ増える可能性もあるのだ。

 

マリーエメと次に戻った時のスケジュールを確認して、マルチーヌの家へ、出発した。

バスでコンコルドまで行って、そこからメトロに乗り換え、市役所前で降り、マルチーヌの家まで歩くことにした。市役所前の駅から歩いて10分もかからない。サンジャックの塔が、目印だ。

今回の旅で会う友人たちの中で、アンリ夫妻は最も長い友人だが、その次に長い友人はこのマルチーヌとミッシェル夫妻である。気心も知れて、親せきのような友だちである。


ランスから再びパリへ。

2021-02-25 07:19:39 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

パリへ帰る日がやってきた。しかし今日はベンもアンヌリズも仕事である。

自力で駅まで行くことになるなと思っていたら、なんと、同じランス市内に住んでいるアンヌリズのお父さんが迎えに来て、駅まで送ってくれるという。

 

もちろんこのお父さんのダニエルとは初対面である。ダニエルが来るのはベンもアンヌリズも出勤した後だ。

 

まずは、学校に行くオスカル、パロマを見送る。なんでもベンが彼らに「夏休みにアメリカに行くか、それとも日本に行くか」と聞いたら、「アメリカ」と答えたという。

こんなになついていても、子供は現金なものだ(笑)

アメリカの後にまた日本に来ると言っていたが、果たしていつになるのか。。。。

この時はそう遠くはないと思っていたが、コロナでどうなってしまうだろう。

そしてベンにお別れをし、アンヌリズともお別れだ。

「父は、時間には正確な人だから、安心して待っていて」時間に遅れるフランス人が多いが、この一言で安心できた。

 

迎えの時間まで、留守番の愛犬と最後の時間を過ごす。

そうだ、こんな素晴らしいおもてなしをしてくれた家族に、残った時間で、お礼に小さな色紙を残そうと思った。



そして、時間の五分前にアンヌリズのお父さんのダニエルがやってきた。静かで真面目そうな男性だ。

最近お母さんがなくなり、このお父さんは1人暮らしだという。

帰国してから気づいたのだが、ベンが来日したとき、アンヌリズのお母さんの名前を漢字で書いてもらえないか、と言っていた。サプライズプレゼントにするために。

そのお母さんがなくなられていた。もしかするとそのころ体調が悪かったのではないかと思えた。

優しいベンのサプライズプレゼントを喜んでくれていたことを信じたい。

 

駅まで送ってくれて、ホームの乗り場までチェックしてくれ、お礼に折り紙の鶴をプレゼントして、お別れをした。

(ダニエルと写真を撮らなかったことが、残念)

最後の最後まで、本当に素晴らしい家族総出でのおもてなしだった。

 

そんな余韻を胸に、パリへ向けて列車に乗り、パリ東駅に帰ってきた。


ベンの両親

2021-02-23 00:08:59 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

ベンのお母さんは料理上手で、素晴らしい料理が待っていた。実は今回の旅行の前に,ベンから「フランス料理は食べられるか?」また「どんな料理が好きか」との質問があり、私は「ブッフ・ブルギニオン、キッシュ、アッシェパルマンティエ、エスカルゴ、白アスパラ、イルフロッタンなど」と答えたのだが、なんと、そのすべてをベン夫妻、そしてこの両親とで、かなえてくれた。

彼らの心が現れていて、感動させられたのである。

お母さんのランチは、その中で、メインがブッフ・ブルギニオン(牛肉の赤ワイン煮)に付け合わせは、グラタンドーフィノワと呼ばれる、ジャガイモのもクリームグラタン?のようなもの。

日本で見るのとは大きさが違う、ホワイトアスパラには自家製ソース、

Fossierのビスキュイ・ローズのパウダーを初めてみたが、デザートには、それを使ったケーキも、もちろん手作り。

そして、もちろんチーズ。

すべて、とてもおいしく、全部ペロッと頂けた。

食事の最後に、早くに食事を終えて退屈そうにしていたパロマちゃんが、突然踊り出した。しかも私が貸してあげた扇子を片手に、部屋を端から端まで動き回って。

歌も歌いながら、まるで女優か、バレエダンサーのようだった。

でも最初は誰も見ていなかった。母親のアンヌリーズは「誰も見ていないのに」と苦笑し、ベンは途中で気づき、大笑いしながらカメラを回し続けていた。

最後に彼女は本物のバレエのダンサーがするあの綺麗なポーズの挨拶をした。全員の大拍手と「ブラボー」のかけ声の中、この予想外のサプライズの大イベントは終了した。

 

その前にお兄ちゃんのオスカルは、何をしたのかおばあちゃんに叱られ、すねて泣いていた。

そんなオスカルちゃんのご機嫌を直したのは、おじいちゃん。根気よく優しく語りかけていた。庭に連れ出し、ブランコに乗せて一緒に遊んであげていた。

 

おばあちゃんは「だめなものはだめ」と一貫して厳しい姿勢だったのとは対照的だった。

そこに両親であるベンもアンヌリズも口出しはしなかった。

 

ご両親のおもてなしへのお礼にお抹茶を点てる体験をしてもらうことにした。料理上手のお母さんは、喜んで挑戦し、好奇心旺盛なパロマちゃんもチャレンジ。

そしてようやくオスカルもご機嫌が直り、みんなで散歩に行くことになった。もちろん愛犬も一緒だ。

このときはもちろんおばあちゃんも優しいおばあちゃんに戻っていた。

 

 

楽しいひと時はあっという間だ。

お礼を言って帰らなくてはならない。

いつかまたここに来る事があるかないかわからないが、三世代の温かい優しさが、心にいつまでも残る数時間だった。

 

ベンの家に帰った後は、また最後の夕食をいただき、これで三日間のランスの滞在も終わり、明日はパリへ戻る日だと思うと寂しさが募ってきた。


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