フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

高級ブランドの店をドキドキしながらついて行く体験

2021-01-30 21:03:02 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

マドレーヌ寺院にやってきたナタリー。

来日したときは、仕事のことなど何も聞かなかったのだが、この日の話によると、彼女は美容関係の仕事をしていたということだ。

 

このような華やかに見える、いわゆる日本人がイメージするフランス人マダムの友人は、私にはほとんどいない。

 

彼女が私と一緒にパリを歩いて回ってくれた場所を見てもわかる。

マドレーヌから歩いて、高級ブランドで一杯のヴァンドーム広場、パレ・ロワイヤルも他の友人たちと何度も来ているが、白黒のポールや回廊を歩くだけだった。

彼女は、三つ星のレストランを教えてくれたり、シャネルのブティックまで中に入らせてもらえた。

有名な螺旋階段があるという。

彼女は気後れなく入って店員さんに挨拶をしているが、旅行者の私1人ではとても入れそうにもないブティックだ。

何も買わないのに、彼女はおいてある雑誌までもらってくれたりした。

他のフランス人友人とは明らかに違う。

 

だいたい友人の中でブランド物を持っている人は、大抵ロンシャンとかフランスではポピュラーなブランドくらいなのだ。しかももちろん日本で買うよりも安い。

それ以外の人はロンシャンも持たない。

 

いつもとは違う街歩きになったが、それはそれでせっかくなので、楽しませていただくことにした。

 

ギャラリーヴィヴィエンヌほか、おしゃれなアーケード?型の商店街まで行った。ここもエスカレーター始め、何人かの友人と歩いたことがある。この辺りは日本人の観光客を見ることもある人気の場所のようだ。

そして、帰る前に少しクラシックなカフェでお茶をし、彼女の運転で郊外の彼女の家に向かった。車も高級なドイツ車だった。私の友人の多くはフランス車で、これは愛国心なのか、フランス政府が自国の車会社を守るような何かがあるのかもしれない。

最近は、時々、「トヨタ」に乗っている友人もいる。

高級なドイツ車に乗っていたのは、ドイツに近いアルザスの友人2組と(訪問記もう一組の訪問記ドゥさん(実はこの後彼の家を訪問したとき、やはり貴族の家系だったことが判明、その訪問記)くらいだったことからも、少しいつもの友人たちとは勝手が違う感じだった。

行き先はサンジェルマンアンレーと思っていたら、そうではなくオルリー空港を通ってもっと南の方であった。一時間くらい走ったか。やっと、到着した。

 

彼女は美容関係の仕事を辞めた後、その後アンティークのお店もしていたらしく、家の中はアンティークでいっぱいだった。

ご主人のフィリップが待っていてくれた。


長い一日

2021-01-29 00:13:43 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

長い一日の始まりである。

ご存じの人も多いかもしれないが、フランスの家庭では、朝食は、バゲット(フランスパン)にバターとジャム(フランス語では、コンフィチュール)にジュース、そしてコーヒーか、紅茶。

基本的には、これだけである。そこにヨーグルトや果物が出てくることもあるが、卵や、ハムなどは食べない。(バスクを除いて)

クロワッサンやデニッシュ系は、週末のお楽しみだったりすることが多い。それも大きいので、あれこれ食べられないのが、残念である。

 

まず朝からニコルがクリシーの街を案内してくれた。小さな町だ。

このように市役所や区役所には、三色旗と「自由・平等・博愛」の文字があるので、すぐわかる。

クリシーの街の模型もある。

そして何と、ここはボールペンでおなじみの「BIC」が生まれたところと聞き、びっくりした。

子供のころからよく見ていたマークがまさかフランス生まれだったとは。この並べ方、さすがフランスだ。

小さな町なので、あっという間に散歩も終わり、次の予定だ。

お昼前に荷物をもって奥さんの車でマリーエメのところまで送ってもらうことになった。パリは環状道路があって、それに沿って、トラムが走っている。

マリーエメのところは外環状のほんの内側で、ジャッキーとニコルの家は外環状のほんの少し外側。トラムにすると一駅か二駅くらいなので、荷物がなければ歩くところだ。

あっという間にマリーエメの家の前に到着し、ニコルに「ロワールから帰った後に又」と言って、この日は別れた。

 

そして迎えてくれた懐かしいマリーエメに挨拶をして、部屋に案内された。2007年に来た時は交換留学で留守だったシャルルくんの部屋だったが、今回は結婚していなくなったルイ君の部屋を使わせてくれるようだ。今回はここでメインにお世話になる予定だ。

しかし今日はここには泊まらず、郊外に住むナタリー夫妻に会うため約束の場所マドレーヌ寺院への行き方を教えてもらう。

バスで一本で行けるそうで、バス停まで送ってくれた。「切符はある?」とくれようとしたが、こちらは慣れたもので、ちゃんと用意はしてあった。

そして、次の約束のマドレーヌ寺院に着いた。15分もかかるかどうかであった。

 

お昼を食べていなかったので、どうしようかと思ったが、待てど暮らせどナタリーは現れない。おかしいなと、確認したら、何と待ち合わせの時間を一時間間違えていたことに気づいた。早かったからよかったようなものだ。

 

簡単に何か食べておくことにした。セルフのお店だ。

この店のトイレはコード番号を入れないと鍵が開かない仕組みだった。

毎日変わるかどうかはわからないが、もしかしたら番号を知っていたら、何も食べない人でも使えたりするのか。ちょっと怖いような気もする。

目の前にフォション。


こんなフランスらしいコンクリートミキサー車も見た。

そして、ナタリーがやってきた。

観光客として来ていた奈良で出会った時とちがい、さすがフランスマダムというような垢ぬけた人が来たので、一瞬見間違うほどであった。





クリシーへ

2021-01-28 20:40:12 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

そして、今日はいよいよパリへ。

クリシーというところだが、ほんの少しパリの外側である。

もちろん初めて行く場所だ。

パトリック夫妻が送ってくれた。

迎えに出てくれた小児科医のジャッキーは、パトリック夫妻にもぜひ一緒にお茶でもと、促し、彼らは遠慮していたが、結局二人は一緒に入ってお茶をすることになった。

 

このように送ってもらった友人と次の友人が出会うことも時々あるが、フランス人同士はそのようなきっかけでこのように、初対面の他人の家の中へお邪魔するということはない。今までほとんどなかった。ただ挨拶だけで終わってしまうのだ

 

だから、今回は私としてはとても嬉しかった。つまりこの二組のフランス人のクラス?(階層)が近いといえるのかもしれない。私はそういうクラスには疎いし、それほど意識しないので、いろんなクラスの友人がいる。

それにどんな人と交流しても、またそれぞれに楽しさがあることを知っている。

 

さて、こうしてパトリック夫妻も一緒にまずは小児科医宅でお茶をいただく。

小児科医は2018年の秋に孫のノアを連れて日本に旅行に来た。ノアは郊外に住んでいるのだが、この日は父親とともに待っていてくれた。

初めて知ったが、ノアのお父さんも医者で,総合医ということだ。道理で落ち着いている。お母さんはきっとアフリカ系なのだろう。ノアの巻き毛や肌の色からそんな感じがした。

 

さすがにシルヴィとパトリックは初めて会った小児科医の家族に対しても相応の会話、態度で、引き合わせた私もほっとするところだ。

私との出会いについてまずは小児科医にパトリックが聞いていた。

「ヴァンサンの結婚式で」と言っていたはずだ。パトリックは同じ質問をされていなかったが、「10年以上前に興福寺の前で数分話をしただけ」とは、にわかに信じられないかもしれない。

下の写真は、ヴァンサンが住んでいるアミアンの名物のマカロンの包み紙だ。前日小児科医の友人であるヴァンサンの両親が来ていて、お土産に置いてくれてあったらしい。パリのマカロンとは全く違う。

パトリックはどれだけ日本に行ったか、また日本の骨董に興味を持ち、日本企業に転職したことまで話していたようだ。

そうこうしているうち、まずノアとお父さんが帰り、またパトリック夫妻も帰ると言うので見送り、貸しえてもらえる私の部屋で荷物を広げた。

下の写真は夕食、そして明日の朝食をとるテーブルだ。

夕食も準備してくれている。私の好きなブランケットドヴォー(仔牛のクリーム煮)だった。そう奥さんのニコルに好物だと言うと「本当?」とにっこりした。

ここには一泊だけして明日は荷物を半分残し、またシャンパーニュやロワールの後に戻ってくる。

明日は、荷物の半分をマリーエメ宅へもって行くので、その仕分けもしておこう。

忙しい一日になる。明日の昼頃、マリーエメ宅に荷物を置いた後、午後郊外に住む友人宅に会い、そのまま郊外で宿泊なのだ。

さあ、うまくいくか。


サンジェルマンアンレーの市場とシャトゥ

2021-01-27 00:22:43 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

パトリック宅に二泊させてもらうのはもちろん初めてで、今日は朝から市場へ行くことになった。

フランスではよくいろいろな街の市場に行くが、さすがに高級住宅街と言われるサンジェルマンアンレーの市場だけあって、気のせいか市場と言えどシックな気がする。

そこで出会ったパン屋のおじさん。この人が「味見して」とたくさん食べさせてくれるのだ。何も買わないのに。

下の写真は、コンクールで賞を取った時のものだ。

何も買わないので申し訳ないなあと思って折り鶴をプレゼントしたら大喜び。他のお客さんまで喜び、彼が代わりに?このおじさんのお店のパンを買ってくれたので、このお客さんにも鶴をプレゼントしたのだった。

左がパトリックで、右がパンを買ってくれたおじさん

パトリックが私たちが帰国した後、このおじさんのお店に行くと私のことを覚えていてくれていたそうだ。

そういう交流が何よりも好きな私なので、またいつかこのおじさんのお店に行き、今度は何か買ってみたい。

 

フランスで買って帰るもののの一つに蜂蜜があるが、市場の蜂蜜を見ているとシルヴィが「こののど飴はいいのよ」というので試しに買ってみた。

この飴がその後、大変役に立つことになる。

一旦家に戻り、シャトゥというところで大きな骨董祭りが開かれるというのでそこへ行くことにした。

少し雨が降ったりして寒かった。

大規模な骨董市で、寒さもあって、何を見たらいいかわからないくらいたくさんのものが出されていた。

荷物を増やすわけにはいかないので、いいなとみているだけにとどめる。

 

お昼はガレットのお店で、ここは私が招待することにした。

そして、あんまり寒いので駐車場に戻った後、カフェでお茶を飲んだ。

このシャトゥは、2014年にパリの凱旋門近くに住んでいるカトリーヌが、子供のころの家族と来たレストランというお店に招待してくれた思い出の場所である。今は会うこともかなわないカトリーヌとの私にとっても忘れられない場所のひとつだ。またこのことは後に書くことにしたい。

印象派の画家たちもここでたくさん描いていたようだ。

 

 

アンリ4世ホテルとルイ14世が生まれた部屋

2021-01-26 00:08:16 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

昨日、うっかり忘れていたが、チョコレート屋さんを出て駅の方に行ったとき、アンリ4世ホテル・レストランがあり、中にはルイ14世が生まれた部屋が今も残っているということだ。シルヴィが、「入る?」と先導してくれた。この前は、カトリーヌや、シルヴィの夫のパトリックとももちろん通ったことがあるのだが、中に入るのは初めてだった。

宿泊しなくても、レストランでもあるので、食事やお茶を飲んだりできるそうだ。

次はこんなテラスで、お茶くらい飲んでみたくなった。パリの景色が一望できる。お茶も飲まないのに、こんなところまで見に行けるのは、シルヴィのおかげだ。


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