フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

奥さんのご機嫌がよければ幸せというフランス人男性の例外事件!

2023-05-23 12:07:01 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

2022年の秋の旅で、書き忘れていたことがある。

 

それは、サンジェルマンアンレーのパトリックが、コロナの最初のロックダウン時に建てたという「お茶室」(と彼が称する)でのことだ。

 

彼はこのお茶室を私たちに見てもらいたいと、出来上がった時から写真をメールで送ってきてきていて、「ここでお茶をしてほしい」と、私達の訪問を楽しみにしてくれていた。

だからサンジェルマンアンレーに行くことは、計画を立てる上で不可欠なことだった。

最初は日帰りのつもりだったが、彼はぜひ一泊をと言ってくれたことで、このお茶室で簡単なお手前を披露することができた

 

実際、この日は私の体調は正直良くなくて、庭にあるので少し寒いこともあり、その「茶室」でお茶をするかどうか迷うところではあった。しかし、一生懸命手料理尽くしでもてなしてくれた彼へのお礼を考えるとそんなことは言っていられなかった。

 

もちろん奥さんのシルヴィも一緒に楽しむことになった。

しかし、ここで失敗をしてしまった。

フランスの事とてLes Dames d’abord(直訳だと、まず女性)つまりレディーファーストでしかないと、お正客はやはり奥さんのシルヴィにすることにした。

 

自分より奥さんのご機嫌がよければ幸せというフランス人男性が圧倒的に多い。

もちろん普段のパトリックもそうだ。

お点前の流れに沿って説明をしながら、進めていた。

シルヴィもパトリックにもお茶を飲んでもらった後、「拝見」をする段になり、私がこういった。「拝見など質問は正式なお茶会ではお正客だけがすることになっています。つまりお正客は大切なお客様の代表ということなの。他のゲストは黙って静かにその問答を聞いて楽しむのですよ。」

 

その説明をした時、間髪入れずにパトリックは言った。

「この茶室は私が建てたんだよ。シルヴィに猛烈に嫉妬するよ!!!」と。

 

しまった!!!!と思っても後の祭りだった。

そうだった。彼にしてもらうのが本来の正しい選択だった。うかつにもそのことに気づけなかった。

ここで、「シルヴィならいいよ」とはならなかったのだ。普通のフランス人なら「Les Dames d’abord」に文句はないだろうし、ましてや自分の奥さんなのだから、というように無意識に考えてしまった。彼のこの「茶室」に掛けた思い入れは、そんなことではなかったのである。

 

帰国してからもずっとパトリックにお正客をしてもらうべきだったと、深く反省している。

彼の大切な「茶室開き」のセレモニーだったんだからなぁー。

 

なお彼の言う「お茶室」は広さは3畳くらいで、床は板張り。一番の特徴は板壁に大きな丸い窓が抜かれている。いろいろ物が置かれて雑然としているが、その室内から椅子に腰かけて庭を眺めて、楽しんでいるという。

下の二枚は彼がお茶室完成後、送ってきてくれていた写真である。↓


もう夢はまたフランスを駆け巡る。

2023-05-14 09:29:46 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

私は帰国後すぐに航空券をチェックしたほど、こんなサバイバル体験をしてもフランス愛は変わらない。

次行けるのは何時だろう。

 

また次はどんな滞在をすればいいのだろうか。そんなことを改めて考える。

今回は、何とか切り抜けられたが、反省点もある。

 

友だちに会う旅、友人宅をはしごする旅、を少し見直す必要があるのかもしれない。

例えば、今回、ホテル泊であれば、また少なくともパリに南仏から戻ってからだけでもホテルかアパートを借りていれば、罹患しなかっただろう。

 

会う友人をもっと限定することも考えたほうがいいのかもしれない。

今回、滞在は12家族、訪問した家を含めると20家族くらいあった。

それがスーツケースの数を増やし、重く、移動が困難になる大きな原因だ。今回は荷物の移動でも頭を悩まし、幾人かの友人に大変な思いをさせることにもなった。

 

2015年にスペインで12泊したときは、すべてホテル泊で、中型のスーツケース1つと機内持ち込み用のキャリーが一つだった。

暖かい時期に行くと荷物も少なくて済む。

 

漠然と考えているのは、パリなしの南仏中心の滞在。

ネックは日本からのフライトがまだ元通りではないこともあり、また乗り継ぎ便になると他の国のどこかの空港を経由するのも、あまり嬉しくないところ。

乗り継ぎだけだと割り切れたらいいのだが。




また何といっても問題はこれだ。今は少し燃料費が下がったと言ってもまだまだ高くて航空券予約へと気持ちが向かないということ。

 

これらがだいたいクリアになってきたとしたら・・・

会いたいのは、あのおっちゃん!!エスカレーターだ。耳を引っ張られても、なんか憎めないどころか愛らしい。フランス人の典型のような人だ。

しかし、彼は零コロナを目指しているようだし、そんなことは不可能だと言っても、聞く耳を持たない。

ディジョンあたりにアパートを借りるから、そこまで会いに来てくれるかと尋ねたら、「まあ、ウイ」だった。

 

その次に会いたいのは、やっぱり高齢のニースのミッシェル夫妻か。

 

もちろん小児科医夫妻のところへは行きたいが、続けていくのは、まだそこまで親密さが増していない今は、避けておく方が飽きられないだろうと思っている。

 

若い世代は今回は後回しにしてしまったのだが、次回の候補としては、ガンツジュニアもいつかいつかと首を長くして待っていてくれる。彼の文は、短いメッセージでさえ、温かい気持ちが感じられるのだ。

アルザスの山に住む両親もだが、中々行くのが大変なので無理かもしれない。

 

あと、アンジェのレンヌ夫妻か。

 

パリに滞在するとしたら、ホテル泊か、もしくは一か所くらいの友人宅で、マルチーヌと、その友人の若い家族のソフィーにも会いたい。

 

プロヴァンスは、クリスチーヌ、そして友人のヴェロニックあたりか。

 

南仏だけなら、ミッシェルさんとマルセイユのヴィルジニだけにする。

+プロヴァンスで、クリスチーヌとヴェロニックが加わる。

 

パリだけなら、マルチーヌ、サンジェンマンアンレー、ソフィー、エリック、絵かきのママ、アンジェルか。

+ブルゴーニュで、エスカレーター

 

もしくは+ナントでガンツジュニア家族とアンジェ夫妻。

 

それを三週間くらいの滞在で、一年に二回くらい行ければ理想である。三ヵ月滞在の夢が消えてしまった今は。



果たしてその日が来るか。来るとしたらいつだろうか。

 


雨の日にも訪ねてきてくれる友人たち

2023-05-10 08:37:20 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

今回の旅の振り返り

 

約3年ぶりの念願の渡仏だったが、行く前も数回のキャンセルでやっとの思いで旅程を整えた。

 

この旅の3分の2までは、順調すぎるくらい順調で、お天気にも恵まれ、気温も秋のフランスとは思えないくらい暖かい毎日だった。

 

南仏でのアクシデントと言えば、ストライキでニームで数時間待ちぼうけくらいである。

それも立ち直るのに時間はかからなかった。

 

南仏の友、クリスチーヌと再びパリに戻った後も 数日間は楽しい時間を過ごせていた。

 

それ以降、気温が急に下がるにつれ、心身の疲労がピークに。体調を崩し、まさかのPCR検査で陽性になり、自主隔離。帰国便のキャンセル。

この1週間くらいは、今までのフランス滞在、いや人生においてもそう経験することがないほど、精神的なダメージが大きかったと言える。

それでも調べたり、連絡したりと、しなければいけないことがたくさんあり、終わってみれば、短い時間で余裕のない中、よく切り抜けられたなあと思う。

追い詰められた状態になると、不思議なもので、いつも以上の力が出てくるのだろう。



そして、今回、忘れてはならない、友人たちの存在だ。

 

どれほど、感謝しても足りないくらいなのは、小児科医夫妻だ。

彼らなしでは、最短での帰国にはならなかったし、希望を見出すこともなく、もしかしたら大好きなフランスへの思いが変わってしまったかもしれないくらいだ。

 

その帰国便を深夜日本とのやり取りを何度もしてくれたリヨンの日仏夫妻。

リヨンとパリ、離れていても、日本語でのやり取りは、大きな安心感もあった。

彼らの支えが、見えないエネルギーになった。



帰国して今回の旅を思う時、友人には「晴れの日の友人」と「雨の時の友人」がいるということを、感じずにはいられない。

 

もちろん、

雨の日にも訪ねてきてくれる友人としては、上記の小児科夫妻。リヨンの日仏夫妻。

・彼ら以外では、陽性になったと言う私たちに「家においで」と変わらぬ言葉をかけてくれたエリック夫妻

・私達がコロナを移したにもかかわらず、同じく温かい言葉をかけてくれたサンジェルマンアンレーのパトリック夫妻

・そして、お母さんが危篤に近い状況でも迎えてくれ、マルセイユからアヴィニョンまで車で送ってくれ、お母さんが亡くなった直後でも陽性になった私たちのため情報を探してくれたマルセイユのヴィルジニ。

・陽性になった後も荷物を置きに行かせてくれた絵描きのママのイザベル

・私達の望みを全て叶えてくれたクリスチーヌも、陽性になった私たちに情報を提供してくれた

・マルチーヌは、帰国後「もっとあなたたちのためにできることがあったのではないかと後悔している」と言ってくれた。

 

陽性になったことは言わなかったが、今回それに近い温かさを感じたのは、クリスチーヌの友人のヴェロニック

変わらない温かさでアルルの家を貸してくれたクリスチャンも「あ・うん」の呼吸くらい通じ合える一人である。



逆に今回のことで、少し距離を置くことになってしまうかもしれない「晴れの日の友人」もいる。これは同じ状況だった(断るなど拒否するにしても)としてもメールの文に温かさがあるかないか、そういうものを感じてしまったということだ。

 

・ストライキ真っただ中のニーム駅に置き去りにしたニームのマダム

マリーエメ・・3泊の予定だったが、手術を控えていたため、キャンセル

フランソワーズマリーアンジュ・・彼ら曰く「追い出した形」になってしまったことより、メールのやり取りでの温度差

 

図書館夫妻・・結局彼らは最後までPCRもせずに治してしまったのだろう。まあフランスだけではなく、日本を含む世界でも、重症でなければ、そう言う人が多いのかもしれないと思った。

 

そして、反対の立場だったら、その状態で迎えることができるだろうかとも自問する。

 

文章には心の温度が現れる。それは自分にも問いかけてみなければならない。特に何らかの理由で拒否しなければならない場合は。

そんなことを考えさせられた今回の旅であった。




ジャッキーの助言に命をかけたPCRの結果、帰国できるのか!?

2023-05-06 09:46:30 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 いよいよ今日、帰国できるかどうか。すべてはPCRの結果次第だ。

前回のPCRの結果は日付が変わってすぐに届いていたが、今回は寝る前も朝起きたときも、届いていなかった。

 

少し気になるものの、支度をして朝ごはんを食べ終わったころ、届いた。

結果は晴れて陰性、ということで、帰国できる!!



心配をかけた友人たちに知らせ、今夕の飛行機で羽田に向かうことも付け加えた。

 

PCR検査のタイミングは前述のように、日曜日の夕方のフライトで出発するためには、金曜が祝日だったので、昨日(土曜日)の午後しかなかったのだが、昨日のラボの貼り紙によると、明日(月曜)から、ラボのストライキに突入するとのことだった。

 

つまり、土曜日の午後の検査を受けて、日曜日の便で帰るための唯一かつベストのタイミングだったのだ。

万一月曜以降に予約を入れることを考えていたら、また延期になっていたということだし、いつ出発できるかもわからない。

 

もしPCRが陽性だったら、このような状況から、大使館とメールをやり取りし、領事レターを書いてもらうしか方法がなかっただろう。

 

ジャッキーのアドバイスに賭けてみて、本当によかったと思った。

 

日本での入国検査をスムーズに行うため、「VISIT JAPAN」のアプリをダウンロードし、必要事項を入力しておいた。(このおかげで、日本での入国はかなりスムーズだった)

 

階段から落ちたニコルの足の具合がよくないので、ちゃんとお医者さんに診てもらうため、予約を取ったと言っていた。(帰国後の話では、捻挫ではなくひざの骨の問題で手術、そして、数カ月のリハビリということで、今もまだそれが続いているそうで、間接的とはいえ、申し訳ない限りである。)

 

朝食後、ジャッキーと一緒に買い物に行くことにした。パリで最終のお土産を買う予定が買えていなかったので、最低限ではあったが、とりあえずスーパーで選んだ。

そして、いつものパン屋さんで、いつものパンとケーキも買ってもらった。

 

お昼は最後のランチとなる私たちのためにニコルが腕を振るってくれた。

仔牛のクリーム煮は、2019年の春にもごちそうになった私の好物の一つであった。

ケーキも食べ、名残を惜しみながら、最終支度を整え、空港まで送ってくれると言うジャッキーの言葉に甘えることにした。

ここクリシーはパリの北西に位置し、シャルルドゴール空港まで、近い。

普通なら15分くらいで到着することもあるそうだが、余裕を持って早めに出た。

20分弱くらいで着いた。

感謝の気持ちでいっぱいで、どれだけお礼を言っても足りないくらいだ。

 

ANAは通常はターミナル1からの出発だったのだが、この時期はターミナル2からの出発だった。

 

夕刻の出発ということもあり、少し人も少なめだったが、順調に出国、手荷物検査も終え搭乗した。

 

機内では少しハプニングがあったものの、無事羽田に到着、そして乗換をして、帰宅できた。


二度目のPCR検査、孫のノアとの再会、そしてケ・ブランリー美術館

2023-05-02 08:18:43 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

ジャッキー夫妻宅で4日目の朝、今日もマルシェへジャッキーと行く。

ニコルは足を引きずり、辛そうだが、歩けるので、昼食の支度をしてくれるそうだ。

そしてジャッキーが、二回目のPCR検査に同行してくれた。

一度目より少し痛い気がしたが、あっという間に終わった。「明日帰国なので、明日の朝には結果が出ますね?」と確認したら、「たぶんね」と言った。



今日のランチには、孫のノアがやってくる。

ノアと夫妻が来日したのは、2018年の秋で、奈良を案内し夕食に招待した。

その時はまだ子供だった。この夫妻はノアの姉も彼女の希望のアメリカへ連れていき、ノアの希望は日本だったので、日本に連れてきたのだ。

その半年後に夫妻宅でお世話になった時も、お父さんとともにやってきたが、まだまだかわいい少年だった。

 

おばあちゃんは、孫のために腕を振るいたいと思っているので、ジャッキーはとても上等そうな赤みの牛肉をマルシェで買った。

付け合わせのビーツやブロッコリーも買った。

今日はいつもパン屋でケーキは買わなかった。

ニコルが、メレンゲのお菓子を焼いていたからだ。

ノアは今回は一人でやってきた。

大きくなって、もう青年のように見えるくらいだが、夫妻も言うように、心はあのころと変わらず、優しくて素直なままであることがわかった。

今は両親のところを離れ、寮生活を送っているそうで、週末だけ両親とともに過ごせるそうだ。

最初は少しホームシックにかかったらしいが、今はすっかり慣れたと笑った。

そしてガールフレンドもいるそうだ。

ノアは、おばあちゃんの料理をパクパク食べ、おばあちゃんは本当にうれしそうだった。

ノアのために私たちも折り紙教室?をして、しばし楽しい時間を過ごした。

 

おじいちゃんも負けてはいられない!?ガールフレンドの家に行くと言うノアを車で送ると言った。

そして、私たちも一緒に車に乗り、パリ郊外のその子の家の近くまで行って、そこでノアとの名残を惜しんだ。

振り返ることなく彼女の家へと向かうノアの後姿を見送り、ジャッキーはパリへと戻り、

未訪のシラク大統領が建てたケ・ブランリー美術館を見に行くことになった。

ジャッキーと一緒だと1人分は無料になるそうだが、土曜日の午後ということもあり、駐車に時間を取られた。

建物を見られただけでも十分だったのだが、ジャッキーは私達が未訪の美術館ならと、少し遠く離れたパーキングを探し見学することになった。

アジア・アフリカに特化したこの美術館は、フランス人にはとても人気があるようだ。残念ながらフランス好きの私を喜ばすものはあまりなかったと言える。

日本のコーナーもあり、立派な鎧や刀などが展示されていた。他の国の展示物に比べ日本の工芸技術の水準の高さは群を抜いていた。また、この春は(2023年)、日本の着物に関する特別展が行われていると知らせてくれた。



明日のPCR検査の結果は果たしてどうなのか。ここまで来たらなるようになる。という気持ちで、夕食も美味しくいただき、床に就いた。


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