フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

サンシュルピス教会にあるドラクロワの絵に再会した。

2021-03-31 08:58:04 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

朝起きたら、奥さんのイザベルがいてびっくり!!!!

昨夜遅く、こっそり帰ってきたようだ。そして朝いちばんでまた長女の大学の都合で一緒に住んでいるルーアンへ戻るそうだ。彼女もルーアンで仕事をしている。

 

忙しい仕事の合間をなんとかして、私がちゃんと生活しているか、見に来たのかもしれない。また、私に一目会いたかったというのもきっとあったと思う。

 

この滞在が決まった時に、私のパリ滞在中に、お礼の食事に招待したいと言ったのだが、イザベルは仕事の都合でかなわず、ご主人のエルワンと次女だけになるということだった。イザベルに会えないのが残念だなと思っていたのでびっくりしたが、会えて大変嬉しかった。

 

このように人の家にお世話になれるかどうかは、その家の奥さんがどう考えるかがもう決定的な事柄である。幸い彼女に私は合格しているわけだ。

 

彼女は、朝食にと、ブルターニュ名物のクレープやらお菓子を食卓に置いてくれていた。



今日は、14時53分発の列車で、ブルゴーニュへ行くので、それまではパリ散策をすることにした。

イザベルがリヨン駅近くのアリーグル市場がいいよというので、徒歩で出かけることにした。

もうすでにたくさんの人が帰るところだったが、この市場は珍しく毎日開いているそうだ。

近くを歩いてみることにした。裏道散歩はなかなか楽しい。そのあと、サンジェルマン近くへ行こうと思い、バスに乗った。サンシュルピス教会の前で降りた。

久しぶりに中に入ってみた。ドラクロワの絵が入り口付近の右側にある。一回目の時はこれに気づかず見過ごしてしまって、この近くに住んでいる友人に教えてもらい、翌日にまた見に来た。だから今回はこの絵を見るのは二回目になる。

それからボンマルシェのあたりまで歩き、戻るとき、「奇跡のメダイ教会」というところを通った。

ここも聞いたことはあったが、今回偶然通りかかった。パワースポットのように最近はなっているらしい。

 

前年クリスチャンの弟のウーグが、私が滞在していた従弟のブルーノ夫妻のところに来た時にもらったケーキがすごくおいしかったのだが、そのケーキを買おうと思ったら、「もうあの種類のケーキは今は作っていない」ということだった。そこでちがうものを記念に買って帰ることにした。

買おうと思っていた幻のケーキは、「パリーブレスト」ならぬ「パリートーキョー」という名のケーキだったのだが、また2017年の旅にさかのぼっての話のところで紹介したい。



さあ、帰りもバスに乗る。バスはメトロと違い、景色が見えるのと治安面でも何となく安心できるので、利用できる路線は利用したいと思うが、それにもこのエルワン・イザベル夫妻のリヨン駅近くの家はベストだった。

 

そして、何と言ってもブルゴーニュ行の列車が出る国鉄リヨン駅もすぐそこで、徒歩3分ぐらいの絶好のロケーションなのだ。

 

荷物も、1つはまたパリに戻ってきてピックアップするまで置かせてもらえることになったので、1つだけスーツケースをもってパリリヨン駅へ向かった。


プチパレのカフェでのトラブルで美味しいケーキが台無しになった。

2021-03-30 19:02:03 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

パリ二日目は後で述べる友人との夕食の約束はあるが、それまではフリーということで、散策に出かけた。

 

朝はパンを買いに行って朝食を済ませた後、バスに乗ってオペラ座まで行き、そこから散策をスタートした。

何かお目当てがあるわけでもなく、ブラブラ街並みを見ながら歩くのが好きだ。

 

マドレーヌを通り、ヴァンドーム広場から、コンコルドまで来て、そこからプチパレを目指し、歩き疲れたので、プチパレの中のカフェでランチも兼ねた休憩にする。

 

そこのオーダーでちょっとしたトラブルがあり、男性店員に強く抗議した。結果的にはこちらの思うように是正されたので事態を納めたけれど、何となく後味の悪さが残った。せっかく美味しいケーキまでついていたのに、残念だった。

全然プチじゃない、プチパレ!!中庭に面したテーブルも↓

そこからまたシャンゼリゼ通りを凱旋門まで歩くことにした。

 

いつもフランス人の友人と一緒に散策することが多かったので、今日のように一日自由に歩くということは久しぶりだが、結局、ああここは「〇〇さんと来たなあ」などと思いながら歩いたのだった。

 

凱旋門からはメトロで帰り、少し休憩して、明日の準備をした後、今夜の約束のソフィーとガブリエル夫妻の家に出かけた。

彼らに教えてもらった通り、乗り換えの便利な方法(14号線に乗り、ピラミッド駅で7号線に乗り換える)で行くことにした。

 

7号線のある駅の真ん前と言ってもいいくらいの場所で、今回は巴里から地方へ出かけ、再びパリに戻った後、バカンスで留守になる彼らのアパートを借りることになっている。

 

この建物は出入り口が二か所あることも教えてもらい、中庭が広く、ソフィーがここに決めた理由の一つはこの中庭だったとか。

 

洗濯機の使い方、キッチンの使い方なども教えてもらい、夕食となった。

 

彼らとは一日奈良を案内しただけの関係と言ってもいいのだが、やはりマルチーヌの長年の友人であるソフィーの両親とマルチーヌの友人関係により、私のことも信用してもらっているというところか。

 

実は、この家から少し離れた辺りはあまり治安が良くないところとして知られているのだが、そんなことは忘れるほどありがたいことで、近くのパン屋さんやケーキ屋さんなども紹介してくれ、ここでの滞在が楽しみになってきた。

 

夕食はオレキオッテ(耳たぶ)という名のガブリエルの出身のプーリア州の名物パスタの料理だった。

そして、何といっても彼らの愛息、ラファエルに初めて対面することが大きな目的でもあった。

目の中に入れても痛くないほどガブリエルはかわいがっているとマルチーヌは言っていたが、まさにそのものだった。

 

デザートのケーキは近くで買ったものと言っていたが、他のお店のものとは見た目も違う感じで、ここでの滞在時必ず買いに行こうと思った。



その夜は遅くならないうちにリヨン駅近くの家に帰り、明日の準備をした。


「絵描き」の彼はどうやら「お坊ちゃん」?

2021-03-29 20:20:51 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

ぐっすり眠れたので、このまま時差ボケもなさそうである。

まずは、朝食のためのパンを買いに行く。

近くには何軒かパン屋さんがあり、とりあえずバゲットとなにかデニッシュ系のパンも買ってみた。

初日なので、またスーパーへ買いに行くことにして、パンと飲み物だけで、簡単に済ませた。

午前中はフリーだったので、サンルイ島当たりまで散歩して、ノートル・ダムから、レアールあたりでUターンして帰ってきた。

 

今日の午後は、渡仏前の3月に知り合ったパリ在住の若い青年フランソワと約束がある。

 

彼との付き合いは、京都に行ったとき青蓮院の前で絵を描いている彼に話しかけたことから始まった。

確かこの時彼は2ヶ月の滞在で日本に来ていて、4月初めに帰国するので、4月中旬過ぎの私の渡仏時に再会しようということになったのだった。

 

彼は絵を描くのが仕事で、スケッチをしながら旅をしていた。

まだ二十代だが、すっかり日本に魅せられた彼は、2019年の4月から1年間のワーキングホリデーで再来日し、その間、彼を訪ねてきたお母さんにも奈良で会い、我が家にも来てもらった。

 

フランソワは、シャトレというパリのど真ん中にあるメトロ駅のすぐそばの、お母さんのアパルトマンに住んでいた。その後、彼はカルチェラタンに引っ越したといっている。

 

その時はまだお母さんのアパルトマンに住んでいたから、そこからパリリヨン駅の私が借りている家まで来てくれるということで、お昼過ぎに待ち合わせをした。

 

彼もこの家の前の通りは初めてだと言っていた。友人の家なので中に入ってもらうことはやめて、そのまま散策に出かけた。

アーセナルというバスチーユの運河の方へ向かって歩き出し、昼食がまだという彼とランチをすることにした。

いかにもフランス風のカフェで、結構ボリュームもいっぱいだった。

こちらからごちそうしたのだが、後で聞くと日本では、なぜか居酒屋で会っただけの日本人におごってももらったり、カラオケに一緒に行ったり、日本人にとてもよくしてもらったと言っていたが、「それは誰にでもではないと思うよ」と話した。

このディスプレイ!!↓

昼食後は彼がもっともよく知っているというマレ地区を案内してもらった。マレには何度も来ているが、それでもまだ知らないところもあって、なかなか楽しかった。

アラブ系のお菓子のお店で美味しいというクッキーを買ってくれた。初めての味で、とても甘かったが、お茶といっしょなら合いそうだ。

散策中に彼が通っていた中学校の前を通ったが、今は少ないカトリックの男子校らしい。そこへ通っていたと言う。きっと一人っ子なので大事に育てられたのだろう。

 

 

私の大好きなヴォージュ広場↓

そのまま彼のお母さん所有のシャトレ駅のそばのアパルトマンへ行き、夕食をごちそうになった。お母さんは、プロバンスにも家があり、この時はプロバンスへ行かれており留守で会えなかった。

 

シャムネコの様なかわいい猫がいたが、捨てられていた猫を、引き取ったのだそうだ。

彼が用意してくれていた夕食はとてもおいしくて、まだ会うのが2回目だとは思えないくらい温かいおもてなしだった。

帰りもメトロで一本、10分くらいだ。実はお母さんからのありがたい申し出で、このアパルトマンを3週間ほど、2021年の春の滞在で借りれることになっていた。コロナで旅行自体キャンセルになって一番がっかりしたのはここでの滞在だった。ほんとに徒歩でパリ中心部のどこにでも行けるくらい便利なところだった。

 

彼は日本人はほんとに親切だというが、私からすると、このことからも、一旦信頼関係ができると(と言ってもお母さんには一回会っただけなのに)フランス人のほうがずっと親切に感じるのである。

 

パリリヨン駅までは迷わず帰れたが、この駅はメトロだけでなく、国鉄駅や、近郊線などの駅もある大きな駅なので、地下鉄の改札を出てから家のある方の出口がわからず、迷ってしまい、歩いていたマダムに声を掛けたら、出口のところまで一緒に歩いてくれた。

また折り鶴をプレゼントして、お礼を言って別れたが、やはり親切な人が多いなという印象だ。

 


フランス到着当日、到着してすぐに眠れるありがたさ。

2021-03-28 00:26:33 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

いつも、空港からパリ市内へどのように行こうか考えるところから始まる。

 

今回は最初の滞在場所が、パリ・リヨン駅から徒歩5分もかからないブルトン人家族のところでの滞在だったので、初めて空港バスで行くことにした。

2010年に一度凱旋門の近くのカトリーヌ宅に行くときも試みようとしたが、なぜかバスがなく、結局タクシーにしたので、そういう心配も少し頭におきながらだった。

 

留守宅を借りるということで、真っ先にどうしようかと考えたのは、鍵の受け渡しについてであった。

ご主人のエルワンにメールで聞いた時、「大丈夫、向かいの家に鍵を預けておくから、飛行機の到着時刻と便を知らせて。彼女はとてもいい人だから」と、名前を教えてくれた。

もし、延着したら・・・など多少の不安はあったが、それ以上に以前一度こちらの家を訪問したときパリでは珍しい一軒家風の家だと判ったので、そこに滞在させてもらえる楽しみが勝っていた。

 

まず空港に無事到着した旨をエルワンにメールし、空港バスにも乗れることになった。

ここで一人の日本人のシニアの女性に声を掛けられた。空港バスのチケットを買っていたら、彼女は買い方がわからないので、買ってほしいという。もちろんお手伝いしたが、彼女はオペラ座駅までなので、空港バス(目的地に行くまで途中は止まらない。オペラ座に止まるバスがない)ではなく、路線バス(各駅に止まる)に乗るべき事が判った。その乗車場所もすぐ近くだったので、一緒に行くと先に彼女のバスが来たのでそこで別れた。

 

オペラ座駅から彼女はうまく行ったのかな。その後の滞在はどうだったのかなと今でも思い出し、その時のことを友人に話すことがある。英語もフランス語もわからないという場合、パッケージツアーにするということが特にシニアの場合多いのではないだろうか。しかし言葉の問題よりも「行きたい」とか、その国が「好きだ」という気持ちが勝ると、1人で行動できることもあるのだということを彼女の勇気に学んだのだった。

 

さて、そのあとやってきた空港バスに乗り、パリ・リヨン駅に到着。ほぼ定刻通りだった。

スーツケースを転がしながら、家の前まで来た。

向かいの家の呼び鈴を鳴らした。しかし、返答がない。さあ大変!?

まあ、もう少し待つことにしよう。

数年の間にこの通りは「インスタ映え?」というのか、すっかり観光地化されてしまったようで、若者たちが来てポーズをとって写真を撮っている。

そんな通りなので、危険も感じることもなく待っていた。すると通りの向こうからニコニコしながら、子供を連れてやってくる女性がいた。

「ごめんなさーい。待った?」と、エルワンが言っていた通り、とても感じのいい女性だった。

 

とりあえずお礼を言って鍵をもらい、ブルトン人家族の家に入った。荷物を片付けて、2階の寝室へ行き、そのまま寝ることにした。

 

2007年からずっと到着初日に友人宅で泊まるケースが続いていた。そして贅沢な悩みであるが到着日は深夜まで歓迎ディナーが続く。つまり日本時間の早朝から起きていて機内で眠れない私は30時間くらい起き続けていることになる。それが今回はない。

 

やっぱり、到着後すぐ眠れるというのはありがたいことだ。

 

 


2018年の旅の概要

2021-03-27 00:21:04 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

2018年の旅は、ブルゴーニュで行われるヴァンサンの4月29日の結婚パーティーに合わせたもので、それを中心に旅程を立てた。

しかしこの旅行が先に決まってしまったので、その後に連絡があった5月末のルイ君の結婚パーティーには、残念ながら出席がかなわなかった。

 

  ********滞在場所**********

その1 パリのブルトン人家族宅:3泊

 

まずパリでは、「バカンスで留守の時、家を使ってくれたらいい」とずっと言われていたブルトン人家族のところで滞在

*ブルトン人家族とは、TGVの列車の中で会ったブルトン人夫妻の息子・エルワンの家族である。ちなみに奥さんのイザベルはコルシカ島出身。  

 

その2 

①ブルゴーニュ:前半 アニエスの里の家に2泊+ホテル1泊

 

ブルゴーニュでの滞在は前半はヴァンサンを紹介してくれたアンリ・アニエス夫妻がアヴィニョンからやってきた。そしてブルターニュにあるアニエスのお母さんの家にアンリ・アニエス夫妻と一緒に泊まり、彼らとともにヴァンサンのパーティに出席した。(結婚パーティー会場のホテル泊一泊を挟む)



ブルゴーニュ:後半 エスカレーター宅で4泊

 

ブルゴーニュと言えば、エスカレーターだが、彼が旅行の一ヶ月ほどまえに大阪で「ブルゴーニュフェア」があると連絡をしてくれたので、行ってみた。その時に何人かのフランス人出店者と知り合いになり、4月にブルゴーニュに行くことを告げると、「是非に来てください」ということになり、エスカレーターにそのことを知らせたのだった。

 

エスカレーターは早速出店者たちと連絡を取り、そこにも足を延ばすことになった。

 

 

その3:リヨン マリーアンジュ夫妻宅に2泊

 

そして、一時的に数年仕事のためにパリからリヨンへ引っ越してきているマリーアンジュ家族を訪ねてリヨンへ行くことも決めた。

マリーアンジュの都合上、ブルゴーニュの滞在は、このリヨン滞在を挟んでのものになった。  

 

その4:再びのパリ マルチーヌ宅 4泊

 

パリのど真ん中のマレ地区にあるマルチーヌの家に初めて滞在した。

 

          

 **このほか宿泊はしなかったけれど訪問した家族**

 

 ・ パリの若いイタリアン(ご主人)・フレンチ(奥さん)カップルの家族訪問

 ・ パリの渡仏前に京都で出会った若い絵描きの青年との一日

 ・ リヨンで 日(ご主人)・仏(奥さん)家族 

 ・ マリーアンジュの両親のパリ郊外在住のフランソワーズ夫妻の友人の、カトリーヌ

  (奥さん)&クリスチャン(ご主人)宅



こんな旅程だが、私の旅は2016年と2017年の秋の旅が、移動も少なく、会う家族も少なめだったので、それに比べると多い。しかしこれでも他の多くの友人には内緒にして行った。

彼らに言うと必ず「うちへ来なさい」となるし、これがフランスでは単なる社交辞令でないからだった。


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