フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

ハプニングのおかげで、ジャンピエールとニコルのカップルと出来た縁

2021-05-22 09:14:27 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

朝食もアメリカンブレックファストが用意されていた。こんな朝食は久しぶりだ。

私はヨーロッパ式のパンと飲み物くらいでも十分なので、時間をかけてゆっくりいただいた。

この時のテーブルも、仲良くなったジャンピエールとニコルが一緒だ。

 

どうやら、昼ごはんも出るらしい。つまりやはり前日の同時刻便で帰る可能性が高くなってきた。

 

責任者の方は、スーツケースの対応についても、羽田に着いた時に申告して、新しいものに変えてもらうことができるようにすると言ってくれた。そして名刺を頂いた。

ほんとに至れり尽くせりだ。

 

朝食後、近郊を散策に行く。教会などがあり、かわいい村だが、あっという間に見て回れる。

なんと、こんな郊外にも日本食のレストランがある。「美味しい」という名前。日本で買ったような「のぼり」まであるし、鯉のぼりまで泳いでいた。

でもこれはきっと日本人が経営のレストランではないであろう。

部屋に戻り、食事をして、また午後からも時間があるので、今度は公園の方へと行ってみた。それでもあっという間だった。ホテルでゆっくりすることにした。

十分パリに行けたかもしれないが、万一遅れることがあってはいけないので、お利口さんにしていた。。



そして、いよいよ時間になった。

空港へ送迎バスで向かう。

 

心配だったのは、手荷物に入れる前日買った免税店のシャンパンだ。

もうスーツケースの重量はオーバーしているので入れることはできないと言ったら、責任者の人が、「今回はスーツケースの重量は超過分をいただかないので、全部入れてください」とのことだった。それならと重いものはできるだけスーツケースに入れることにした。

 

本当にこの人には自然と頭がさがるくらい、よくしていただいた。何もなければどこの航空会社でもいいが、やはりこういう時は日本の航空会社はありがたいとつくづく感じた。

 

そして、無事手荷物検査も受けて、搭乗を待つ。

ジャンピエールとニコルとは、連絡先を交換した。(このときの縁で、2019年の訪仏時に彼らの家を訪問させてもらうことになる。)

 

そして、帰国。

 

今回の旅はこのように最後に思わぬハプニングがあったが、おかげでまた一組友人ができて旅をくくれた。

ヴァンサンの結婚式、エスカレーター宅の濃い4日間の滞在が中心だったが、改めて、アンリ夫妻やフランソワ夫妻、エスカレーター夫妻、ミッシェル夫妻とマルチーヌ、家族のように感じられるフランス人の友人を確認する貴重な機会になった今回の旅だった。

 

さて、次の旅行記は、2017年の秋のバスク地方を書くつもりである。


誠実な空港長に感心したこと

2021-05-21 09:06:30 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

空港近くのホテルに着いた私たちは、スーツケースを引き取った。ところが相当ひどくバスの荷物入れへ投げ込んだようで、角がつぶれたり、破れたりしていた。

同じ飛行機に乗るはずだった人たちが、「これはひどいよ。写真を撮っておいて言った方がいいよ。」と親切にアドバイスしてくれたので、そのようにした。

旅慣れた人で過去にそんなことがあったのかもしれない。

そこから、部屋を用意してもらい、荷物を片づけて、夕食が用意された。この時、つくづく感じたのは、日本の航空会社でよかったということだ。説明もよくわかるし、何よりその誠意が感じられる。

部屋を一つ一つ訊ね、何か不都合がないか聞いて回ってくれた。最初に割り当てられた部屋は、どこか水漏れがしているのかと思うほど床がじめじめしていたので、連絡すると部屋を換えてくれた。

 

この時の責任者(その日本の航空会社の空港長という役職の人)は、仮眠はとっただろうが、翌日もずっとロビーの誰からも眼につくところで立ちっぱなしで、対応に当たっていた。いつ見てもその人はそこに立っていた。座ったところを見たことがなく、この人の誠実さと努力にはほとほと感心した。

自然が起こしたこのような事でも、これほど誠意を持って対応してもらうと、こちらが感謝したくなるほどだった。

もちろん、時間に余裕がなく仕事が待っている人たちはそうもいかないだろうが、私は余裕を持って帰国日を設定していたので、貴重な機会と思えた。

出来れば、パリに戻りたいということをのぞけば。

 

ここで、空港で出会ったジャン・ピエールとニコルと、食事のテーブルも一緒にし、段々仲良くなっていった。

彼らは、日仏カップルでアメリカに住んでいる親戚がいて、その2人と一緒に日本を旅行するということだった。


彼らもまたこんなハプニングのなか笑顔を見せる余裕があった。

 

日本人の若いカップルも一緒のテーブルで、私は個人旅行が中心だが、いい感じの人たちが多く、便利なツールを教えてもらったり、旅行の話を聞かせてもらったりして、楽しい時間を過ごせた。

 

郊外の大きなホテルは同じようなものかもしれないが、このホテルで驚いたのは、フロントやレストラン、玄関の警備員などはほとんど全部黒人だった。白人はほんの数人しか見なかった。そして彼らは楽しそうに働いていたし、親切だった。

 

スマホが使えるとはいえ、部屋の電話から日本への電話料金はすべてサービスということも、本当にありがたいことだった。しかしこの掛け放題電話は、しばらくすると掛けられなくなった。



翌日にならないと何時の飛行機で帰れるかどうかはわからないということだった。

たぶん急ぎの人は、別の振り替えルートを示されていたかもしれないが、急ぎではないので、遅くても一日後の同じ便になりそうな感じだ。

それが早くなる可能性もあったようで、パリにはいかないでほしいと言われているので、空港近辺を散策して過ごすしかない。


落雷でフライトキャンセル!!!

2021-05-20 12:27:45 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

手荷物検査を受ける前、乗務員のグループが前に並んでいたのだが、何やら連絡が入ったようで、全員踵を返して戻っていった。最初に客室乗務員、最後には機長さん達もが戻っていった。

 

何も知らない私達は、それでもそのまま手荷物検査を受けるため、列にいた。

私の番が回ってきた。

またうっかりしたことに、空港で買った小さなシャンパンの瓶を手荷物バッグに入れてしまっていた。

もちろん、ブザーが鳴り、「こちらへ」と。

こういう時、男性の係員だと、心の中で「ラッキー」と思うのだが、案の定、彼は「これだよ。外に出しておかないとね。」と笑い、「小さい瓶は割高だよ。」とか、「空港で買うと高いんだよ。スーパーで買えばよかったのに。」とか言ってくる。

「わかってるんだけど、スーツケースにいれるのは重量オーバーで無理だったから空港で買ったのよ」と答え、笑いあう。

こういうやり取りができる空港職員がいる余裕が、「ああ、フランスって、フランス人ていいなあ」と思う理由の一つだ。

 

そして無事通過して、飛行機を待っていた。もう30分前なのに、案内が出ない。

「おかしいね」と、空港で出会ったカップルと話していた。

「何かあったのかしらね」と。

「さっきクルーが引き返したのよ。不思議ね」と私も言っていたら、20分前になってアナウンスがあった。「落雷のため、キャンセル」と。

えー!!!!!落雷って、雷なんかなってないよ、と思いながら。

 

どうするの!!!!???

係員に、そのまま来た道に向かって戻って行けと言われ、「手荷物検査はどうなるの?」と思いつつ、戻って行った。

 

手荷物検査のところには、またさっきの係員がいて、「どうしたの?」と、「キャンセルになったの」というと、「えー!?それはかわいそうに。でもまた明日ね」と。

明日はきっとこの係員はいないであろうに、そんなことを言う係員の笑顔に緊張感が緩む。

 

そして、どんどん戻り、スーツケースを預けたところまで戻ったら、スーツケースを受け取り、指示されたホテルへバスで行くという。

 

この時はANAを使っていたので、指示が日本語で言ってもらえるため、逆に私がフランス人のカップルに伝えた。

 

私たちが乗る飛行機は羽田を発った時に落雷を受けたので、無事パリに到着はしたが、安全のため点検をしなければならず、チェックに時間がかかるとのことだった。

(後の話では、樹木希林さんがカンヌ映画祭へ行くためにその飛行機に羽田から乗っていたとか)

機体の点検はANAでは出来ず、その飛行機のメーカーがするので、簡単には行かないらしい。

 

大きな送迎バスにスーツケースが投げ込まれ、与えられたホテルの、マリオットホテルへと向かう。

 

この時私は、「ラッキー。もう一日滞在が増える」と思った。帰国日に余裕を持っていたからだ。

でも次の便がいつ出発するか、この時点ではわからないので、できるだけホテル近郊から出ないようにとのことだった。

 

フランス人で車の手配ができる人は自宅に帰る人もいた。

 

私も明日パリで誰かひまな人がいたら、「おいで」と言ってくれないかなと甘い考えを持っていたが、残念ながら、何人かに帰国便がキャンセルになったメールを送ったけれど「あら― 残念だったね!」という返事ばかりだった。

 

多分まだパリに思いを残していたのは、全乗客の内でもただ1人私だけだったに違いない。


パリのベトナム料理店の中でも人気店に行く

2021-05-19 13:12:48 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

いよいよ、今日でお別れ。

マルチーヌにもお世話になったので、お昼はごちそうしたいと言ったら、ヘルシー志向なので、すぐ近くにあったインド料理はどうかと言ったが、私は辛いものが苦手なので、以前ミッシェル夫妻と行って、美味しかったベトナム料理の店に行くことにした。

 

小さな店だが、いつも行列ができている。

ミッシェルさん曰く、「お店の中は快適ではないけど、美味しいんだ」というその店は、

相席で、小さなテーブルに肩寄せ合って食べるスタイルだが、きびきびした店員さんも気持ちがいい。カンボジアから来たという女性だ。

ここで初めて食べたのは、「フォー」ではなく、「ボ・ブン」と呼ばれるもので、私はフォーよりこっちが好きだが、どうやらアジア人はフォー、フランス人は「ボ・ブン」が好きなようで、注文を見ているとわかる。

マルチーヌは、お肉が入っているので、それは残していて、少し残念だった。

 

そして、家に帰ってケーキを食べようということになり、これも近くに美味しいお店があり、そこで買うことにした。

近くには大型ショッピングモールもあり、レゴで作られた凱旋門やノートル・ダム寺院のディスプレイ↓

このように彼女の家の立地は申し分ないのだ。

 

でもこの時、彼女の家には洗濯機がなく、いつもまとめて、郊外の双子の妹の一人の家に持っていってるということを知った。

退職後は、1人暮らしの郊外の妹の家とパリのアパートを半々という生活を送っている。

現在コロナ以降は、ほとんど郊外にいるということだ。

クグロフは、その妹さんの手作りによるものだ。

 

さて、3時くらいになったので、早めに出発しようと思い、タクシーの手配を頼んだ。

隣の小さなホテルの若いカップルの宿泊者が、車を待っていて、聞けば「UBER」というタクシーだった。

とても安いようだが、空港―パリ間は、安いと言ってもそこそこするらしい。

ただ、ドライバーは評価されるので、うまく選べば、ぼったくりなどはなく安心して乗れるようだ。まだ一度も使ったことがないが、そのようなシステムはUBER以外にもあると、2019年の来仏時にも聞いた。

 

マルチーヌと別れを惜しんで、タクシーに乗り、定刻より早く空港に着き、預入荷物の重量コントロールをしていると、年配のフランス人カップルが隣に来たので、少し話した。日本に行くとのことで、嬉しそうにしていた。

ここで会っただけで、もうフレンドリーな感じではあったが、それが深くなっていくのはある出来事があったからだった。

 

この時はそんなことも知らず、時間があるので手荷物チェックの前に、お茶でもしようと思い、お茶を飲む余裕もあった。

そして、いよいよ手荷物チェック。

ここから始まるハプニングは、また続きで。


「気は優しくて力持ち」のムッシュはグアテマラ人

2021-05-18 09:23:47 | 2018年春の旅行(パリ・ブルゴーニュ・リヨン)

夜は、またマルチーヌの家でごちそうになった。その時、途中で隣人が訪ねてきた。

マルチーヌが、「中に入って一緒に」と誘った。

彼はグアテマラ人だ。彼は出稼ぎに来ていて、家族は国で住んでいるらしい。

「グアテマラのラム酒は世界一」だと言い、びっくりしていると、彼は家に戻り持ってきてくれた。

もちろん強いお酒なので、私はほんのひとなめくらいにとどめたが、美味しいということはわかった。もともと私も風味が好きで、マドレーヌにもラム酒を入れるし、今までフランスでごちそうになった「イルフロッタン」で最高だったのが、2014年のガンツジュニアの奥さんのお母さんがラム酒入りで作ってくれたものだ。

 

この隣人の名前は失念してしまったが、スーパーでも一度会って、マルチーヌはパソコンなどの操作で困ったとき助けてもらう、「彼はスペシャリスト」ということだった。

しかし、彼によると、「基本的な操作ができないマルチーヌだからそういうのであって、誰でも知ってることを教えただけ」ということだった。たぶん後者であろう。

なぜなら、マルチーヌの家にはWIFIがあるはずだが、何度聞いてもコードがわからず、結局私が契約書を読んで探し当てたときも、同じことを言ったからだ!!!

 

彼は、地下水道の関係の警備のような仕事をしていると言ったと思う。大柄で力も強そうでうってつけだ。でもほんとはもちろん心優しいムッシュである。


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