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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

クリスチーヌのお母さんに会えなかったのは残念!!       

2023-03-28 09:31:51 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

アヴィニョンからTGVに滑り込んで、二時間余りでパリへと向かう。

列車の中は、パリに住むお母さんの誕生日に向かうクリスチーヌと一緒だ。

彼女は私達の滞在のためにパリに向かう日もすべて調整してくれ、お母さんの誕生日にぎりぎり間に合うような日程だった。

本当にクリスチーヌは、今回深い友情を再確認した一人である。

お昼は彼女と同じようにTGVの中でランチを買って取ることにした。

旅は道連れとはよく言ったもので、楽しい時間はあっという間に過ぎ、パリに到着した。

 

クリスチーヌは私達が乗るバス停まで同行してくれ、バスの到着を待っていてくれた。

ここでクリスチーヌと別れ、今日からお世話になる図書館マダム夫妻の家へと向かった。

 

二週間ぶりのパリも好天で南仏と変わらぬ暖かさだった。

 

ここまでニームでストライキに遭った以外は順調で、お天気にも恵まれていた。

これから最後の10日間をパリで過ごすことになる。

 

後から聞いたのだが、クリスチーヌによるとなんとお母さんはパリの到着駅・ガールドリヨンまで、迎えに来てくれていたそうだ。私達を見送ることに頭がいっぱいのクリスチーヌは、携帯電話の着信に気づかなかったらしく、お母さんに会えなかったのは、私たちにとってもとても残念なことだった。

 

お母さんの家には一度お邪魔したことがあり、その時はお父さんもご健在で、お父さんとはよくメールのやり取りをしていたのだ。お父さんがなくなった後、お母さんから丁寧なお手紙をいただいたこともあった。

そんなわけで、お母さんに会える機会を失ったのは、今考えても残念という言葉では足りないくらいだった。

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まるで映画の一シーン!?

2023-03-27 08:54:33 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

ほぼ時間通りにTGVアヴィニョン駅に着いた。

2003年に12日間のホームステイを終え、この駅に立った時は、「もう2度と来ることはないかもしれない」と思っていたのだが、2年後に再訪、それから何度この駅に立ったことだろう。

 

スターバックスでマルセイユから来ると言うグラブゾンのムッシュと待ち合わせしていた。

 

30分くらいは待っていたのだが、彼は来なかった。

何かあったのか・・・2つの改札口があるので、どちらも確認したが、姿は見えなかった。

とても残念であるが、時間だ。仕方がない。

 

ギリギリまで待っていたが、クリスチーヌの「もう時間よ。行こう」と言う声に後ろ髪をひかれながら、改札を抜けた。

それでもやっぱり諦めきれない私は、ホームに向かう通路(階上になる)から下をずっと見ながら、もしやとの気持ちを持って歩いていた。クリスチーヌはすでにずいぶん前の方にいた。

少し長い通路の真ん中まで来た時、「あっ!!」。

ジャンポールだ!!!!!

「ジャンポール!!!」と大きな声で数回呼んだとき、彼が見上げた。

自分で言うのもなんだが、まるで映画の一シーンのようであった。

改札を抜けてしまったので、戻れないか、と思ったその時、連れ合いが「行っておいで、荷物は見ておく」と言ってくれ、ちょうどその前に階段もあり、おあつらえ向きのおぜん立てだった。

走り降りて、簡単に挨拶をし、その間3分あったかどうか。彼は「来年孫と日本に行くよ。きっと奈良で会えるね」と言って別れた。

その階段は一方通行で、来た改札口まで行かないといけなかった。後ろを向きながら改札で手を振り、通路を駆け上がり、連れ合い、そしてはるか前方のクリスチーヌに追いつくまで走り続けた。

その時TGVが入ってきた。

クリスチーヌも驚いていたであろう。まさかギリギリに現れるとは。

計算してもなかなかこうはいかない。

映画だったら、効果抜群である。と今は落ち着いて思えるが、この時は、ただただその映画のような場面に酔いしれてしまいそうな再会の余韻に浸りながら 座席に着いたのであった。

 

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かつてのホームステイ先のアパートの表札にマダムの名前はもうなかった。

2023-03-25 09:28:35 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

アヴィニョンからパリに向かう日の朝、つまりニースから始まった南仏2週間の滞在を終え、パリに戻るのである。

 

お昼過ぎのTGVなので、朝からアヴィニョンの散策をする。

今回はジルと少し歩いただけだったので、少し時間が足りないくらいだが、仕方がない。

かつて1人で初めて12日間滞在した町、ホームステイ先の前まで行ってみた。

表札の名前がなかった。2003年に74歳だったマダムは元気であれば93歳だ。

同じアパートの娘さんの名前は確認できた。

時間がないので、いろいろな思いを胸に、このマダムの家から駅まで当時よく歩いた道をなぞり、メイン通りへと歩き始めた。

クリスチーヌがチーズを買っている店↓

そして、重いスーツケースに入れられるものはもうほとんどないので、お土産を見ても買うことはなく、本当に歩くだけだった。

帰り道は同じ道を通らずに歩いていると、骨董市にぶつかった。

そうか、骨董市もあるのか。(当時は興味がなく、気が付かなかったのだろう)時間があれば、もっと見たかった。が、そういうわけにもいかない。

 

クリスチーヌの家に戻り、荷造りを終え、ヴェロニックの迎えを待っていると、ほどなく彼女はドイツ車の大きな車でやってきた。

彼女はいつも笑顔で本当に気持ちが温かくなる。ヴェロニックとはTGVアヴィニョン駅で分かれた。

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17年ぶり!!90代のシャンブルドットのお母さんとの再会。

2023-03-23 08:53:19 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

最後に向かったのは、ずっと再訪したかったグラブゾンのムッシュ

偶然(運命的な?)メールが渡仏前にあり、実は近く南仏に行くと連絡しても返事はなかったが、きっと信じられなかったのだろうと思う。

シャンブルドットのムッシュなので、「行く」と言ったら「泊まる」ということなのかもしれない。初シャンブルドット滞在であれだけ世話になったのに、ただ「行く、会いたい」だけなんて彼にしてみたら、理解できないのは無理もない。

私はその後たくさんのフランス人友人ができて、今では宿の必要性がほとんどない状態になっているからだ。

 

そのグラブゾンの宿とのつながりがあるアンリに頼んでみても、スルーされ、今回は無理なのかと諦めかかっていたが、クリスチーヌが願いをかなえてくれたのだ。

シャンブルドットの前に着いた時は、本当にうれしかった。

 

そして、ベルを鳴らし、出てきたのは少年。(15歳)

サプライズだったので、訳を説明すると、「今日はおじいちゃんはマルセイユに行っていていないんだ」

なんということ!!残念だ。

 

しかし次に奥から出てきたのはなんと、ムッシュの亡き妻クリスチーヌのお母さんだった。(90歳を超えている)

高齢ゆえ、会えるとは思ってもいなかった。顔を見ると年は重ねているとはいえ、間違いなくお母さんで、「シモーヌ!!」と不思議なことに名前もちゃんと出てきた。

ここで暖かい日は朝食を取り、アルザス3人組とも知り合った

奥に見えるバーベキューもいただいたことが思い出される↓

彼女は驚いていたが、涙がうっすら目に浮かんでいるように見えた。

クリスチーヌに着物を着せた写真も見てもらった。あの時の幸せな時間がよみがえってくるようだった。

 

この少年はおじいちゃん譲りの利発な子で、状況を察しすぐに電話で連絡をしてくれた。

クリスチーヌに電話を代ってもらい、明日アヴィニョンを離れ、パリへ向かうと言うことを伝えてもらったところ、TGVアヴィニョン駅にマルセイユから直接会いに来てくれるというではないか。

 

おじいちゃんの伝言を受けて、この少年は新しくなった宿を案内してくれた。

今は庭にキッチン付きの貸し家を作り、もともとのシャンブルドットの建物は住居になっているようだ。

ここで朝食を取ったことも思い出される↓

ヴィエンヌの親子と知り合いにもなった朝↓

 

この少年は「おじいちゃんはとても元気でエネルギッシュで若い!!」と自慢げだった。

 

興奮も冷めやらぬ中、翌日のムッシュとの再会を胸に懐かしいシャンブルドットを後にし、クリスチーヌの家に戻った。

 

戻る途中、アヴィニョンの城壁の外側に「この辺りは治安が良くない」というところもクリスチーヌが教えてくれた。

城壁が見えてからも渋滞で大変だったが、何とかたどり着いた。



それにしてもクリスチーヌには感謝してもしきれないくらいありがたいことだった。

 

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やはりまだ観光地化されていない小さな村がいい。

2023-03-22 08:56:06 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

クリスチーヌ宅で一泊した翌日は、また小さな村めぐり。

まずキュキュロンという村を写真で見て行きたいと言ったら、クリスチーヌが子供のころ住んでいた村だということで連れて行ってもらった。

しかしかなり小さな村で写真とはちょっと違っていて、期待が大きすぎたせいか、少しがっかりしてしまった。

アンリ夫妻は「なんでそんなところに行きたいと言っているの?」と言っていたとか。

 

ランチはこの小さな村で食べるのがいいだろうと言うことで、ここでランチをしたが

この店はあまりいいとはお世辞にも言えなかった。

時間が遅かったこともあり、できるのはこれだけみたいなことを言われ、デザートも頼んだところ、まったく予想外の味だった。クリスチーヌはだから私はコーヒーだけにしたのよ、と言っていた。

お腹が膨れた後向かったのは、ルールマランだった。ここはアンリの奥さんのアニエスがおお気に入りらしいが、クリスチーヌも言っていたように私たちも観光地化すぎている気がした。パリからのバカンス客が多いそうで、そう言う人たち向きに少し高級?なものが店に並んでいた。

そして次に訪れたのはラクステ村だった。もちろん名前は聞いてはいたが、初訪問で、好きな村の一つになりそうだった。

石畳・・・を歩くときの幸福感というか高揚感、私が好きなフランスがそこにあると言った感じである。

 

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