goo blog サービス終了のお知らせ 

フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

旧友たち集合!?の夕食

2023-03-21 08:48:53 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

クリスチーヌの家に行き、荷物を下ろした。

ここは初めての訪問。広いアパルトマンなので、「鍵を渡すから、好きなだけ泊まって」とずっと言ってくれていた。

エレベーターなしの3階である。よくここまで一人でいくつものスーツケースを運んでくれたなあと、いまさらながらありがたく感じる。

アンリもここの荷物を移動してくれ、今夜その荷物を持ってきてくれることになっている。

 

アペリティフをいただくため、まずはヴェロニックの家へと向かう。

歩けないことはないらしいが、夜なので、車で向かった。

 

ヴェロニックと最初に会ったのは、20007年だったと思う。アンリ夫妻の友人として、彼らの友人が集まっていたのだ。そこにはクリスチャンもいた。

そして、2回目はクリスチーヌと来日して、我が家に泊まった時だった。

彼女はボルドー出身で、物理か数学の教師だが、教師の中で重責を担っているため、パリとの往復も多いらしい。勤務先はマルセイユなので、以前はマルセイユに住んでいたのだが、現在はアヴィニョンからパリへTGVで往復する毎日のようだ。

 

彼女はたぶんLGBTで、以前はスペイン人女性と共に生活していたが、今はフランス人女性と共に暮らしていた。

一軒家で、どうやら料理などはパートナーのフランソワーズが担当しているようだ。

手作りのイチジクとあんずのジャムをお土産にいただいた。

 

部屋を見せてもらい、「今度はぜひうちにも泊まって」とヴェロニックは言った。

渋滞で遅れたと言うアンリ夫妻の到着を待って、アペリティフは庭で明かりを灯して始まった。もちろんシャンパーニュで乾杯だ。

そしてクリスチーヌの家へ場所を移して、夕食のテーブルに着く。

ヴェロニックたちは自動車でやってきた。

料理上手なクリスチーヌはスープとキッシュを用意してくれていた。

セギュレ村のワイン↓

デザートは洋ナシのシャルロット。もちろんお手製である。

フランソワーズ、アンリ夫妻とはここでお別れになる。窓から手を振り、見送った。

ヴェロニックは翌々日のパリへの出発の際、大きな荷物が多いことで、大きな車を持っている彼女がTGVの駅まで送ってくれることになり、もう一度会えるようだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大好きな田舎の小さな村(サブレ村とセギュレ村)。

2023-03-18 08:38:47 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

アヴィニョンの駅のホームに迎えに来てくれたクリスチーヌは、今回すべて私の希望を聞き入れてくれた。

まず彼女がボラボラ島に赴任する前に住んでいたサブレ村へ向かう。

こういう小さな村はバスの本数も少なく、車なしで行くのは容易ではないので、本当にありがたいことだ。

 

このあたりはワインで有名とあり、葡萄畑が一面に広がっている。その中の小さな村だった。石畳みを歩き、田舎の空気を満喫する。

アヴィニョンに戻ってからもクリスチーヌはコロナ禍の時期にはここの学校に通っていたらしい。近くの山にハイキングもしていたとか。

 

そして次に向かったセギュレ村はサブレより少し大きく観光客もチラホラ見かけた。今回一番気に入った村と言えるかもしれない。カフェの中の小さな窓のそばでお茶をいただいたが、窓の下に見える景色もまた素晴らしいものだった。

そしてアヴィニョンへと戻った。

今夜はアペリティフはアヴィニョンの城壁を出たところに住むヴェロニックの家で取るそうだ。そこにはアンリ夫妻もやってくることになっていて、アペリティフのあとはクリスチーヌ宅へ移動して、夕食という運びだそうだ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんと2等車の切符で1等車に乗っていた!?

2023-03-16 08:21:44 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

今日はアルルからアヴィニョンに向かう日である。

最後の朝食もやはり、いつものパン屋さんで。

 

近くのスーパーの店員さんは、すっかり顔なじみになり、「日本人」だとわかると、色々話しかけてくれる。こういう触れ合いもまた楽しい。

 

そして少し散歩をして、早めのお昼を、クリスチャンにお礼も込めて、ふるまう?ことにした。

 

と言っても、日本人のマルシェで買った蕪やなすびなどで昨夜のうちに簡単に作っただけである。メインは日本から持参のお蕎麦と鰊で、にしんそばとざるそば。

クリスチャンとドリスは日本人のパティシエのお店のケーキを持ってきてくれた。

時間が押していたので、ドリスの運転でアルル駅まで送ってもらった。

ここで、再会を約束してお別れだ。

彼らは明日からバカンスに旅立つ。ギリギリまで本当によくしてくれた。

クリスチャンのおかげで疑似アパート体験ができた。もっとも中身はほとんどフランス人と一緒だったわけだが。

それでもありがたいことだった。

 

そして、20分ほどの列車移動でアヴィニョンへ向かった。

スーツケースは一つだったが、手荷物がいくつかあり、その様子を見ていた乗客の一人が、

「ここに置くといいよ」とか「荷物から目を離さないように気をつけて」と言ってくれ、降りるときも、その人はさりげなく後から手を貸してくれたのである。

日本人は狙われやすいと思い、親切にしてくれたことに感謝の気持ちを伝えたかったが、クリスチーヌが目の前に立って待っていてくれたので、お礼を言う間を失ってしまった。

 

実は、アルルからアヴィニョンまで私たちは2等車の切符を持っていた。 20分ほどの時間だし、停車駅として次の駅だったから1等車に乗ることも必要ないと思ったのだ。列車に乗り込み、クリスチャンたちが見送ってくれているので乗ったところ近くに荷物をとりあえずおいて名残を惜しんでいた。

列車が出発した後、近くの席に座っていたところ、上記の親切なムッシュが荷物はそこよりここに置いた方がいいよとかアドバイスしてくれ、その通りにした。ところがしばらくして気がついたのはそこは1等車だと言うことだった!!

 

フランスの1等車と2等車のグレードの差は、日本の新幹線のグリーン車と一般車両のグレードの差程大きくはなく、料金もそれに応じた設定になっている。それでも2等車の切符で1等車に乗ってるのは違反であることには間違いがない。乗り込んだ時右に行くべきところを、乗り込んだ近くの席に座ったのが間違いの原因だった。

 

で、どうしたかというと、実はそのまま座っていたのだった。気が付いた時もう10分ほど経過していたし、今更荷物をえっちら運ぶのも大変だし、もし車掌が来たら悪意はなく誤って乗ってしまったと説明し、罰金を払えばいいかと腹をくくったのであった。幸いにも天は私たちの味方をしてくれて、車掌は来なかった。これからは気を付けます。

補足:この列車は詳しく言うと、リヨン行で、たぶんアヴィニョンから明確な1等と2等になるのではないかと思われるのだが?。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルルの和菓子喫茶の奥さんは、とても感じのいい日本人

2023-03-15 08:52:30 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

アルルで4泊して、明日はアヴィニョンに戻るので、今日が実質アルルの最終日。

ちょうどアルルで今回の旅の折り返し、つまり前半が終わり、後半に突入したところである。

朝は、クリスチャンの近くのおすすめのパン屋で買ってみた。毎日買いたいくらい美味しそうであったが、定休日やらなにやらで、結局一回きり。(リヨン夫妻のサンドイッチ以外では)

午後からお茶の予定があるので、午前中はまた散策。

アルルでランチと言えば、過去2度行った事がある小さなレストランがある。

スープドポワソンが一番好きな料理であるのは、この店のおかげである。

しかし、残念ながら、今日は定休日のようだ。

仕方がない。

 

アルルは小さな町なので、同じ通りをくるくる歩いているような感じである。

ニームで帰りの切符を予約してなくて、ストライキにあたり、大変な目に遭ったこともあり、またギリギリに切符を買う羽目になるのは避けたかったので、駅で予め切符も買っておこうと思ったのだ。駅員さんにも確かめ、とりあえず指定もない普通の列車の切符を買った。

 

お昼は今日は近くの惣菜店でほんの少しだけ買った。バスク地方のお店だったので、トルティーヤとコロッケのようなものにした。

左のパンがマルシェで買ったパンだが、これが本当に胃にずっしり重く感じた。↓

お茶の時間に合わせて和カフェへと向かった。

マルセイユで作られていると言う和菓子と抹茶や煎茶がいただける。

奥さんは日本人でご主人がフランス人だが、出会ったのはドイツ?とかで、フランスではなかったようだ。

可愛い男の子が一人いる。

またジョエルは娘や孫も一緒に合流し、みんなでワイワイしながらお茶とお菓子を楽しんだ。

折り紙教室のようにもなり、他の来客にも体験してもらえ、喜んでもらえた。



ジョエルは昨日、奈良で食べたぜんざいが美味しかったとしきりに言っていたので、このお店で出してみたらどうかとも、アドバイス?してみた。

この日本人女性はとても感じのいい子だった。

そしてジョエルとはここで別れた。再会の日はあるのだろうか。それはわからないが、またね、と言いながら。

 

クリスチャンはこの後、歴史的なホテル?を案内してくれた。ニームのマダムもそうだったが、教師という職業柄か、格式のありそうなホテルでも気後れすることなく、すいすいと入っていく。

そしてクリスチャンとも別れ、アルル最後の夜は、マルシェで買ったスープドポワソンを夕食にしようと、少し足りないものを買って帰った。

貸し家体験は、二人でまるまる一日過ごした日は無くなってしまったが、これも私達らしいと言えるかもしれない。

何より、人との触れ合いが好きなのだから。



明日は、お昼過ぎにはアヴィニョンだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユダヤ教に改宗し移住を考える鍼灸師。

2023-03-13 08:47:37 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

リヨンの夫妻が夕刻、リヨンへ帰っていくのを見送って、いよいよアルルのアパルトマン生活が始まった。

 

お昼はしっかりステーキを食べていたので、夜はほとんど食事らしい食事をせず、果物とお茶くらいで済ませておいた。

 

翌日、リヨンの夫妻が来ることが決まっていなかった時に、クリスチャンの紹介で来日したアルルに住むジョエルと会う約束をしていた。軽く会うはずであったが、ジョエルはランチにクリスチャンとドリスとともに招待してくれたので、迎えに来てもらう時間まで、散策に出かけることにした。



まず駅の近くのモノプリまで行き、そこから古代劇場や、円形闘技場などを通りながらゆっくり戻ってきた。

フランス人による「居酒屋」もあった。

ゴッホのカフェのあるフォーラム広場や、クリスチャンが教えてくれた日仏夫妻による和カフェの前も通った。

あっという間に迎えの時間が近づいたので、大急ぎでアパルトマンへ。

 

時間通りに迎えに来てくれたクリスチャンとドリスの車でジョエルの家へと向かった。

彼女は鍼灸?みたいなことをしていると来日時も言っていて、その診察室が横についている家だった。

 

白ワインから始まり、手料理でのおもてなしだった。

メインのチキンもデザートのリンゴのクランブル?のようなケーキもあっさりしていて助かった。

彼女は食事にも気をつけているのだ。

何でもイスラエルへの移住を計画していると言っていた。何かが彼女を動かしたようである。翌々日ドリスとクリスチャンから聞いたのだが、彼女はユダヤ教の信者になり、それ以来食事も制限しているとかで、外食はかなり難しいと言っていた。

そんなことはこの時はもちろん知らず、日本の一般的な神様の話をしたとき、道理で彼女の様子が変だった。

 

数年会わない間に変わったこともある一方で、日本の旅行はひとり旅だったが、その思い出はとても大事にしていた。

彼女の人柄だと思うが、日本でいろいろなところを旅し、親切にしてもらうことが多く、伊勢志摩へ行ったときには、日本人の家まで招待され、プレゼントをもらったとも言っていた。

 

この日も娘と孫を私達に会わせたいと呼んでもくれていた。

そして、まだ名残惜しいようで、翌日も一緒にお茶を飲みに和カフェへ行こうと言うことになってしまった。

 

つまり、私のアルルの滞在の最終日である。結局、丸一日フリーの日はなくなったというわけだ。それでもこんな風に言われると、断ることはやっぱりできないのだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス人交流


フランスランキング

ブログランキング


フランスランキング