新自由主義が日本社会・日本経済を取り巻くようになり、久しくなりました。
市場原理に基づく競争を重視する経済・社会は、数の限られた正社員のイスを争うフルーツバスケットのようなものです。
競争を強いられ、人はバラバラにされ、つながりは切られ、格差は広がり、貧困は深刻化しています。
そんな生き方には、つらいものがあります。
学校教育は、子どもたちに学力をつける役割もありますが、それだけではない。
平たい言い方ですが、協力しあうこと、人とつながること、助けあうことを子どもたちは学んで成長します。
しかし、その環境を終え、社会に加わると、競争を強いられます。
競争をすると、必ずと言っていいほど、勝者と敗者が生まれます。
そして、今の社会では一度負けたらそのままで過ごさなければならない。
今は、敗者復活戦はない社会になってしまいました。
そして、敗者になった人には、「自己責任だからしかたがない」と言わせるのです。
しかし、格差や貧困が生まれるのは、個人の責任ではない、それらを生み出すという社会のしくみの問題なのです。
教育関係者は、その点を見誤ってはならないのです。
私たちの年齢になると、新自由主義がはびこる前の時代を知っているので、今の時代の問題性を比較のなかで見通すことができます。