本当は明るいことを書きたかったのだけど、やはり書かなければいけないかもしれない。
ちょうど一年ほど前のことだが、今も時々行っている床供養の時に、短冊の周囲に黒いもやと悪臭を漂わせながら、一人の男性の霊がいらっしゃったことがある。
こんなにも分かりやすく出てくるのは、私も初めてのことだったが、彼には見ず知らずの相手であっても、すがらなければ苦しくて仕方がない理由があった。
それは、彼の亡くなった理由が自殺だったということ。
自殺をすると、亡くなった時に抱えていた苦しさが、それ以上に倍増されて永遠に続くと聞いたことがある。
これは、この男性霊の様子を見ても事実だろうと思う。
生きていることの苦しさから逃れようと自ら命を絶ったのに、それ以上の苦しみが永遠に続くなんて、これこそ地獄だ。
彼は自殺したことを、とても悔やんでいた。「後悔」
生きていれば、時間の流れによって必ず変わって行くのに、その時の苦しみから逃れたいばかりに、、、もっと言うならば、自分の事しか考えていない自己チューで、せっかく頂いた命を自ら絶ってしまったことを、彼はとても後悔していた。
自殺した本人は、地獄の苦しみが待っていたとしても、それは自己責任だからいいかもしれないが(よくはないが・・・)残された周囲の人たちの気持ちはどうなのかということをよく考えてもらいたい。
「もしや自分の言った言葉が、追い詰めてしまったのだろうか」
「あの時、声をかけてあげていたら、自殺を止められたかもしれない」
「自分のことに精一杯で、悩んでいることに気づいてあげられなかった自分が悪かった」
このように周りの人は「自分が悪かった」と、少なからず思うものなのです。
もしかしたら、それはその人の一生の心の傷になるかもしれない。
まして親が自殺してしまったら、子どもの心の傷はいかほどのものだろうか。
自分だけが苦しいと思ったら大間違い。その自殺が、どれほど周囲の人を苦しませることになるのか、それを知ったら簡単に自殺なんてできない。
生きていると、困難や苦しみは誰にでもあるが、これも時間と共に必ず変わっていくということ、そしてせいぜい生きても人生90年くらいのものだと思うと、短い人生を思い切り生きてやれと言う気持ちになる。
そこまで元気じゃなくても、普通に生き切ったあとは、少なくとも地獄ではない場所に行ける(と思う)
というわけで、そのようなおバカなことをしてしまった人の苦しみが、すこしでも癒されますようにと床供養をする。
本当に、この供養を知ることができてよかったです。ありがとうございます。
次回は明るい話を書きたいものです。