長い冬がやっと終わって、また花の季節がやって来た。
様々な花々が一斉に咲きだす光景は何度見ても素晴らしく、花の咲く季節が待ち遠しい。
しかし、ここ数年、あれほど楽しみだった花の季節にストレスを覚えることが増えた。
それはお姑さんが花のつぼみを切ってしまうことで、花が咲くのを楽しみにしていた私はがっくりする。
「つぼみで切っても花が咲かないから、もう少し待って花が咲きそうになったら切ってね」と、毎年、毎回、お願いしているのだが、忘れてしまうのか何度も同じことをしている。
お姑さんは切ったつぼみをお仏壇に供えたり、デイサービスに持って行くようだが、ほとんど固いつぼみのまま花瓶の中で枯れてしまう植物を見ると、「だから言ったでしょ。あれほど切るなと・・・」との想いが湧き上がる。
花が咲いてから、もしくは咲きそうになってから切るのならいい。
部屋に飾るなり、デイに持って行くなりしてもらってまったくかまわないのだが、まだ固いつぼみのうちに切ってしまうことには、「なぜ、それを切る?」という疑問と悲しみと怒りしかない。
仕方がない、仕方がない。
何度言っても忘れてしまうのだから仕方がないと思っても、正直怒りの感情も湧いてくる。
たかが花、されど花・・・
だから、自分のストレス回避のために、それまで毎年新しい花の苗を植えていたのを数年前から止めてしまった。
花を増やすことで、自分のストレスを増やしたくないというのが、その理由だった。
そして今年もまた、お姑さんは固いつぼみのついた枝を持ってきた。
え、えだ~!?
なんとお姑さん、今回はつぼみのついた庭木の枝を折ってきた。
枝はやめてくださいよ、枝は。来年、花がつかないじゃないですか。
以上のようなことを、怒りを抑えつつ優しくお姑さんに注意したのだが、糠に釘、暖簾に腕押し・・・とにかく何を言っても「はいはい。ごめんなさい」とは言うものの、また同じことをする。
やれやれ・・・
しかし、この押さえ込んだ感情がある事件をきっかけに爆発した。
事件とは、お姑さんが「お金がない」と言い出したことだった。
お金に関わらず、他にも色々なものがないと言うのはこれまでもよくあることで、そのどれもがお姑さんがどこかへ仕舞って忘れたのか置き忘れてきたのだと思う。
しかし、お姑さんは自分がそれを失くしたとは思っていないようで、大体において、犯人は私だと思うようだ。
そして今回もお金が無くなったことを、私が犯人ではないかと疑っているのを、息子である夫に話していた。
夫はその話を聞いて激怒した。
そして、お姑さんに「あいつはそんなことをする女じゃない!だから俺は結婚したんだ!」と言った。
この夫の言葉で私の中から怒りがすーっと消えて行くような気がした。夫のこの言葉だけで十分だった。
たしかに、この時は十分だったと思ったのだが・・・
しばらくして再びお姑さんの機嫌が悪い時に、再び私が盗んだかのようなことを言われ、抑えていた感情がついに爆発してしまった。
夫が帰宅後、普段は決して夫にお姑さんの悪口を言わないようにしているのだが、この時ばかりは流れ出たマグマは止められなかった。そして、それを夫にぶちまけた。
ぶちまけつつ、夫に対しての申し訳なさと自己嫌悪でいっぱいになっていた。
「もっと吐き出していいよ」と言う夫に、ただただ申し訳なさでいっぱいになり、いつの間にか、諸々の事などどうでもよくなっていた。
実の親の悪口を言われて気分がいいはずがない。特に親孝行な人は尚更だろう。
また、男の子は母親が好きな場合が多いとか。
夫も姉二人の末っ子で、母親には可愛がられて育ってきたので、自分の母の事を悪く言われるのはつらいだろう。それなのに全面的に私の味方になってくれている。
雨降って地固まる・・・
理解してくれる夫に怒りの感情をぶつけたことを申し訳なかったと思った出来事以来、枝を折られようが、泥棒呼ばわりされようが、もうそんなことはどうでもよいと思える心境になった。
でも、二度あることは三度ある?
いやいや、それは勘弁してほしい(汗)
とにもかくにもいろいろあるけど、また頑張るべさ~
今日はことわざをいくつか散りばめてみました・・・
様々な花々が一斉に咲きだす光景は何度見ても素晴らしく、花の咲く季節が待ち遠しい。
しかし、ここ数年、あれほど楽しみだった花の季節にストレスを覚えることが増えた。
それはお姑さんが花のつぼみを切ってしまうことで、花が咲くのを楽しみにしていた私はがっくりする。
「つぼみで切っても花が咲かないから、もう少し待って花が咲きそうになったら切ってね」と、毎年、毎回、お願いしているのだが、忘れてしまうのか何度も同じことをしている。
お姑さんは切ったつぼみをお仏壇に供えたり、デイサービスに持って行くようだが、ほとんど固いつぼみのまま花瓶の中で枯れてしまう植物を見ると、「だから言ったでしょ。あれほど切るなと・・・」との想いが湧き上がる。
花が咲いてから、もしくは咲きそうになってから切るのならいい。
部屋に飾るなり、デイに持って行くなりしてもらってまったくかまわないのだが、まだ固いつぼみのうちに切ってしまうことには、「なぜ、それを切る?」という疑問と悲しみと怒りしかない。
仕方がない、仕方がない。
何度言っても忘れてしまうのだから仕方がないと思っても、正直怒りの感情も湧いてくる。
たかが花、されど花・・・
だから、自分のストレス回避のために、それまで毎年新しい花の苗を植えていたのを数年前から止めてしまった。
花を増やすことで、自分のストレスを増やしたくないというのが、その理由だった。
そして今年もまた、お姑さんは固いつぼみのついた枝を持ってきた。
え、えだ~!?
なんとお姑さん、今回はつぼみのついた庭木の枝を折ってきた。
枝はやめてくださいよ、枝は。来年、花がつかないじゃないですか。
以上のようなことを、怒りを抑えつつ優しくお姑さんに注意したのだが、糠に釘、暖簾に腕押し・・・とにかく何を言っても「はいはい。ごめんなさい」とは言うものの、また同じことをする。
やれやれ・・・
しかし、この押さえ込んだ感情がある事件をきっかけに爆発した。
事件とは、お姑さんが「お金がない」と言い出したことだった。
お金に関わらず、他にも色々なものがないと言うのはこれまでもよくあることで、そのどれもがお姑さんがどこかへ仕舞って忘れたのか置き忘れてきたのだと思う。
しかし、お姑さんは自分がそれを失くしたとは思っていないようで、大体において、犯人は私だと思うようだ。
そして今回もお金が無くなったことを、私が犯人ではないかと疑っているのを、息子である夫に話していた。
夫はその話を聞いて激怒した。
そして、お姑さんに「あいつはそんなことをする女じゃない!だから俺は結婚したんだ!」と言った。
この夫の言葉で私の中から怒りがすーっと消えて行くような気がした。夫のこの言葉だけで十分だった。
たしかに、この時は十分だったと思ったのだが・・・
しばらくして再びお姑さんの機嫌が悪い時に、再び私が盗んだかのようなことを言われ、抑えていた感情がついに爆発してしまった。
夫が帰宅後、普段は決して夫にお姑さんの悪口を言わないようにしているのだが、この時ばかりは流れ出たマグマは止められなかった。そして、それを夫にぶちまけた。
ぶちまけつつ、夫に対しての申し訳なさと自己嫌悪でいっぱいになっていた。
「もっと吐き出していいよ」と言う夫に、ただただ申し訳なさでいっぱいになり、いつの間にか、諸々の事などどうでもよくなっていた。
実の親の悪口を言われて気分がいいはずがない。特に親孝行な人は尚更だろう。
また、男の子は母親が好きな場合が多いとか。
夫も姉二人の末っ子で、母親には可愛がられて育ってきたので、自分の母の事を悪く言われるのはつらいだろう。それなのに全面的に私の味方になってくれている。
雨降って地固まる・・・
理解してくれる夫に怒りの感情をぶつけたことを申し訳なかったと思った出来事以来、枝を折られようが、泥棒呼ばわりされようが、もうそんなことはどうでもよいと思える心境になった。
でも、二度あることは三度ある?
いやいや、それは勘弁してほしい(汗)
とにもかくにもいろいろあるけど、また頑張るべさ~
今日はことわざをいくつか散りばめてみました・・・