ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

カラオケ

2015-12-05 15:27:43 | 日記
人生長く生きていても、経験したことがないことってたくさんあるもので、そんな未経験だったもののひとつを経験してきた。

それはカ・ラ・オ・ケ店。

54年も生きてきて、初のカラオケ店デビューを果たしてきた。

といっても、カラオケ自体はもちろん経験したことがある。

学校を卒業後20代の頃に勤めていた会社の宴会では、二次会は必ずおじさんたち(上司たち)行きつけのスナックというのがお決まりのコースだった。

そして、そこでは必ずカラオケを歌わされた。

「歌わされた」という表現をしてしまったが、実はカラオケにはあまりよい思い出がない。

会社の宴会は若手男性社員が盛り上げなければいけなかったが、もちろん女子社員も一緒に頑張らなければいけなかった。

歌えと言われれば、音痴を自認していてもマイクを持ってとりあえず何か歌ったし、さらに上司からの要望があればデュエットにも応じた。

(あの頃は「昭和枯れすすき」をはじめ「三年目の浮気」や「別れても好きな人」などをよく歌ったものです)

さらにお酒がだんだんと回ってくると、今度は上司とのチークダンスもさせられた。

今思い出すと、まるでホステスさんのようなことをやらされていたなぁと思う。

それが徐々にわかってくると、一次会終了と同時に女子社員はすばやく消えるようになっていった。
・・・が、不幸にも逃げ遅れた数名は腕をとられてスナックへと連行されていった。

他の会社はどうだったのか知らないが、某大手銀行に勤めていた友だちも同じ事を言っていたので、バブル期の会社の宴会はわりとそういったことが多かったのかもしれない。

80年代当時、まだセクハラという言葉を知らない時代だった。

そんなわけで歌を唄う事は嫌いではないが、カラオケというのはどうも会社の二次会を思い出してしまって足が向かなかった。

しかし今やあちこちにできたカラオケ店は、安い料金で楽しめることもあって若い人たちから高齢者まで大人気だとか。

そんなカラオケ店に「行きたい、行きたい」とず~っと言っていたのが長女チェリーだった。

チェリーが高等養護学校に行っている頃、同級生のお母さんが同伴してくれて、子供たちをよくカラオケに連れて行ってくれた。

人前では恥かしがってあまり歌わないチェリーだったが、友だちが一緒に歌ってくれたりして、それなりに楽しんでいたそうだ。

さらに友だちとはあまり会えなくなってしまった卒業後は、妹のピーチが一緒にカラオケに行ってくれたが、ピーチが自宅を離れてからはついに一緒に行く人がいなくなってしまっていた。

「チェリーといっしょにカラオケ行って来いよ。意外と面白いかもしれないぞ」と私と同じくカラオケ店未経験者の夫に言われ、「いえいえ私は遠慮します。どうぞ二人で行ってきてください」と答え、夫婦でどちらがカラオケについて行くか押し付けあっていた。

しかしふと目が覚めてしまったある晩、なぜか急に「チェリーとカラオケ行ってみよう。食わず嫌いはやめて、なんでもやってみようと」と思った。

翌日、チェリーに「一緒にカラオケ行こうか」と言った時のチェリーの喜びようは、思い出しても可笑しくなる。

ふだんチェリーはほとんど机に向かうことなどないのだが、それからは机に向かって何かを一生懸命書いている。

何を書いているのかと思ったら、カラオケで自分が歌おうと思っている曲名を書いているのだとか。

チェリー曰く「お店に行ったら何を歌うのか忘れるから、今から書いておく」のだそうだ。

そんなわけでついに(大げさですが)カラオケ店に行ってきました。

予想通り最初は恥かしがって歌わないチェリーに代わって、まずは私が声を張り上げて歌った。

曲はAKBの「恋するフォーチュンクッキー」

そのうちにつられてチェリーも一緒に歌いだし、2~3曲一緒に歌ってからはチェリーが一人で歌えるようになって、私はもっぱら機械の操作をしていた。

でも楽しかった~

やっぱり食わず嫌いでしたね、カラオケ。

また行こうねと言いながら帰ってきた。

今度はもっと新しい曲を憶えておかないとね。

さすがにチェリーと一緒に「昭和枯れすすき」は歌えないので・・・











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