ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

みんな役者だった!?

2017-06-12 17:16:18 | 日記
父が亡くなって早二週間余りが経った。
もう二週間も経ったのかという気もすれば、まだ二週間しか経っていないのかという気もする。

どちらにしろ父の肉体としての姿が見えなくなってしまったのは寂しく、また「父に会いに行かねば・・・」という、時には義務感にさえなっていた高齢者住宅への訪問も、もう行かなくてもよくなったことを寂しく思う。

ところで、父の最期に家族みんなが父に感謝の言葉をかけてお別れができたことを思い出して、妹がこのように言った。

「あれはまるで演劇をしているようだったねぇ。
お父さんのベッドを家族が囲んで感謝の言葉を口々にかけて、それまで意識が朦朧としていたお父さんが最後の最後に、それを全部わかったように大きくうなづいてから涙を流して息を引き取ったなんて、まるでドラマか映画のワンシーンのようだったわ。
監督のカットー!という声で、亡くなったお父さんが起き上がって、泣いていたみんなが演技を止めたりして・・・ってちょっと不謹慎だけど、あの時そう思ってた」

たしかにね・・・そう言われればそう思う。

でも、ある意味、それは間違いではないと思う。

誰もがこの世に生まれてきて、周囲を取り巻く家族や縁のある人々の中で、それぞれの役割を演じているのだと思う。

その役割も当たり前だが一つではなく、取り巻く人の数だけ役割がある。
娘だったり、妻だったり、母だったり、隣人だったり、友人だったり、従業員だったり、先生だったり・・・

その時々によって私の役は変わるけれど、私の人生としての今はこの一度限りなので、その中でどれだけ自分の良心に沿った生き方ができるかが試されている。
試しているのは神様?いえ、それは自分自身なのだろう。

自分で自分がどこまでやれるのか試しているような気がしている。

人生には失敗もたくさんあるけど、肉体を脱ぐ最期の時に、自分の良心を満足させる演技ができたと思えたら、この人生は大成功だったと思うだろう。

ところで父はどうだったのだろうか?父は肉体を離れて自分の人生を振り返った時、どう思ったのだろう。

それは父にしか分からないことだが、私は父が自分の人生に満足しているような気がしている。

そういえば父は何年も前から銀行に遺言状を預けていたのだったが、もう一通、新たな遺言状が出てきた。

銀行にある遺言状よりも日付が新しく、それでも父が10年以上前に書いたものだった。

そこには、子どもたち(私たち姉弟3人のこと)には自分のできる限りのことをしたつもりだということと家族への感謝の言葉が書かれていた。

私たちがまだ幼かった頃、経済的に大変な状況でも、私たちにそれが不自由だと感じさせることなく育ててくれた両親には感謝している。

というわけで、父は満足して今は実家で過ごしている(かな?)
その話はまた書けたら書こうと思う。









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