久しぶりに胸が重苦しくなる夢を見た。
重苦しいと言っても実際に身体の不調だったのではなく、見た夢があまりにも怖くてつらいものだったので、胸が重苦しく感じたのだと思う。
胸の中心あたりというのは、不思議なものだと思う。
恐怖を感じたり悲しんだりすると、今朝のように重苦しくなり、嬉しい楽しいと、どこまで飛んで行けそうなくらい軽やかになる。
日常的に胸の中心に意識を向けるようにしていたら、自分が今、本当はどう感じているのかわかる事が多くなったように思う。
例えば他人を意識して喜んでいるふりをしても、(ここでは魂という言葉を使います)魂は本当はそう思っていないのだとか、魂がそこへは行きたくないと言っていることに、忠実に従って行くのをやめたら、事故を回避することができたとか。
魂が大腸カメラを受けに行った方がいいと言ってることに従ったら、結構な大きさの大腸ポリープが見つかったとか、、なんてことはザラにあるのだろう。
古来から言われているように、魂、内在神、真我など言い方は色々あるが、胸には神聖な何かが宿っているとしか思えない。
そう考えると、すべての人間の中には神聖なものが宿っているのだとわかる。
だから本当は、そういう想いをいつも持って、人を見なければいけないのだろうなあと思う。
ところで今朝の胸が重苦しくなった夢の話。
季節は冬。道路の傍に少しの雪があった。
私は小高い山に登る坂道を上っていた。道路のすぐ下は住宅街で多くの家が並んでいる。
すると突然、大きな地震が起こった。
かなり大きな揺れで、下の住宅街の方を見ると、住宅地のさらに奥側は海だったようで、海に白波が立っているのが見えた。
そのまま海を見ていると、白波がどんどん大きくなって行く。
家の中にいる人たちに向かって「津波が来る、逃げて」と何度も叫び、振り返ると大勢の人が坂道を上って来ているのが見えた。
一瞬自分が白波の中に巻き込まれる映像もあり、夢の中で胸が重苦しくなった。
雪が降る地方で、これから大きな地震が来ると言われているのが、道東で千島海溝沿いの地震と言われている。
道東は高い建物があまり無いので、津波が来たらどこに逃げたらいいのかと、いつも気になっていた。
潜在意識で気になっているからこそ、そのような夢を見たのかもしれないが、備えあれば憂いなしで、いつ来てもいいように備えだけはしておかなければと思う。
未来は未定で、たくさんの選択肢が並んでいるのだという。
そうならば最も良い未来にしていきたいと思う。