もう時期が遅いけど、どうしてもよもぎのパンを焼きたくて、よもぎを摘みに行ってきた。
あったあった、よもぎ。
近所の山に入ると、よもぎが群生している場所があって、そこで摘んでくる。
よもぎの香りが好きで、毎年何度か摘みに行く。
春先の若いよもぎは、天ぷらで食べるととても美味しい。
よもぎの香りは、長い冬が終わりやっと春が来たことを感じさせてくれる。
そしてよもぎが余ったら茹でて冷凍しておき、よもぎ餅にしたりよもぎパンにしたりする。
よもぎ餅も美味しいのだけど、好きなのはよもぎパンで、よもぎの香り漂う焼き立てのパンに、あんことバターをつけて食べるのがたまらなく美味しい。
住宅地に近くて熊さんは出てこない場所だが、最近はどこでも出会う可能性があるので、耳を澄ませてよもぎを摘んだ。
誰もいない自然の中にいると、蝉の声と風が木を揺らす音だけしかしない。
やっぱり自然の中に一人で居るのが好きだなあと思う。
一人でよもぎを摘んでいると、6〜7歳の頃を思い出した。
あの頃もこうして一人でよもぎを摘んでいたことがあった。
よもぎの他に蕗など食べられる山菜を採った記憶がある。
1960年代の札幌は、都心部に近い場所でもまだたくさんの自然が残っていた。
道路脇でおばあさんが屈み込んでいるので「何してるの?」と聞くと、「せりを採ってる」と教えてくれたことがあった。
せりは水辺に生えるが、あの頃は道路脇に普通に水が流れていたのでせりも生えていたのだろう。
今は区画整理で埋め立てられて、川でもない場所に水が流れているなんてことはないが、昔は市内のあちこちに水が流れる砂利道があったと思う。
草が生い茂る水辺は不衛生といえばそうだが、懐かしいと思うのは、きれいに整備され、アスファルトで塗り固められた道のある街並みより、そちらの方かもしれない。
さて子どもの頃に採った山菜をどうしたのかと言うと、それを売ろうと考えた。
家に戻るとさっそく地面に敷くゴザを持ってきて、そこに採ってきた山菜を並べた。
それからチラシの裏に鉛筆で1円とか5円とか値段を書いて、山菜の前に置き、ゴザの前に座ってお客さんが来るのをワクワクしながら、自宅前の道で待っていた。
しかしいくら待っていてもお客さんは来ず、最初に声をかけてきたのが、外出から帰ってきた母だった。
「何やってるの!早く片付けなさい」と言われて、時間が経って萎れた山菜を全部捨てて、すごすごと片付けた記憶がある。
今なら母の気持ちがわかる。(恥ずかしいからやめなさい)だと思う。
あのままやめずに、どうしたら売れるのか研究を重ねていれば、今頃は立派な商人になっていたかも〜なんてね。
今は自分と家族のためによもぎを採る。
自分と家族が美味しそうにパンを食べている姿を想像しながら。
さてと、ではよもぎのパンを焼きましょうかね。