一昨日、温泉に行ってロッカーの中に髪留めを忘れて来てしまった。
白いビーズがたくさんついてる華奢な髪留めで、最近、髪を長くしているので、たまに顔の両側の髪を後頭部で留めている。
それはとても軽くて(年々軽さが重要になってきた)、持っている髪留めの中で一番のお気に入りだった。
いつもは最後に必ずロッカーの中を確認して帰るのに、その時だけは「大丈夫だろう」と思って確認しなかった。
一応、次に行った時に聞いてみようと思っているが、もう無いだろうなあと落胆していた。
それで今日は、仕方なく別の髪留めをした。
こちらは金属性で大きくて、いかにも丈夫そうなのだが、なにぶん重いのが嫌であまりつけていなかった。
ところが、この重たい髪留めが幸いした。
なんと今シーズン初めてツルツル路面で転んでしまったのだが、手をつく間もなく、そのまま後ろに転び、後頭部をしこたま打ってしまった。
あまりの痛さにしばらく起き上がれなかったが、痛みがおさまってから起きると、髪留めが外れて落ちていた。
転んだ時にちょうど髪留めの部分を打ったようで、大きな金属の表面には傷がつき留める部分も壊れていて、髪留めはもう使えなくなっていた。
ああ守って頂いたなと思った。
いつもしていたビーズの髪留めでは、この程度では済まなかったかもしれない。
ところで歳を取るごとに、見えない世界の存在を信じるようになった。
心の世界の重要性や見えない世界とのつながり、何か大きな力の存在があることなど、若い頃は考えてもいなかったことを考えるようになった。
不思議な現象に度々遭っていたにも関わらず、若い頃は見えない世界を信じていなかった。
いや信じていなかったというのは違うかな。
本当は信じていたが、それを口にすると親を始め、周りの人に馬鹿にされると思ったから、あえて信じていないフリをしていた。
信じていないフリはいつの間にか本当になり、不思議な現象は起こり続け、自分でも矛盾していると思っていた。
それが、やっと見えない世界と見える世界のバランスが取れるようになり、心の平安を感じるようになったのは、40代後半に出会った先祖供養がきっかけだった。
ところで少し前に20代の息子が見える世界ばかりに欲求が向き、それはそれで若い頃には成長する為に必要なことだとブログに書いた。
しかし歳を取り経験を積み、人生を生きていくにつれて、自分の利益ばかりじゃなく他人のことも考えるようになっていく。(人によるが)
お陰様という言葉が身に染みる。
見えない世界と見える世界のバランスが取れる分岐点が、(人によるが)ちょうど60歳あたりなのだそうだ。
還暦といって60歳からお祝いするようになるが、それは単に長寿を祝うだけではなくて、見えない世界をより実感できる年齢を迎えた幸せに、感謝を示すためでもある、、、と聞いた。
60歳になって早々、見えない世界に感謝する出来事だった。