「明日のお弁当、ご飯に梅のふりかけをかけてね!わかった?」
「何度も言わなくてもわかってるよ。ご飯に梅のふりかけをかけるのね」
今朝の長女のお弁当のご飯には、昨日から長女に何度も念を押されていた梅のふりかけをかけた。
長女は、幼いころから大の梅好きで、特に梅干には目がない。
「うめぼち、もっとほちいよ~」と回らない口で何度もせがまれ、塩分が気になるので「じゃあ二個だけね」と言って食べさせていたものだった。
そんな梅干好きの長女が最近ハマったのが梅干のふりかけで、たまたま行ったスーパーで見つけた。
これがまたしっとりとして梅干の食感が残っていて美味しいらしい。(食べていない私はわからないが・・)
というわけで大好物の梅干ふりかけご飯をお弁当に持って、今朝もはりきって仕事に出かけて行った。
長女を見送ったあと、まだ家にいた夫に「昨日から何度も言ってた梅のふりかけご飯を持って、うれしそうに仕事に行ったよ」と教えたら「そうか、あいつにとっては、梅のふりかけご飯が、今は一番の楽しみなんだな。かわいそうに・・・」と夫が言った。
「かわいそう?かわいそうなんかじゃないよ。そんなささやかな事に喜べる長女はすごく幸せだと思うよ」
夫が長女をかわいそうだと言ったことに違和感を覚えて、思わずそう返したら夫も「そうだな。幸せだな」と納得してくれた。
ほかの兄妹のように出張や旅行でいろんな所に行けなくても、友だちと遊んだり飲みに行ったりできなくても、長女は長女なりに生活を楽しんでいる。
兄や妹の行動が、普通の若者のすることだという価値観で見れば、長女の梅のふりかけご飯やネット動画で音楽を楽しんだりするだけの生活は、かわいそうだと思うかもしれない。
でも、私はそんな長女がうらやましくさえ思う。ささやかなことにも全力で喜べるなんて、まだまだできないから。
幸せを感じるハードルが低いというのは、幸せなことだ。
今日は仕事から帰って来た長女が、真っ先に何を言うのか想像できる。
「今日のお弁当すっごくおいしかったよ」と言うはずだ。
そこで私が「何がおいしかった?」と聞くと、長女は必ず「梅干のふりかけごはん」と言う。
「他には?まだ入ってたでしょ?」と畳みかけると、「う~ん、あとは餃子とかぼちゃと卵とアスパラと・・・」
それって他に入ってたものでしょー!(笑)
ささやかなことにも全力で喜べる長女。
これからは、長女のことを「師匠」と呼ぼうかな。