ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

2018-04-20 14:24:19 | 日記
父が亡くなってから妹と会う機会がめっきりと減った。

私が実家の仏壇にお花を届けに行く時に会うくらいなので、一ケ月に一度会うか会わないかというところだろうか。

父が生きていた頃は、一週間のうちに1~2回は会って、一緒に父の世話をしたりしていたので、その頃から比べると連絡を取り合うことはもちろんのこと、会うことも少なくなった。

妹は車が無いので、私が行かなければ会うことも無いのだが、妹と会いたいという気にはどうしてもなれなかった。

思えば3年前、父の介護が始まって妹と頻繁に会うようになり、私は徐々にストレスが溜まって行った。

ところで同じ両親から生まれ、20年以上一緒に暮らしてきた姉妹であっても人格は別なので、当然のことながら性格や好みに至るまで違う。

なかにはそっくりな姉弟、姉妹もいるだろうが、私たち姉妹に関しては容姿以外は違っている。

妹とは6歳も離れているので、子供の頃、友だちと遊ぶ時には、妹を一緒に連れて行くことがよくあった。
私が高校生の時まで連れて行っていたので、当時の友人たちに会うと、今でも「妹ちゃん元気?」と聞いてもらえるくらい、友人たちはみんな妹のことを知っている。

こんな風に書くと、妹の面倒をよく見る「良い姉」のようだが、本当は母に言われて仕方なく連れて行っていた。
できれば妹は連れて行きたくないと言うのが本音で、時々は母に言われる前に急いで家を出ることもあった(だって、小さい妹は足手まといなんだも~ん)

「弟を連れて行って」とは言われなかったが、妹のことは同性だということもあって「遊んであげて」と、母は私に頼んだのだろう。(上の子にとってのプレッシャー・・・)

とは言え、かわいい妹には変わりなく、妹が年頃になって、私のお気に入りの高かったブランド物のワンピースを無断で着て行ったと知った時も「まあいいか」と許した。

私の洋服をちょいちょい着て行くし、だんだん生意気にもなっていったが、なんでも私の真似をする妹は本当に可愛かった。

しかし、それも妹が結婚して子供が小さかった頃までで、あとは当然のことだが、それぞれが家庭を持って、好みも考え方も別々の生き方をしてきた。

そして、お互いに大人になってから気づいたのは、妹と話した後は、必ずもやもやとした気分になるということだった。

それは妹と会えば、ほぼ毎回のように誰かの愚痴や不平不満を口にするからで、他人への悪口ともいえるような不平不満を聞くことほどストレスになることはなかった。

友人のことをぼやく妹に「そんなに嫌なら会わなければいいでしょ?」と言うと、「でも楽しいこともあるし」と妹は言う。
「そう、じゃあ仕方ないんじゃない。会えば・・・」と私。

まったく、あ~言えば、こう言う。

この「あ~言えば、こう言う」が私にとってのストレスだった。

自分が不平不満一杯の状態でいると、冷静に自分の姿を見ることができなくなる。
しかし、周囲の人間からは、その人の問題点がよく見えることがある。

妹はなんでも一生懸命で、自分がへとへとになって倒れるまでやらないと気が済まない所がある。

それは父の介護だったり、自身の家族の世話だったりするのだが、傍から見ると「そこまで頑張らなくてもいいのでは?」と思うこともやってしまい、あとから一気に不満が噴き出す。

それが愚痴や不平不満となって彼女の口からとめどもなく語られ、しまいには「私は何のために生まれてきたのだろう?みんなの犠牲になるために生まれてきたのかと思う」と言い出す始末だった。

「なに悲劇のヒロインやってんの。すべて自分がやりたいからやっているんじゃないの?」と何度も思った。

何度か強く妹に反論及び助言したことがあり口論にまで発展したが、妹が「そうかな?」と思ってくれることはなく反発だけが返ってきた。

その頃からだろうか。

妹とは全てが合わないことだらけだと感じて、私はほとほと疲れ果てていた。

「もう無理だ。妹とは父の介護が終わったら会わない。縁を切ろう」とまで思っていた。

父の死で介護が終了し、あれから一年近くたつ。

一時期に比べれば会わないことが多くなったが、最近また実家の後始末などで一緒に過ごす時間が増えてきた。

相変わらず愚痴や不平不満を口にするが、妹は最近すこし変わってきた。

周囲の人間を傷つけていることも分からず、自分だけが他の人の犠牲になって尽くしているという妄想の世界に生きていた妹が、すこしずつ現実に目を向け始めたように思えた。

「お父さんの行きつけだったお店でご飯食べない?」と妹に言われて、一緒にお店に行った。

「なつかしいね~、今日はお父さんも一緒に来ているようだね」と二人で言い合った。

他人の愚痴や不平不満を口にすることも無く、穏やかな笑顔の妹。

妹を見て「また一緒に遊ぼうか」と思えた。

そして、この時、亡き父も同じ席に座って一緒に笑顔で食事をしていたと思う。
間違いなくね。。。







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